鉛筆のアルバイト

@RGSnemo10110104

鉛筆のアルバイト 序


 知り合いがナイフを贈ってくれた。

 最近スケッチに傾倒していたので、早速鉛筆を削ってみることとする。

 匕首を模したデザインで、ハンドルとナイフケースには、本物の白鞘と同様の朴ノ木が用いられているという。白く細い直方体を両端へ引けば、位の高い光沢がちらりと姿を覗かせる。鞘をゆっくりゆっくり動かしていくと、その光沢が厳かに全身を現した。

 刃物を頂戴した途端、抜き身を晒して何かを斬ってみたいという欲求に駆られるとは、私もまだまだ子どもだ。幼少の感性を忘れることのできない若輩者だと笑われるかもしれないが、それでも構わない。これほどの一級品を仕舞って飾っておくだけなど、到底在り得ない。

 笑いたい奴は好きに笑うがいい。


「刃物を手に入れた途端、抜き身を晒して何かを斬ってみたいという欲求に駆られるなんて、まるで子どものようですね。ですが、幼少の感性を忘れずに若いままでいるというのは、ある種美徳だと言えましょう。ふは、ははは」


 笑うな

 左斜め上二十一度に切り揃えられた前髪の真っ直ぐさとは、似ても似つかぬほど曲がり切った性根を持ったぱっつん娘が、呵々々の呵と物の怪じみた笑い声を上げていた。

 ひょんなことから知り合って以降、何かつけては私に付きまとってくる、かの忌まわしきぱっつん娘。ちくしょう、侵入を許してしまったか。

 すると、当のぱっつん娘は、ひょいと机の上の鉛筆を摘まみ上げ

「臙脂色、HB……スケッチに使っているのはこれだけですか?」


「一応予備が二、三本はある」


「全く同じのが?」


「全く同じのが」


 はぁぁぁぁぁ、と、ぱっつん娘の口から屁かと聞き紛うばかりの大袈裟で汚下劣な溜息が放出された

「たった一種類、それも三本の鉛筆でスケッチが出来ると思っているのですか!」


「出来ているだろう、実際」


「スケッチは鉛筆だけを取っても、濃さの違う鉛筆が十本・硬さの違う鉛筆が十本、つまり計二十本は必要なんです! いえ、もしかすればそれ以上に必要かもしれません……!」


 気持ち悪いくらいにスケッチへの熱を見せてくる。此奴がこれほどに美術へ興味を示したことなど、これまで一度も無かったはずだ。最近見た漫画か映画かに感化されたのだろうか。

 また、よくよく聞けば小娘は、美術家が行う本格的なデッサンについて語っているようだった。


「軽視するつもりはないが、俺はそこまで本格的な描画は求めておらん。趣味や道楽の類だ」


「遊びだからこそ本気で取り組まなければならないのです! 偉大なるピカッツォに於いても、深く絵画表現について理解しているからこそ、あのようなグチャグチャの落書きに見える絵でありながら古今東西から高い評価を得ているのですよ!」

 ピカッツォの絵は遊びでなく本職だろうが。



@@@@@



 鉛筆の歴史。それは中世ロシアにまで遡る。

 当時のロシアの大地は非常に炭素濃度が高く、数多くの種類・個体の植物が群生していた。

 その中でもひときわ繁栄を極めていたのが、ススマツというマツ科の植物だ。

 極北の地にて育つススマツは、通常の植物よりも多くの水分・栄養分を必要とする。ロシアの過炭素大地から吸い上げられたそれらには大量の炭素粒子が混入しており、浸透圧の原理によってススマツの髄を黒く染め上げた。また、ススマツは零下を記録することも日常茶飯事な極寒の気温に耐えるため、樹皮は硬く、幹は高密度なものへと成長していく。

 果たして、ほとんどが炭素と化した黒い髄は、強い圧力を加えられて硬質化される。そのススマツの枝を伐採し先端を削ったものが鉛筆の始祖なのだ。


「現代は流石にコストの関係で、ススマツではない木材と人工的な黒鉛を用いて製造されたものが流通しているそうです。ですが、精密かつ大胆な作品を創ろうと志す芸術家の中には件のススマツの鉛筆を使っているという人も少なくはありません。国語の教科書に採用された、人間と動物の交わりを記したとある物語では、その芸術家が描いた雁の絵が掲載されていました」


 鉛筆に関する嘘か真か分からない蘊蓄を滔々の滔と垂れ流しながら先導するぱっつん娘。

 我々は今、とある森林に来ている。

 否

 私は今、とある森林に拉致されている。

 芸術に対する情熱をぱっつん娘が迸らせたあの後、彼奴は私の腕を猛禽の鉤爪のようにグワシと掴み、拒む私を引き摺って森林行きの鈍行列車に押し込んだ。

 この鈍行列車についてだが、あと数分待てば同じ目的地に向かう快速列車が到着していたはずなのだ。それを選び、乗り換えを駆使すれば鈍行列車よりも早くこの森へ着くことが出来た。だが、突発性芸術熱に浮かされた小娘がその事実に気付くことは、これっぽっちもなかった。


「この先にススマツの群生林があります。赤っぽい幹は軟らかい物体を描写するのに、青っぽい幹は硬い物体を描写するのに適しています。濃さに関しましては、葉の色を見て頂ければすぐに分かるかと思います。たくさん採って良い絵を描きましょうね!」


「たくさん採ってだと? 森の木を勝手に切っていいはずがないだろう。この列島の森林は国が持つ国有林か、他人様が持つ私有林しかない。どちらも勝手に切っていいはずが無いし、私有林に至っては立ち入ることすら憚られるのだぞ」


「問題ありませんよ。ここら一帯の森は確かに私有林ですが、持ち主は先月に茶寿を迎えられたご婦人です。お歳と広大な土地のため管理があまり行き届いておらず、息子一家も孫一家も曾孫一家も困っていたそうです。枝を刈りたいと言ったら、喜んで許可してくれましたよ」


「しかし、景観を保つための剪定でもなく、森林を生かすための間伐でもなく、ただ己らの利益のため森の木をいたずらに刈るのはあまり気が乗らん。この森にも獣や鳥や多種多様な生き物が棲んでいるだろう。お前の言うようにたくさんの枝葉を切り落とせば、かれらにも何か影響が出やしないか?」


「偽善者みたいなことを言いますね」

 なんだとこいつ。何様のつもりだ。


「この森を持っているのは誰ですか? そうです。御年一〇八歳になられる老婦人です。毛畜生も羽畜生も老婦人の持つ森に勝手に棲み着いているだけの存在。言うなれば不法滞在者ですよ。そんな存在に我々が配慮する必要が一体どこにありましょうか。

 人が利益を得るために、人の所有する財産を消費する。この行いは道理が通っていますよね? しかし、あの畜生共の行い──老婦人の森に勝手に棲みつくこと──には道理が通ってはいません。どちらを優先すべきかなんて火を見るよりも明らかです。その過程が気に食わないと言うのであれば、何処か他の山にでも行けばいいじゃあないですか。

 そもそも、枝の五、六〇本を刈り取られた程度で生存が不安定になるような種など貧弱にも下限があります。そんな連中ならば、ここで終わらせてあげた方が優しさというものですよ」


 そうだ。こいつはこういう奴だった。


 こいつは人間様だ。


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