固定観念

『いつも頭から離れないで、その人の思考を拘束するような考え』goo辞書引用



私は「あなたはこういう人だ」と決めつけられるのが大嫌い。


人の内面は、表面に見えるものよりも遥かに複雑だ。

私という人間を推察し、相手の中で「こういう人」と確定させる。そこまでは、誰もが誰に対しても無意識に行うこと。

問題は、その「こういう人」から私が外れた言動をした時に言われる言葉。


「そんな人とは思わなかった」


この言葉は、ネガティブな発言として私にぶつけられることが多い。


でも私は私。長年積み重なった思考も、根本的な性格も、急激に変わることはない。


あなたの失望は、一方的に作り上げたイメージから私が外れた……と表面上見えたから。

その失望は確定された『事実』となり、私に一方的にぶつけてくる。

それをする前に、なぜ私に尋ねないのだろう? と思うことが多々ある。


私に対する固定観念の捻れは、話し合うことでしか修正できない。私という人間を、言動の背景にあるものを知ってもらう話し合い。


私は、このクソ面倒臭い修正を自分からは滅多にしない。家族に対してすら放置することがある。

なぜなら、大変な労力と忍耐力が必要でとても疲れるから。

そして、私との関わりを継続させたいと思うのなら、相手から動けば良いと思うから。

誤解したまま一方的に離れていくなら、その程度の関係だと思ってる。


私は、誤解を解きたいと思う時にしか動かない、動く必要性を感じない。

まぁ……これはきっと誰でもそうなのかなと。


私の好きな歌の歌詞にこうある。


『愛情や友情はあなたがいくら疑えど

一方的に与えられて

あなたが決められるものじゃないや』

(WOODEN DOLL:米津玄師)


これに尽きると思う。

私に対しても、あなたに対しても、その感情は一方的に与えられ、自分では決められない。


だけど、この歌の歌詞はこうも言ってる。


『ちゃんと話してよ 大きな声で』


これが出来るか否かで、関係が続くか続かないかが決まるのかもね。



以上、本日はここまで。

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