口すぼめマン

@TORAERISU

第1話 はじまり

 大きな窓がある部屋で深車翌みぐるま よくは椅子に座っている。時間は午後9時を過ぎたころ。部屋の右には本棚、左にはトレーニング器具。一人住まいにしては大きめの家だ。ゆっくりと立ち上がりドアを開け廊下に出る。向かう先は彼の人生が詰まっていると言える秘密の部屋だ。入るのに指紋照合と暗証番号の入力が必要な鍵が取り付けられている。特殊なスーツがしまってある。ヒーロー活動のためのものだ。今の彼にとってのすべてだ。ほかのことが手につかなくなっている。彼は生まれつきの病気のせいで幼少期に左目を摘出しており、生体培養された眼球を移植されている。そのことが彼の心にずっと引っかかっており、見えている世界は半分偽物ではないかという疑念とともに生きてきた。自分の遺伝情報をそのままで作成した生体の義眼のはずなのに黒目部分に青色が混じっている。信じることと疑うことを半々に少年期を過ごした彼は大人になるにつれ持ち前の頭脳を生かし研究の分野へと進む。紙製料理用ラップを発明しその特許で莫大な財を築くに至った。若くして億万長者である。食に関するものを発明しておきながら本人はたいして美食家でもなく、食事と言えば近所のレストランに行き今日のおすすめを何も考えず頼むような程度であった。

この覇気のない日常を過ごす。原因は子供の頃、とある出来事だ。目の前で事故を目撃した。自動車が子供をはねた。犠牲者はまだ子供で何の落ち度もなく車にはねられた。一部始終見ていたが彼は子供のそばへ行き手当をするでも車の運転者に文句を言うでもなくただ見ているしかできなかったという経験をし、ひどく自分というものを情けなく思うようになる。化学の研究から身を引いて以来、そのことばかり思い出す。

 そんなある日、暇を持て余し散歩をしていると偶然悪人が街の善良な人を襲っている場面に出くわした。体が自然と動いた。

(助けなければ)

体はすばやく動く。悪人に殴り倒そうとするが簡単にかわされ相手は笑っている。

「なんだいあんた。こっちは忙しいんだよ、よそへ行きな」

「そうはいかない。人が襲われているところを見て助けないわけにいくか」

その時、自然と口がすぼまった。鋭い空気を裂く音がして自分と悪人が急激に近づいた。

(なんだこれは)

とっさのことで驚きながらも体中にみなぎった。怒りを拳に握りしめ相手の顔を殴りつける。口をすぼめると特殊な力が発揮できると気づいた瞬間であった。暴力。その魅力に頭がいっぱいになった。殴り倒した相手は気絶してしまい仰向けに倒れている

「平気ですか。もう大丈夫ですよ」

「うわっ。なんだあんた。い、今の動き。た、たすけてくれ」

善良な人はすこし悲鳴を上げ走って逃げて行ってしまった。

しばし呆然とした深車は自らの拳を見つめる。少し痛む。

人を救うのにこれが必要なのか、と自らに問う。答えの出ないままヒーローというものの姿がおぼろげに見える。人を救えばこの胸のわだかまりが消えるんじゃないか。自分がそれになるしか他にないという考えに取りつかれる。透明アルミニウム製の特殊素材を非合法に入手する。まだ一般に出回っていないものだ。軍事転用すら可能な貴重品だが、金持ちにはツテはいくらでもある。

全身を覆うスーツの制作に取り掛かる。設計図を引き材料の切り出しや縫製も苦心しながらなんとかこなした。自分がヒーローになる。その考えにとりつかれたように寝ずに作業した。スーツは深い青色に細い黒いラインが入ったデザインで、軽量で動きやすくなっている。透明アルミニウムの耐刃素材で急所を覆うようにし、関節部はゆとりを持たせ、それらを柔軟性の高い生地で縫い合わせてある。ヘルメットのような形状をしたマスクも装備。マスクは口元が開いていて、口をすぼめたときに動きを妨げないような形状になっている。色は沈んだ緑色。耳のところに穴があり周囲の音を聞きもらさない。おでこのあたりにLEDライトを内蔵している。目の部分はゴーグル状になっており、軍用暗視装置を分解して埋め込んである。はねあげて裸眼で見ることも可能。胸には口すぼめマンのシンボルが描かれている。シンボルは白い円形の中に黒い口を小さく絞ったマークが入っている。手袋とブーツも着用しており黒と深い青色の色調が統一されている。ブーツは靴裏の素材にこだわり摩擦が大きく、超スピードでもしっかりとグリップし、固い床を歩く時でも足音がほとんどしない。

 スーツを着込んで夜な夜な街をさまよう。口をすぼめての高速移動もこの時習得している。自分の前にある空気を急激に吸い込むと引き寄せられその勢いで前に進む。角度を調節するとジャンプもできることがわかった。パトロール。悪のない夜などない。そう考えつつ街のあらゆる場所を見回していると発見した。悪人が善良な街の人を襲っていたのだ。サッという音が聞こえそうなほど素早い身のこなしで深車は駆け寄った。何も言わずそのままの勢いで悪人を退治するつもりであったが自然と口が動いて言った。悪を裂くような声で言った。

「あらわれたぞ口すぼめマン」

悪人は肩をいからせて怒鳴ってくる。

「なんだてめえ」

ありがちな言葉を吐いた悪人は襲い掛かってくるが深車は俊敏な動きで左にかわす。身をひるがえし何も言わないまま思い切り顔面を殴る。悪人のほほの骨は折れた。体がふき飛び派手に地面に倒れこむ。うめいている相手のみぞおちをブーツで思い切り蹴りぬく。倒れている男の身体をまさぐり刃物など持っていないのを確かめると、襲われていた人があっけにとられているのをちらりと見て深車は走り去っていく。あとはなんとでもなるだろう。

口をすぼめ飛び上がり夜の街を駆けていく。

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