第41話(渚視点)私だけの顔
ほとんどの人がグラウンドにいるから、校舎裏には誰もいない。まあ、ベンチも自動販売機もないこんな場所には、普段からあまり人はいないけれど。
借り物競争の後、本当はすぐに抜け出したかった。しかし応援団として救護テントから長く離れるわけにもいかず、昼休みになるのを待ったのだ。
昼ご飯も食べないといけないし、応援合戦の準備もある。
だから、あんまり時間はない。
「桃華はさ、前に言ったよね。私と、誰とも付き合ってほしくないって」
「……うん」
「なのに桃華は、あんなに草壁と仲良くするんだ?」
「普通に話してただけだよ」
「でも他の男子とは、普通に話さないじゃん」
そうだけど、と桃華が口ごもった。
「……それで、なんでこんなとこにきたの?」
話題を変え、桃華がじっと私を見た。形のいい綺麗な瞳を見れば、戸惑っているのが丸分かりだ。
桃華、私のことが分からないんだろうな。
でもそれ、私も一緒なの。
私もどうしてこんな気持ちになっちゃうのか、まだ分からないから。
「二人きりじゃないとできないことをするため」
「……渚」
期待と不安の混ざった目に、胸の奥がぞくっとした。
桃華の頭の中は今、きっと私だらけだ。
「桃華」
いきなり、桃華の唇にキスをする。もうすっかり、この感触にも慣れてしまった。
アニメや漫画で見るキスはたぶん、もっと特別なものだったと思う。けれど私たちはいつの間にか、曖昧なまま唇を重ねるようになってしまった。
桃華の唇は少し薄い気がする。誰かと比べたことなんてないから、分からないけれど。
いつもなら、これで終わりだ。でも、今日は違う。
舌を使って、強引に桃華の唇をこじ開けた。予想外のことだったのか、桃華が目を見開く。
びっくりした?
他の人のことを考える余裕なんて、なくなった?
上手いやり方なんて分からない。ひたすら強引に、桃華の口内を蹂躙する。
呼吸が苦しくなるまで続けて、ゆっくりと唇を離した。
真っ赤になった桃華が、睨むように私を見つめている。泣きそうな瞳が、どうしようもなく可愛いと思った。
「顔真っ赤だよ」
それに、初めて見る顔だ。とろんとした瞳と、強がるようにきゅっと結ばれた唇。
教室で見せているような冷静さなんて、今はどこにもない。
「可愛い」
「……ここ、どこだと思ってるの」
「学校」
平然と答えると、桃華は黙り込んでしまった。でも、嫌だと主張するにしては、桃華の瞳は甘すぎる。
「桃華ちゃーん、藤宮さーん! いる!?」
いきなり草壁の声が聞こえてきて、桃華がびくっと肩を震わせた。
荷物をおいたままきてしまったから、昼食も食べずになにをしているのかと心配したのかもしれない。
草壁の声は、近づいたり、遠くなったりを繰り返している。
「見つかっちゃうかもね」
桃華の耳元で、そっと囁いた。
「今見られたら、私たちがなにしてたか、バレるんじゃない? 桃華、そういう顔してるもん」
息を呑んで、桃華が顔を両手で覆う。
「草壁、呼んじゃおうかな」
からかうように言ってみる。絶対、そんなことはしないのに。
だって桃華のこんな顔、私以外に見せたくないから。
「……やめて」
泣きそうな声だ。潤んだ瞳で私を見つめ、桃華が私の手をそっと握る。繋いだ手のひらは、わずかに震えていた。
「こんな顔、渚以外に見られたくない」
どくんっ、と心臓が大きく飛び跳ねた。緩みそうになってしまう頬に精一杯力を入れる。
私だってそんな顔、他人に見せる気ないよ。
そう言えば、桃華はどんな顔をするんだろう。
どうすれば、桃華はもっと、見たことがない顔を私にだけ見せてくれるんだろう。
なにを言えばいいのか分からなくなって、とりあえず私は、ぎゅっと桃華を抱き締めた。
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