二十六話 汚れた「  」

 スカイラインという高原へと続くクネクネした道路を走っていくと、海脛高原パーク駐車場という看板が目に入った。


 がら空きのそこに車を停めると、見晴らしのいい高原に子どもが遊べるような遊具やログハウス風のショップなどが目に入る。【ようこそ、海脛高原パークへ!】と動物とともに描かれた可愛らしい案内図を見るに、ここではなく道路を挟んだ向こう側に設備を整えているらしい。


 問題のコテージは、公園やドッグランを越えた奥にあった。


「うーん、現場は向こうかぁ」


 案内図をながめていた祭が、大きく伸びをしながら歩き出す。慌てた月乃が後ろを追いかけていく。

 和もその後に続こうとしたが、反対側に広がる土地に視線を向けた途端に耳鳴りがして、思わず顔をしかめた。

 気のせいかと思ったが、なんだか少し頭がクラクラする。


(……ここって……)


 表向きは自然豊かで綺麗な場所だが……。


「……マジか、これ……。ようこそ、とかやってる場合じゃねーだろ……」


 三半規管を狂わせるような奇妙で異様なこの感じ。「なんか嫌」という感覚を拭い去れない和は、無意識にファンシーな看板にケチを付けてしまう。


 ――汚れているのだ。


 見た目は綺麗、だがここはなにかがおかしい。綺麗な空気にじっとりと混じって絡みついているのは、汚れたなにか。

 人が多い場所にありがちな気の淀みは、自然の中にあれば普通は新鮮な気に溶け込み、どんどん循環され消えていき、蓄積されるということはない。

 そのはずなのに――生ゴミをため込んでいたら、どれだけ隠していてもだんだんと匂いが漏れ出すのと同じように――本来ならありえないはずの汚れが、どこからか滲み出している。


(なにをどうしたら、ここまで汚せるんだ? ……異常だろうが……)


 本能が警告を出した。


 ――月乃の後ろ姿が目に入る。


 今回限り、なんて言っている場合ではない。


 ――祭に追いつき、なにかを話し、和のほうを振り返る。


 これは、関わらせてはいけない案件だ。


 ――いつまでも動かない和を心配した様子で、月乃が口を開いた。


「和くん?」

「――っ」


 止めないと。

 それは直感だった。

 だが、和がなにかいうよりも早く、月乃の注意を引いた者がいた。


「月乃ちゃん」

「はい?」

「なごちゃんは車酔いしたみたいだから、先に行ってよう」


 祭だった。月乃を呼びよせ、パークのゲートを指さし――月乃は道路を横断しそちらに向かう。さらに距離が開いていくのに焦り、和は思わず目を見開いた。


「――まっ……」

「なごちゃんは、よ」


 呼び止めようとした声が、喉に張り付いたように詰まる。

 踏み出しかけた足が、石になったのかと錯覚するほどに重く、動かない。

 祭は笑みを浮かべて手を振ると、月乃のほうへ歩いて行く。


 和はただ、突っ立って、それを見ていた。

 ふたりは道路を挟んだ向こう側にある高原パークとやらのゲートをくぐってしまう。


(野郎っ……!)


 和はそこから一歩も動けないまま、目付きを鋭くさせてふたり――いや、祭が消えたゲートをにらんでいた。

 初めから、祭はこうするつもりだった――今さら気がついても、和は〝少し〟という時間が過ぎるまではここから動けない。


 ここは、おかしい。

 不審死の調査?

 それだけではすまない。

 ――そんなこと、祭がいちばんよく分かるだろうに。


(あの野郎、ふざけんなよ! 雲野は普通の人間なんだぞ!)


 呼び寄せやすい、引き寄せやすい――多少なりともその性質があるとはいえ、月乃自身は普通の人間。そんな彼女を、守る存在もいない状態で関わらせるべき案件ではない。


 この地には、なにかがいる。

 そのなにかが、この地の循環を阻んでいる。

 そして――なにかが、人間をひとり殺した。


(最悪だ……。この土地を支配するだけの穢れ持ちなんて聞いてないぞ。これじゃあ、死んだ人間は生贄じゃねーか!)


 意図したか偶然か、それは分からない。

 しかし、生贄を捧げられるほどのなにかという存在には、昔からある呼び名が与えられている。


 其、即ち、神と――。

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