君が隣にいてくれるなら

雨足怜

第1話 告白

「おはよ」

「おはよ、碧依あおい……って今日はどうしたの? 寝ぐせひどいよ?」


 赤茶の髪を方々に散らす盛大な寝ぐせをこしらえたまま登校してきた碧依。友人に櫛で整えてもらう彼女は、目を細めて軽く首を伸ばしており、その姿は日向ぼっこをしている猫のよう。


 そんな碧依を横目に、ぼくは始業前の時間を使って親にメールを送る。


『今日は金原きんぱらの家によってく』


 スマホを閉じ、ブラックアウトした画面を見つめれば、苦笑を漏らす顔が映った。


 寝ぐせ――それは、ぼく汐見優兎しおみゆうと金原碧依きんぱらあおいの間でだけ伝わる目印。あるいはメッセージ。


 ぼくが察したことが分かっているからか、碧依はこちらを見ることもない。かいがいしく友人に髪を整えてもらいながら、ふぁ、とあくびをする。

 その姿はやっぱり猫みたいだった。


 やわらかい秋の日差しの中で目をぽしょぽしょとしている碧依を見ていると、なんだかぼくも眠くなる。


 碧依とぼくは、いわゆる幼馴染に該当する。

 両親が高校時代からの親友で、隣に家を建てるくらいには仲がいい。互いの家族そろって旅行に出かけることもあるし、休日に集まれる日にはどちらかの家でバーベキューをすることが多い。

 そんな家庭で育ったわけで、ぼくたちは幼馴染というよりは、同い年の兄弟姉妹といった感じだった。


 そういうわけで、ぼくは碧依の家庭についてそれなりに詳しい。


 碧依の両親は出張族で、長期にわたって家を留守にすることが少なくない。

 そうして両親が出張しても自活できるくらいには碧依は生活力があるけれど、こう、猫っぽいというか、飽きっぽい。

 孤高っぽいのに寂しがりやの碧依は、大体二日両親が出張で家を空けたとことで、すべてが面倒になるらしい。


 そうした日は、今日のように朝から髪を整えることなく学校に来て、朝ご飯を抜いたせいで授業中にお腹を鳴らしている。

 ちなみに、お腹の音は碧依の自己申告であって、ぼくがわざわざ聞いているとか、とてつもなく大きい音がするというわけではない。

 って、どうしてぼくはこんな言い訳めいたことを考えているのか。


 そんなわけで、孤独の期間を終えた碧依の家に、ぼくは放課後まっすぐに向かっていた。


「碧依ー、いる?」


 インターホンを鳴らしても反応はない。これはいつものことだから焦る必要はない。

 まあ、いつものこととして鍵をかけていない玄関扉を思うと、その不用心さに焦るけれど。


 今日も玄関の鍵は掛かっていない。


「邪魔するよー」


 声を出しながら入れば、玄関に脱ぎ散らかされたローファーと靴下が見える。黒のハイソックスは、片方はなぜか靴から抜け殻のように飛び出しており、もう一方は三和土から上がった先、廊下の中ほどに転がっている。なぜもう数歩先まで行って洗面所で脱がないのか。


 すっかり慣れたしまった靴下回収をして、まだぬくもりの残るそれを洗濯籠に放り込む。


 リビングダイニングの扉を開けば、ソファーの上に転がった大きなネズミの姿を見つけた。

 灰色のニットトレーナーに同色のズボン――こちらは寝間着――を着た碧依は、ぐってりとソファーに転がってぼんやりと天井を見上げている。

 瞬き一つする気配がない、開ききった目が怖い。


「碧依、今日はどうする?」

「……全部、めんどう」

「それ、いつもじゃん。晩御飯は?」

「…………晩御飯は?」

「はいはい、作ればいいんでしょ」


 こてんと首をかしげる動きに合わせ、赤茶の髪がさらりと揺れる。光が差すと夕日色に見えなくもない、やわらかい色合いの髪。

 ソファーに変な風に寝そべっていたからか、髪は後頭部のあたりがくしゃくしゃになっていた。


「ん」


 ぼくの視線に気づいた碧依が、流れるような動きで櫛を差し出してくる。

 それを受け取り、ソファーに座る。

 のっそりと起き上がった碧依が、ぼくの膝に乗る。

 ぼくを背もたれにした碧依は、ふはぁ、と気の抜けた声を漏らして、それからぼくを見上げて首をひねる。


「……ん、優兎。背、伸びた?」

「あ、そうかもなんか碧依が小さく見える」

「……そっか」

「そうだね。とりあえず、髪を梳けないから少し離れて」

「怠い」

「……なんかくたびれたおじさんみたいだね」

「気怠い」

「少し官能的になったかも?」

「かったるい」

「ヤンキーっぽいかな」

「……ん」


 飽きたのか、のっそりと体重を前に運ぶ。ぐちゃぐちゃになった髪を梳きながら、今日の晩御飯は何がいいか、ぼんやりと考える。


「……止まってほしいなぁ」


 座り心地が悪いのか、碧依はぐりぐりとぼくの両足を開かせ、その間にすっぽりと腰を落ち着ける。つまり、ぼくの太ももよりもソファーの座面のほうが座り心地がいいということ。


「勝者、ソファー」

「負けても全然悔しくないや」

「最近の若いもんは……面倒くさい」

「すぐに飽きが来るあたりが実に若者らしい、かな」


 ぐってりともたれかかってくる碧依は、ぐりぐりと首をひねり、後頭部をぼくのみぞおちあたりに押し付けてくる。おかげでせっかく梳いた髪がまたくしゃくしゃ。もしかして、わざとやっているんだろうか。

 ひょっとしたら、ぼくはテクニシャン? トリマーの才能があるかもしれない。


 もう高校二年生。そろそろ、真剣に進路を考えるべきだろう。

 なんて、漠然と「とりあえず大学に行っておこうかな」と思っているぼくが言っても説得力がない。


「……ねぇ、優兎」

「何?ぼくのトリマーの才能に気づいた?」

「…………?」

「お願いだから何か反応してほしいかな」

「とりま、黙って」

「上手い?」

「優兎のご飯はおいしい」

「碧依に言われてもなぁ。碧依のほうがよっぽど上手でしょ」


 碧依の両親とは違って、ぼくの父はごく普通のサラリーマンで、母は専業主婦だ。そんなわけでぼくが家で料理をする機会はほとんどない。

 ぼくの料理が上達する機会は碧依に料理を作るときなのだから、より料理を作る回数の多い碧依のほうが料理上手になっているのが自然で……あれ?

 碧依は二日で料理しなくなって、あとのほとんどはぼくが料理しているよね。つまり、ぼくのほうが料理回数は多いのに……これが才能か。


「他人の作ったご飯を食べる……さいこう」

「それはよかった」

「うん。だから、結婚しよ?」

「…………は?」


 今、なんて言った?

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