第3話 黒い涙の滴る絵画

 旧校舎の美術室には昔大きな絵画が飾られていたらしい。それは一人の子供が描かれた絵画だったそうだ。七年前のある夜、宿題の絵を忘れた生徒が学校に忍び込んだ。その日は大雨だった。傘をさし雨に濡れながら学校を目指したその生徒は旧校舎の鍵のかかっていない壊れた窓から忍び込み、二階の美術室を目指した。


 美術室に入るとあの絵画が目に入った。その絵画の子供が動いていたそうだ。生徒は悲鳴を上げて家に逃げ帰った。


 翌日、絵を確認すると、絵画の中の少年の絵に変化があった。少年の左の目から黒い涙が流れていたそうだ。


「それが美術室の黒い涙の滴る絵画っていう怪談なのよ」

 いつものファミレスで森里が教えてくれた。テーブルからこちらに身を乗り出している。

「また気味の悪い話だな」

「そうなの、で実はね」

 森里は小声になり、顔を近づけてくる。俺は耳を近づけた。

「その怪談を話してくれたのが野崎先生なんだって」

「マジかよ」

「マジマジ、先生うちの学校の卒業生らしいよ」


 森里とはここ数日で仲良くなっていた。なんか気軽に話せる友人のような関係になっている気がする。もし新井にバレたら茶化されそうだ。


「野崎先生の知り合いの話なのか?」

「先生本人だって」

 体験談だったのか。俺は考えて、

「これは想像だけどいいか?」

 うんうんと頷いて森里は真剣な顔をする。

「雨ってことは傘を持ってくるだろ。その傘を美術室まで持ち込んだんじゃないか? その傘の水滴が絵についてしまって汚れ、それが事件の真相なんじゃないと思う」



「残念だけど違うわ。その子供の目は灰色だった。灰色からは黒は生まれないでしょう」

 と野崎先生に否定された。場所は放課後の職員室だ。

「それに――」

 絵のかけられている場所が美術室に入って左手奥の壁だったらしい。

「絵の高さはどのくらいでした?」

「そうねぇ、大きな机があるじゃない。そこに少年の足がかかる感じだったわね」

「その絵の子供のことは調べたんですか?」

「あの絵は当時の校長先生が描いたものよ。絵の少年も校長先生がモチーフなの」

「先生、その絵って今どこにあるんですか?」

「旧校舎一階の倉庫だったわね」

 野崎先生は言った後で顔を曇らせた。

「その話、本庄さんも聞いてきたわ」



「これじゃない!?」


 倉庫内で森里が指し示したのは大きな一号のカンバスだった。絵には大きな少年がリアルで描かれている。中性的な顔立ちの少年の瞳は右目は灰色だったが、左目からは確かに黒い液体が流れていた。俺は気味の悪い絵に思わず呻いた。


「裏側に名前がかいてあるよ」


 カンバスを裏返すと、そこには松原雄一と書かれていた。あの失踪した校長の名前だ。もう一度裏返して絵を見てみた。やっぱり気味の悪い絵だ。めまいがする。



「大丈夫?」

 中庭で休んでいると、森里が缶ジュースを買ってきてくれた。

「サンキュー」

 コーラを受け取る。

「あの絵、何と言うか恐ろしいな」

 あの絵を思い出しただけで身の毛がよだつ。

「気持ちはわかるわ。あたしも苦手かも」

 俺はコーラを飲んで冷静になって思案する。


 一つ気になっていることがあった。旧校舎の床の材質だ。缶コーラを持ちながら旧校舎の窓から中を覗き込む。床はニスが塗られているのか光っていた。水もはじきそうだ。


「わかったかもしれない」


 

「あの日は雨が降っていました。その野崎先生の前に生徒が入ったんだとしたら当然壊れた窓からです」

「そうね。当時は他に鍵がかかっていたから」

「でしたら、先生は雨の跡、床に傘から滴り落ちた水を見ていないとおかしいはずです。傘は壊れた窓に立てかけられていなかった。つまり、窓から入るのは不可能なんです」

「でもそれなら誰が!?」

「校長先生です。当時も旧校舎に住んでいたんですよね」

 野崎先生は珍しく狼狽していた。


「それが、校長先生は当時出張していたのよ」


 じゃあ、誰も旧校舎には入れないことになる。本当に絵が動いたのか? 俺は自分が震えていることに気が付いた。

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