其の名は
二十三話 日根 和は悩んでいる
日差しも強くなり、そろそろ夏の気配が近くなってきたある日のこと――ほどよく冷房の効いた事務所内。
「不審死?」
「そっ」
朝一番に祭が口にした単語に、和は思わず聞き返すように呟いた。
後輩の月乃も不穏な響きに表情を曇らせ、パソコンの画面に表示されている情報を目で追っている。
そこには、県庁所在地からだいぶ離れた小さな町で、県外からの旅行者と思われる若者が死亡した状態で発見されたという事実が淡々と羅列されていた。
「ここって……山の……」
月乃が住所に目を留める。
「そうそう、山の麓の小さな町だね」
「はい。……亡くなったのは、地元の人ではないんですね……」
月乃の疑問を引き継ぐように、和も口を開く。
「車がないと不便なところに、わざわざ他県から訪れたんだ。なんか目的があったんだろ」
どうなんだとふたりから視線を向けられた祭は、ヤレヤレと肩をすくめた。
「おじさんに聞かれてもねぇ~? まぁ、突然死って見立てだよ。自然が豊かなところだから、ちょっと町から離れたところにキャンプやら貸しコテージなんやらがあって、この子もそこに知人たちと集まってたみたいだしね」
「友だちと遊びに来てて、こんなことに……」
気の毒にと月乃は思わず呟いた。
だが、祭は「友だちっていうと微妙かな」と言い出す。
「え? 一緒に旅行するくらいなんですよね?」
「そう。でも、誰もお互いの本名を知らなかったんだって。SNS上で知り合って今回初めて会ったってわけ」
「あの……身元は分かってるんですか? ――わたしの時みたいな……」
「うん、それは大丈夫。月乃ちゃんの時とはまた違うパターンだね、これは」
「違う……?」
「そっ。突然死って発表されてるけどさ、実はこれ死因が溺死なんだよ」
溺死と聞いて、月乃は顔を強ばらせる。
川の中が底なしのようになって、自分を引きずり込んだあの記憶を思い出してしまった。
「大丈夫。違うって言ったでしょ」
それを察してか、祭は月乃の肩をぽんと叩いてもう一度「月乃ちゃんの時とは違うよ」と繰り返した。
「お前、気分悪いなら向こうで休んでたらどうだ」
「だ、大丈夫!」
青い顔を見て思わず口を挟んだ和だが、月乃はすーはーと深呼吸すると、はっきりと答えてこの場に留まり話を聞く姿勢を見せた。
渋面を浮かべるのは和だけで、ミコは月乃を支えるようにそばにくっ付いているし、祭にいたっては笑顔でそのまま話を続けようとする。
本当に大丈夫かという和の視線に気付いた月乃が、ニコリと笑うので和はそれ以上何も言えずに押し黙るしかない。
「溺死って言っても、発見されたのが場所が室内……コテージの中だったんだよ。外見に濡れた痕跡はなく、室内もしかり。けれど肺には水がたまっていたなんて……意味不明でしょ? だから対外的には突然死だけど、実際は不審な死――特殊な例として、うちの局に案件として上がってきたんだよ」
月乃は真面目に聞いているが、和は舌打ちしたい気分だった。なにも彼女に話して聞かせなくてもいいだろうと。怒りは自然と祭へ向かう。
(――余計なことをペラペラと……)
そんな風に言えば「じゃあ、なごちゃんは月乃ちゃんを仲間外れにするってこと? うわぁ、職場イジメだ! いんけ~ん!」などと返されることは目に見えているし、目の前でそんなやり取りを見せられた月乃が嫌な思いをするだろう。
実際に月乃が働き始めて間もない頃、彼女がいない隙を狙い、祭に「あまり深入りさせる仕事はやらせないほうがいいのではないか」と直訴したらそう返された。
祭の性格上、蒸し返せば絶対に同じことを今度は月乃の前でやるだろう。月乃に「自分は大丈夫、やれます」と言わせて言質を取って……等と平気でやりそうだ。
あの、一見すれば人畜無害そうな笑顔で。
月乃はもうこちらに関わった。そういう道を選んだのだと祭は言う。守っているはずのミコも止めようとはしないし、祭は積極的に月乃を案件に関わらせようとする始末……。
月乃自身も、こんな荒みそうな業務内容は聞いていませんと言い出すかと思いきや、今日のように表情を曇らせることがあっても真剣に向き合っている。
できれば、ヤバくないほうのデータ入力だけしていてくれればいいのになんて思っているのは和だけ。事務員として採用したくせに、それだけで済ませようと思っていないのは明らかで本人も拒否していない。
――和だけが、月乃を案件に深入りさせることに後ろ向きだった。
「それじゃあ、今回はこの町まで行くんですか?」
「そうなるね。月乃ちゃんは……」
「留守番だろ。事務員として、留守を預かってくれるんだろ」
祭がなにか言う前に、和は強引に会話に割って入った。
月乃が驚いた顔をして、それから少しだけしゅんとしたのが気になるが、連れて行ってまたあんな思いをすることはない――そう思った和だったが。
「え? 別に、こんなところに来るのは本部のおつかいだけだから、一緒に行けばいいじゃないの」
やはり祭が、あの人誑しな笑顔で小首を傾げ、そんなことをのたまった。
パッと気力を取り戻した月乃が「同行させて下さい!」などと言い出し、ミコが止めるでもなく元気よく「わん!」と鳴く。
(ああ、クソ! やっぱりこうなるのか!)
そんな和の胸中を知ってか、祭がぽんと肩を叩いた。
「過保護はよくないよ、なごちゃん先輩?」
先ほどまでの柔和そうな笑みではなく、自分の胸中を見透かし小馬鹿にしたような笑い方の、なんとムカつくことか――和は、月乃とミコの手前、ぐっと言葉を飲み込んで「そんなんじゃない」と答えるに留まった。
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