十話 生者の傲慢、死者の献身
よかったね。
平然と、そんな風に言われた月乃は思わず言い返した。
「全然よくないです!」
なんてことを言うのだと月乃は怒鳴るが、祭は笑顔のまま「よかったんだよ」と少し強い口調で断言する。
「でないと、きみは死んでいた。意識のない状態で川に放置されたまま。……人間、数センチの水かさがあれば溺死は容易い。きみは翌日に身元不明の溺死体で発見され、それで終わりだった」
「でも……それでも、よかったなんて……」
「きみが、生きていてよかった。助かってよかった。そう思わないと助けたほうが報われない」
祭がついっと川を見る。そこでは和がしゃがみこみ、川の水に手を差し入れていた。
その口がなにか動いているが、なにを話しているのかは分からない。
「よかっただなんて言えない――そんな台詞はね、生きてる側の傲慢だ」
「――っ」
「そんな感じだから、ミコはきみが心配でいつまでも逝けないんだろうねぇ」
「……え?」
「優しいのは結構。でもね、度が過ぎればそれは毒だ。月乃ちゃんは、ちょっと情が深いタイプみたいだし、この先も気をつけたほうがいいよ。これ、おじさんからの忠告」
最後は冗談めかした口調の祭だが、途中までの声はおちゃらけた様子の欠片もなかった。返す言葉が見つからない月乃は唇を噛む。
「おーい、なごちゃーん。なんか見つけた~?」
祭が和を呼びながら離れていく。そのことに、月乃は少しだけホッとして……そんな自分を弱虫だと嫌悪する。
姿は見えなくても膝に触れるあたたかい存在が、自分のせいでここにいるなんて考えてもみなかった。
「……ごめんね、ミコ……」
くぅ~ん
悲しげな鳴き声が聞こえる。ミコは謝ってほしいわけではないのだ。自分からの謝罪がほしくて助けてくれたわけではないのだ。祭の言った通りなのだ。
「……ありがとね」
わん!
明るい一声。
「……ありがと、ミコ……――ありがとう……」
月乃はミコともうひとり、名前も知らない恩人へ感謝の言葉を呟いた。
ありがとう、貴方のおかげでわたしは助かりました――。
(あぁ、うん……本当に、大上さんの言うとおりだ……)
貴方は死んだのにわたしだけ助かるなんて申し訳ない――そんな言葉は傲慢だ。
だから、ありがとうと月乃は繰り返す。
感じていたあたたかさが消える。
「……ミコ?」
犬の鳴き声は聞こえない。
「どこ行っちゃったの、ミコ……」
「行くべき場所へ行ったんだろ」
「……和くん……」
それは天国だろうか。ミコは安心できたんだろうか。
月乃は色々と考えたが、口には出さず「そっか」と答えるに留まった。
「……お前、おっさんになにか言われたか?」
ちらりと入れ替わりで川辺に留まっている祭のほうを気にしつつ、和が声を潜める。
「え、どう……して?」
「……目が赤い」
「うぇっ……!?」
「おっさんがなにを言ったかは知らないけど、お前が今するべきことは自分を取り戻すことだ。だから……ひとまずはそれに集中しとけ」
「うん。でも、あの、わたしを助けてくれたのは……ミコと、前の被害者なんだよね……? その子は今――」
和はそれ以上は聞くなというように首を横に振った。
「その件は、お前が立ち入ることじゃない。お前は自分を取り返して、普通の生活に帰るんだ。だから……こっち側には立ち入るな」
突き放すような鋭い声だったが、言葉から感じるのは思いやりだった。
「なーに話してる、の!」
「!!」
いつの間にか戻ってきた祭が和の背中を叩く。
「……なんでもねーよ」
「え~、だってふたりでコソコソと~」
「ちゃんと元の生活に戻すから安心しろって言ってただけだ。……だから、おっさんも余計なことをべらべら話して、混乱させるんじゃねーぞ」
にらまれた祭は両手をあげて降参ポーズをとり「はぁい」と間延びした返事をした。
おちょくっているともとれる言動だが、和は言い返さずに「じゃあ車に戻るぞ」と歩き出す。
「あの、もういいの? わたし、なにも探してないけど」
「必要な情報は、もう聴いた」
「――え……?」
一度は足をとめたものの、それだけ言うと和は歩き出す。
「頑張って人助けして、疲れちゃったんだろうね。今は眠たいみたいだし、ここにいても迷惑か。このまま縛り付けられてるのも可哀想だし、なごちゃんの言うとおり、成仏させられる人を手配しとかないとねぇ」
「……成仏?」
「そ。月乃ちゃんの恩人ちゃん。放っておいてヤバいのになったら気の毒でしょ? 自分が弱ってでも人助けしちゃうようなイイコなんだし」
そう言われて、月乃は月乃は弾かれたように川辺を振り返り水面を見やる。
そして、叫んだ。
「ありがとう!」
普段だったら絶対に出さない大声。
ありったけの声に、思いっきり感謝を込めて、月乃は水面に叫んだ。
「助けてくれて、ありがとう!!」
きらめく水面に、答えるような波紋が浮かびそれはゆっくりと大きく広がり、消える。
「……本当に、ありがとね……」
――どういたしまして!
明るく幼い子どもの声が聞こえた気がした。なんだか胸の奥がツンと痛んで、けれども悲しい顔は違うような気がした月乃は、無理矢理笑ってもう一度「ありがとう」と呟く。
その肩を、祭がぽんと叩いた。
「伝わったよ、ちゃんと」
「……だったら、嬉しいです。ちゃんと、お礼を言えてなかったから」
祭に答えると、彼は大丈夫だというように頷く。
「じゃ、おじさんたちもそろそろ車に――」
「なにしてんだ、お前たち……!」
先に車へ戻っていたはずの和が、慌てたように月乃たちの元へ駆け寄ってくる。
え? と月乃が首をかしげる一方で、祭はニコニコしている。そんなふたりを見比べた和は、祭を思い切りにらんだ。
「おい! なにやらせてんだよ。こいつは日常に帰る人間なんだぞ。こっち側に関わらせるな」
「え~? お礼は大切でしょ~? お相手も喜んでたし、問題ないって」
「あるから言ってるんだろ……!」
「はいはい、なごちゃん怒らない、怒らな~い」
誰のせいだと言わんばかりに顔を歪めた和は、今度は勢いよく月乃に顔を向ける。
「行くぞ」
「え、は、はい!」
「ふたりにさせると、あのおっさんロクなことしやがらねぇ……!」
ぶつぶつ呟く和。「怒らせちゃったぁ~」などと反省がゼロの軽口を叩きながら、祭も歩き出す。
先に歩いていたのは月乃だが、歩幅の違いからすぐに祭に並ばれた。
「どうせ消しちゃうんだから、どっちでもいいじゃんねぇ~」
肩を並べた彼が、ポツリと吐き出した一言。
「え?」
驚いた月乃が思わず祭を見れば、彼はニコニコ笑って「どうしたの?」と首をかしげている。
「あ、あの今……」
「あ~、さっきまでいい天気だったのに曇ってきたよ。なごちゃんをこれ以上怒らせると面倒だし、はやく車にもどろ?」
聞き間違いだったのか。
釈然としない気持ちを抱えつつ、月乃は祭の言葉に頷いた――。
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