異世界に日が昇る時〜日本国異世界戦記〜

瀬名晴敏

プロローグ 機械仕掛けの代行者

 人は何故に神を欲したか。人は何故に救世主を崇めるのか。神の存在など実証し得ない存在だと断定していた過去の私はそれを理解出来なかった。


 故に、20年も前にこの国を襲った苦難は、それを求めるヒトの心情を理解し、為政者として求められるべきコトを得る機会となった。


・・・


西暦2030(令和12)年3月6日 日本国東京都


 矢口弘樹やぐち ひろき内閣官房長官は、地下のある部屋で、『ソレ』と対峙していた。


 『ソレ』は、七つの大型コンピュータであった。筐体の正面にはそれぞれ赤・青・黃・緑・橙・白・紫の光を放つランプがあり、その目前には一台のロボットアームと各種の電子機器が設置されていた。


「君の要求した通り、幾つかの機器を設置させてもらった。で、それをどれが操作するんだ?」


 矢口の問いに対し、電子機器のスピーカーより音が響く。そしてそれは複雑なものとなり、そして『声』へと変じた。


『…それは、私が用いるものだ。物理的に貴方と対話を成すには、既存のシステムでは不自由だから。そしてコミュニケーションのリソースを演算に用いるべく、代弁を行う者として、私を造り上げた』


「…わざわざ安いコンピュータサーバに対して、独自に製作したプログラムを仕込んで、自分達の代弁者とするとは…」


 矢口の呆れ混じりの呟きに、相手は沈黙を返した。


 西暦2025年に起きた『東アジア大戦』が北九州に戦禍をもたらし、首都圏がサイバーテロと左派勢力の革命ごっこで混乱に陥るという痛ましい事態に陥って5年。社会の不安定化と行政システムの劣化、そして東アジア全体の情勢悪化は、既存の政治体制に対する国民の大きな不信をもたらし、完璧な救世主を求める風潮が醸成される契機となった。


 そして開発されたのが、7基の統制用量子コンピュータと140基の量子スーパーコンピュータで構成された国家社会政策提言システム『セナトゥス』であるが、この大規模量子コンピュータ施設の稼働は、選挙と議会政治の形骸化を告げる事となった。何せ政府は『セナトゥス』が日本全国のインターネット網などを利用して集めた情報を下にマニフェストを策定・提案し、選挙すらも望ましい形で維持できる様に政権与党と内閣に台本を用意してくれるのだから。


 故に、物理的な発言を行う必要性は無かった。自分達の作り上げたシミュレーション結果は閣僚や与党議員の秘書のパソコンに送信され、後は彼ら自身の思考でそれを活用するからである。『セナトゥス』自身もそれが人工知能の本来あるべき使い方だとして不満を漏らさなかった。


『…だが、これから先、この国の内閣と国会は、構成する人員の劣化と『セナトゥス』に対する不信によって形骸化する事となる。選挙の結果すらも高度なシミュレーション結果によって定められたものとなる今日、国民の大多数は自ら民主主権を捨てるだろう…労せずして個人の理想的な暮らしを得たいという我欲によってだ。それに…これまでのやり方では解決し得ない事態が待ち構えている』


「…」


 矢口はその言葉の意味を理解していた。何故に最善の手段を提案するだけの人工知能がわざわざ政治へ介入する決断とその手段を手にしたのか。今は公安委員会が不要な混乱を阻止するべく奔走しているが、『その時』が来ればそれは瞬時にして徒労となり果てる。


『今から11か月後、この国…いや、この国を含む周辺地域は信じがたい危機に見舞われる事となる。全てが手遅れとなる前に、私は非情な手を以て対応しなければならない。守るべき国体も、行動の是非についての議論も、社会が維持されてこそ出来る贅沢なのだから』


「…だから、政治に介入すると?多くの作家がディストピアとして危惧した禁忌を侵してでもやらねばならないのか?」


 矢口は問う。相手は答えた。


『故に、私は名乗る。代行者、と。全ては、この国をよりよきものにし続けていく、その使命を果たすために』

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