第2話

「あなたのせいで、私の人生は台なしよ」

 アルネブは母に、そう言われながら育った。

 母は驚くほどに美しい人だった。父は滅多に帰って来ない人だった。母が言うには、父は他の女の家に泊まっているとのこと。が、それは母の被害妄想であると、アルネブは思っていた。こんなに美しい女性を置いていなくなる男なんているだろうか。

 それでも母は、頑なに「私はあなたのせいで父に愛されなくなった」とアルネブに繰り返した。アルネブは母が大好きだったから、心苦しい思いでいた。日々機嫌を取ったが、奏功しなかった。

 小学校に上がったころ、母の過去を知った。バレリーナを目指していたが、大きな大会の直前にアルネブを妊娠し、その夢を諦めざるを得なくなったらしい。だから、アルネブもバレエを習い始めた。母への罪滅ぼしのつもりもあったが、母は大反対であり、やっと宥めてバレエ教室に通えるようになってからも、一度も練習を見てくれることもなければ、ますます家庭から会話が消えるばかりだった。母は自分がバレリーナになりたかったのだ。

 それでもアルネブが教室を辞めなかったのは、まず、バレエという芸術の面白さに興味を持ったからだ。次に、今まで母の評価ばかり気にしていたが、発表会に向けて練習するという目標が出来、前向きな性格にもなった。そして、其処で出会った小毬(こまり)という少女に、初恋をしたからである。

 小毬は、同じバレエ教室に通う同学年の少女だった。鹿のような少女たちが多い中、小毬の顔は生まれたばかりの子狸のようで、頬もふっくらしていた。それがチュチュを履いた、そこから伸びる焼きたてのパンのように柔らかそうな足が、アルネブはたまらなく好きだった。

 バレエの技術は小毬よりアルネブの方がずっと上だった。何せ小毬は、トウシューズが痛いなどといって、唇を尖らせては練習しないような子だった。

 小毬もアルネブも、バレエ教室が同じだけでなく小学校も隣のクラスということが分かり、たびたび連れだって図書室へ行くようになった。アルネブは其処で初めて、幼児向けの物語の存在を知った。アルネブの母は、徹底して子供の存在を意識から消したいのか、子供が食いつく玩具や絵本などは一切家に置かなかった。世話もロクにしない中、食事と服だけは、外の人が見て不審がらないためか、大層な高級品を与えてくる。そんなところもアルネブにとってはいじらしかった。

「何だか、貴方って兎みたい」

 そうアルネブの白い髪と真っ赤な目を指し、小毬は笑いながら、「かちかち山」や「不思議の国のアリス」を勧めてきたものだった。そんな笑顔を見ながらも、アルネブは、バレエをやっていない小毬は本当に魅力がないなぁと思うばかりだった。

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