十九話 お詫びに

 カランカランと軽快なベルを鳴らし扉が開閉する。

 店から出てきた明るい髪色の青年は「やあ」とまるで親しい友人のような人懐っこい笑みを浮かべて片手をあげる。

 まるで、月乃がそこにいることが分かっていたように、驚くこともなく笑顔で近づいてきた。


「あ、の……すみません、待ち伏せとかして……!」

「大丈夫、分かってるって。……きみのこと、かわいいな~って思ってたんだよ」


 あれ、と月乃は目を瞬く。それから「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。


(勘違いされてる!? どうしよう!?)


 けれど、相手はどんどん距離を詰めてきて、月乃はその分を稼ぐように後退する。その間、月乃は早口でまくしたてていた。


「違うんです! そういうんじゃなくて、この前一緒にいた男の子に、これを渡して欲しくて……!」

「ん~? 分かってる、分かってる」


 分かっているならグイグイ来ないでと胸中で悲鳴を上げた月乃だが、どんっと背中がなにかにぶつかった。


「なにしてんだ、おっさん。ケーサツ呼ばれてーのかよ」


 あれ、と月乃は顔を上げる。そうすれば、あの不機嫌そうな表情を浮かべた少年がいた。

 パッと青年を見れば彼はニコッと笑い一言。


「分かってるって言ったでしょ? せっかくなら、直接返すといいよ」

「…………」

「サプライズ成功! かな」


 つまりは……からかわれた。

 そういうことだろう、呆ける月乃をよそに青年は悪戯の成功を喜び、さながら子どものような無邪気さで笑っている。

 少年は、そんな彼を苦々しくにらんでいたが、月乃が自分を見ていると気付くと少しだけ目元を和らげた。といっても、怒っているのが不機嫌そうに見える――くらいの変化だが。


「……あの……」

「なに?」

「ぶ、ぶつかって、ごめんなさい」

「別に。……どうせそこにいるおっさんのせいだろ。気にすんな」

「あ、あと、これ……」


 そろそろと、月乃は紙袋を差し出した。


「かりていた、上着とハンカチです。あの時は、ありがとうございました」

「……っ……捨てろって……」


 息を呑んだ少年が、かすれた声で呟くのが聞こえる。


「……あの時親切にしてもらって、わたし本当に嬉しかったし。だから、ちゃんと返したいなって思ってて……」

「律儀な奴」


 少年はぶっきらぼうにそう言うと、紙袋を掴む。


「……ありがとよ」


 そして、少しだけ照れくさそうに目を伏せた。月乃もなんだか気恥ずかしくなって「お、お礼の言うのはこっちだから!」と早口になってしまう。

 面白そうにふたりのやりとりをながめていた青年が「じゃあさ」と声を上げる。


「せっかくだから、どっかでお茶しよう」

「へっ!?」

「――は?」


 思いがけない申し出に、月乃の声が裏返る。

 なにが「せっかく」なのかは全く分からない。だが彼の提案は正直な気持ち、嬉しかった。

 どうしてそんな風に思うのかは分からないが、なんだかこのまま別れるのは、名残惜しい気がしたのだ。

 だが、少年は低い声を出して青年をにらむ。気乗りしないか……とにかく、都合が悪いのだろう。どうやら青年と待ち合わせていたようだし、この後用事でもあるのかもしれない。

 

 自分を変えると決めた月乃だが、我を張り通すことを良しとしたわけではない。折れるべきところは折れるし、引くべきときは引く。ただ、必要以上に……理不尽に我慢しないと決めただけだ。

 だから、残念だが返すべきものを本人に直接返せたことだし、当初の目的を果たせた月乃は残念だがここは引こうと思った。残念、なんて思っている自分に少し驚きながら。


「あの……」

「あ、もちろん奢りだよ? からかっちゃったお詫び!」

「え、いえ、自分の分はきちんと払います。……そうじゃなくて、お忙しいようですし……」

「あ~、全然。暇だよ暇。それとも、お嬢ちゃんは都合悪い?」


 普通は知らない相手とお茶なんて乗り気にならない。それなのに、月乃は眉尻を下げた青年の問いかけにぶんぶんと首を横に振っていた。


「よかったぁ。決まりだね」

「……俺の意見は?」

「ん? 来ないの?」

「はぁ? 行くに決まってんだろ……!」

「だよねぇ~」

 

 兄弟のようなふたりのやりとりに、月乃はクスクスと笑ってしまった。

 おかしな話なのだが、先ほどからずっと、このふたりのこんな姿を知っている気がするのだ。そんなことはないはずなのに。


「じゃあ、いい店を知ってるから、そこに行こう。オムライスが美味くてねぇ~」


 青年の提案に、少年が眉間にしわを寄せて尋ねた。


「は? それ茶じゃなくて主食だろ。今、食ってきたんじゃねーの?」

「いや、それがさぁ、なんか店の雰囲気悪くてね? 長居したい気分じゃないなぁ~って……あっ、ごめんね? お嬢ちゃんが働いてる店なのに」

「……ぁ、いえ……」


 雰囲気が悪い。

 客側から見てもそうなのかと月乃は知らず手を握りしめる。

 ――自分のせいで、雰囲気が悪くなっている。そう言われた。それが来てくれる客にまで影響が出ているなら……。


「そういや……前もなんか、客に聞こえる大声だったもんな。大変だな、お前。この間もひとりで動いてたじゃん」


 少年に声をかけられて、月乃はハッとする。


「え、見てたんですか……」

「は? ――はぁ!? ちが……ただ、忙しそうだったから……!」


 変な意味ではなかったのだが、少年はカッと頬を染めた。しどろもどろの言い訳を青年にからかわれる少年に月乃が謝罪し、また少年が青年にからかわれる。


 そんなやり取りを繰り返しながら、三人は歩き出した。

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