五十一話 水底で揺蕩う

 沈む。

 沈む。

 沈んでいく。


 暗い底へ、沈んでいく――まるで、あの時のようだ。

 ただ……必死で抗ったあの時と違い、今はこちらに来てくれと呼ぶ声に身を任せている。


 深い深い水の底。行き着く先は人ではないと切り捨てられた者たちの墓場。

 狭く暗くどこまでも深い水の底に積み上げられた死者たちが、寂しい悲しいと叫んでいる。

 こっちに来てと懇願している。

 助けて欲しいと願う声が泡沫となって浮かんでくるが、結局は外に届くことなく弾けて消える。


 人として生まれたのに、人として生きていたのに……人には非ずと隔絶され、どこにも行けない、なににもなれない、哀れな者たちの成れの果て――悲しいという思いは、自分にも覚えのある感情だった。


 だから拒絶出来ない。

 呼ぶ声を、手招くものを、理解出来るからこそ否定できない。

 それならもう、このまま沈むしかないじゃないか。


 だんだん考えることがおっくうになってきて、眠りたくなった。

 寝て、起きて、それから考えればいい。

 沈む意識と体に、抗う気力はすでにない。


(俺も……いま、そっちへ……)


 ――和くん!


 パチンと小さな泡が目の前で弾けた気がして、思わず目を開ける。

 飛び込んできたのは、暗い水の中を明るく照らす月。


(月……?)


 月なんて、出ていたか。

 パチパチと瞬きを繰り返していると、手が、伸びてきた。


 和くん!


 パチン、と泡が弾ける。

 なにかが繋がるように、夢から覚めるように――目を見開いていた。


(あぁ……それは、俺の名前だ)


 必死にこちらに手を伸ばすのは、自分の後輩だ。

 雲野 月乃。

 人がよくて繊細そうに見えるのに、変なところで強情で思い切りがいい――どうしてこんなところにいる?


 生きている人間に、水の底から手が伸びる。

 こっちにおいでと誘う手が、月乃にまで及ぶ。息が苦しいだろうに、こちらの手を必死に掴もうとする彼女を見て――体が動いた。


 一緒に帰ろう!


 しっかりと自分よりも小さくて細い手を握った瞬間、そんな声が届いて……日根 和はこくりと頷いた。

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