三十九話 掌の上か否か

 ――海脛高原から戻って数日。

 月乃は向かいのデスクに座る和をちらりと盗み見る。


 いつも通りの、彼だ。

 ともすれば不機嫌とも映る仏頂面でカタカタとパソコンのキーを一定の速度で叩いている。


 月乃の視線に気付けば「どうした?」と分からないことでもあるのかと気遣ってくれる先輩に、なんでもないと返事をしつつ月乃はもやもやを抱える。


(嘘……)


 本当は、気になっている。

 海脛での顛末……別行動していた和の状況は、あとで祭に聞いた。


 波田の一族が神と崇めていた存在を食べて同化し、異形の化け物になっていた栄二の二番目の姉……千依里に言葉巧みに騙されて同情してしまった――というのだ。


 神だったモノと人だったモノが混ざって生まれた化け物を野放しにしておけば、これからもっと多くの人が死ぬからと祭はその化け物に対処した。


 それが、月乃が聞いた自分の知らない高原での出来事。

 祭が語ったことが全てではないことは月乃も分かっているが……和にこの話題を振ることはできなかった。


 そうしている間に日にちが過ぎ、何事もなかったかのように事務仕事に励む和は以前と変わらない。だが、お昼になるといなくなることが増えた。


 いつも顔をつきあわせて昼食を取らなくてはいけないなどという決まりはないので、和が外に食べに行くのは彼の自由なのだが――なんだか、避けられている気がするのだ。


 そして今日も和は、昼休憩になるとさっさと外に出ていった。


「…………」

「くぅ~ん?」


 ミコが心配そうに鳴くので、月乃は慌てて笑う。


「大丈夫だよ、ミコ。なんでもないの」


 学生時代や前職で感じた悪意ではないものの、どこか壁を感じてしまい寂しく思ってしまう。

 サポートしてくれるし、教え方だって分かりやすい。外に出るような事態が起きていないからか、向いていないという発言も海脛以降は言われていない。仕事をする上で不便はない、むしろ快適であるのに……。


(寂しいなんて……)

 

 和は職場の先輩であって友人ではないのに、どうしてそんな風に思うのかと月乃は自分を叱咤した。


「なごちゃんが気になる?」

「ひゃあっ!」


 急に後ろから声をかけられて、月乃は飛び上がって驚いた。


「お、驚かせるのはやめて下さい……!」

「あ、ごめんねー」


 いつの間にか席を立った祭が、すぐ後ろでニコニコしている。口では謝罪しているが、まったく悪びれていないのはその笑顔で分かった。


「だって熱心にドアを見てたからさぁ~。気になるの?」

「……いえ、別に……」

「あれは勝手に落ち込んでるだけだから、放っておきな」

「…………」

「なごちゃんはさぁ、ツンツン捻くれてるように見えて、お人好しの甘ちゃん坊やだから。割り切るってことができないんだよね」


 けたけたと笑いながら祭は自分の席に戻るとイスに腰掛け、だらけるように背もたれに寄りかかる。

 

「あの……祭さんと和くんは、前からのお知り合いなんですか?」

「ん~? おじさんのことも気になっちゃう?」


 からかうような物言いに苦笑して月乃は頷いた。

 仕事関係だけで成り立つ上司部下にしては、気安い気がしたのだ。


「でも、あの、言いたくなければ……」

「ううん。別に隠してるわけじゃないから、かまわないよ。……なごちゃんとは、彼が子どもの頃からの付き合いだよ。知り合った時はまだ小さかったから、おじさんが面倒見てたの」

「――え……? 和くんのご家族は……」


 祭はイスを軋ませ起き上がると、ひらひらと片手を振った。

 もういない、という意味か。


(そうだとしたら……和くん、この前のお仕事は、ショックだったんじゃ……)


 波田 栄二は実の家族を拒絶していた。

 家族を亡くしたという和にとって、どんな形であれそういった話題に触れるのは心情的に厳しかったのではないだろうか。

 ましてや、彼が対峙していたというのは異形とはいえ波田の姉でもある……――言葉巧みに騙されたというのは、もしかして家族という情に訴えかけられたからでは?


(……なんて、全部推測だし口には出せないけど……。様子が変なのって、そういうことなのかな)


 月乃を助けてくれた時もそうだ。家族に会いに行ってショックを受けた月乃を気遣ってくれたのは、彼が家族を亡くしているからだったのかと。


「……すみません、立ち入ったことを聞いてしまって」

「かまわないって言ったでしょ~。別に秘密でもなんでもないし~。……っていっても、なごちゃんはおじさんのこと毛嫌いしてるから自分からは言わないだろけど」

「え? ……た、たしかに、ちょっと口が悪い時がありますけど、それだけ祭さんに気を許してるんじゃ……」


 いやいやと祭は首を横に振った。


「なごちゃんって、本当に気に入ったモノは大事にしまっておくタイプなのよ~。壊れないように……盗られないようにね」

「盗られる……?」


 含みを感じて月乃が反すうしたものの、祭は聞こえなかったのか――聞こえないふりをしたのか、そのまま話を続ける。


「でも、おじさんの扱いは酷いでしょ? あの子、おじさんには万年反抗期なんだよ。いい大人なのにね~?」

「それだけ、気兼ねなく甘えてるとか……」


 はははと祭は明るい笑い声をあげ、再びイスにもたれかかった。


「だったら可愛げがあるんだけど」


 そう締めくくる祭に、月乃は今聞いた情報を整理するうちにある疑問を抱く。

 

「…………あの」

「ん?」

「つかぬことをお伺いしますが」

「どうしたの、かしこまって」


 自称おじさんの若々しい上司を見つめ、ごくりと緊張にツバを飲み込んだ月乃は意を決して口を開いた。


「和くんが小さい頃から知っていて、その……面倒見ていたっていうのなら……祭さんは、おいくつなんですか?」

「……あは」


 祭はにっこりと笑う。

 これはあれだ。誤魔化しの笑みだ。


「いくつに見える?」

「え、えっと二十八才くらいですか?」


 月乃が、自分の予想より少しだけ上の年齢を伝えると、祭はパッと表情を明るくした。


「えー、おじさんそんな若く見えるの? うれしいな~。じゃあそれで!」


 普通、年齢は「じゃあそれで」と決められるものではない。どうやら、祭はまともに答える気はないようだ。それに年齢をしつこく聞くのもよくないと思い、月乃は「はい」と頷いて引き下がる。


「月乃ちゃんは引き際を心得てるよね」

「え?」

「境界線の見分け方が上手ってこと。重要なことだよ~、これから先も、うちで働くなら」

「――ぁ……もちろんです! がんばります……!」


 月乃が頷けば、祭は「よかった~」と手を叩く。

 ――だが、和は認めてくれるだろうか。

 決して月乃を邪険にはしないが、それは今現在は事務仕事だからだ。もしまた、外に出て調査することになれば……。


(でも……それでも、わたしはがんばるって決めた。和くんにも認めてもらえるようになるって)


 そんな彼が、家族を亡くしていた。それで前回の仕事に支障が出たのなら――次からは自分がサポートしてみせる。後輩として……それから、友人として。


(あぁ、うん、そっか……。わたし、和くんと友だちになりたかったんだ)


 困ったときに助けてくれた彼が困ったとき、同じように助けられる関係になりたい。

 だから――守らなくてはいけない弱々しい存在ではなく、雲野 月乃は頼れる奴、そんな風に思われる存在になりたいのだ。


 昼休憩はまだ終わらない。和はまだ、戻らない。

 きっと、彼が戻ってきてもどこか薄い壁のようなものを感じるだろう。

 また自分は寂しいと思うかもしれない。

 けれど――なりたいものがなんなのか、分かったから。


「……わたし、がんばります」


 小さく呟く月乃の声を拾った祭は、その胸中を察しているかのように穏やかに笑い頷いた。


 ――がんばって引き止めてね

 

「え?」

「ん? どうしたの?」

「あの、今なにか言いましたか……?」

「ううん、なにも言ってないけど……。あ、もしかしておじさんの心の声が聞こえちゃった? 甘酸っぱ~いってやつ!」


 茶化す祭に、月乃は「そういうんじゃありません」と否定しつつも首をかしげた。

 祭がなにか、聞き取れないほどの小さな声で呟いた気がしたのだが……。


 空耳かと思った月乃は祭に謝る。

 それから、話に夢中になっていたことに気付き各自昼食に入る。

 お茶を入れてきますと行って、給湯室にかけていく月乃とそれに付きそうミコ――ミコは一度物言いたげに祭を振り返るも、バイバイと手を振られると月乃の後を追いかける。


 ――ひとりきりになったそこで、祭は唇を笑みの形に歪めて呟いた。


「あのヒネ坊主は、気付くかな。お嬢ちゃんを守ってると思い込みながらその実、自分のことを守っているんだって――成り代わられた者の、もしもの未来を目の当たりにした今、ただ彼女に自分の願望を押しつけているだけだって気がつくことができるかねぇ」

 

 気付いてもよし気付けなくてもよし。

 ――どちらにしろ、自分が見ていて楽しければそれでいい。

 祭の楽しげな独白を聞いた者は誰もいなかった。

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