ポケモン評論
前花しずく
ポケモンバトルは虐待か
ポケットモンスター(※1)の世界において、ポケモンは動物同様に存在している。自然環境の中では野生動物と同じく野生のポケモンが生息し生態系を作り上げているし、家の中には愛玩動物の代わりにこいぬポケモンが寝そべっている。描写されることは少ないが家畜化されているポケモンもいて、一部は人間に食されることもある。
そんなポケモンであるが、一点において現実世界の動物とは異なる性質を持つ。それが「ポケモンバトル」という文化である。
ゲーム内で発生するようなポケモントレーナー(※2)同士のポケモンバトルはもちろんのこと、野生のポケモンやペットとしてのポケモンであっても、敵対する者同士がかち合えばどこでも発生する。これは当然現実の動物には不可能なことだ。現実では決着など最初からついている。戦わずとも食物連鎖の頂点が勝つことは遺伝子レベルで明白なのである。犬は熊に怯え、虫はカエルに為す術はない。
ポケモンがポケモンバトルを可能にする理由としては、その高度な知能が挙げられるであろう。ポケモンはどの種族であっても人間の言語を理解することができる知能を持ち、ポケモン同士は鳴き声こそ違うものの意志の疎通をはかることができる。ポケモンバトルとは、まさにそんな知的生命体たるポケモンが編み出した「文化」であるわけなのだ。敵対したとしてもポケモンバトルが始まりさえすれば互いに技を見せ合う、すなわち攻防が発生する。それがたとえ捕食者と非捕食者の関係であったとしても、タイプ相性(※3)が最悪であっても、どんな強者と弱者だったとしても、そこには必ず「双方が戦う姿勢を見せる」行為が発生するのである。
「とはいえ結果は目に見えているじゃないか」という指摘もあるだろうが、そうとも限らない。ゲームの中で言えば「がむせっか」と呼ばれるレベル1のポケモンがレベル100のポケモンを倒すことができる戦い方が存在するほか、アニメの中ではサトシ(※4)に代表されるようにポケモンの技すら超越して相手を打ち負かすことさえ可能だ。また、必ずしもタイプの相性が勝ち負けにつながるものではないということは、ゲームで対戦をしたことがあればあるほど思い知ることだろう。つまり、ポケモンバトルとは常に双方に勝ち目が存在するやりとりであり、敵対した際にある種平等に決着がつけることができるコミュニケーション方法なのである。
先の段落で「虫はカエルに為す術はない」と書いたが、ポケモンの世界では虫ポケモンがカエルポケモンを倒し得る。それはポケモンという高知能生命体が種族の壁を越えて結んだ和平条約のようなものだ。そう考えれば、ポケモンバトルとはこれ以上なく「優しい」文化的な営みであると言えるのではないだろうか。
ポケットモンスターという作品に触れるにあたって少なからず直面する疑問が「なぜポケモンを戦わせる必要があるのか」というものである。実際私の父も「ただの虐待だろう」と冷たい反応を示していたし、ポケモンにバトルをさせたくないから、とあえてゲームをプレイせずにぬいぐるみだけ買っているという人も少なくない。ゲームの中の住人でさえポケモンを使役させて戦うことに疑問を覚えてしまう人はいるらしく、ゲームシリーズのブラック・ホワイトバージョン(※5)ではポケモン解放を唱える宗教団体、プラズマ団が一定数の支持を得ていた。これはポケモンを愛玩動物、守るべき存在として捉えた場合には当然の反応である。
ただし、果たしてポケモンは「人間が守るべきか弱い存在」なのだろうか。弱いポケモンの代表格として知られている「コイキング」というポケモンがいる。呆けた顔をした魚のポケモンで、登場当時は「はねる」という攻撃にも何にもならないワザしか使えなかったまさに「弱いポケモン」なのだが、このコイキングでさえポケモン図鑑(※6)で「長年生きた個体は山をも飛び越える」と記述されている。また、ポケモン博士から最初に貰える「初心者用」の三匹でさえ敵にダメージを与えるような攻撃をすることができる。ポケモンは確かに見た目こそかわいらしく人間になつく存在ではあるのだが、同時に腐っても「モンスター」なのである。冷静に考えて、山をも越えるコイキングのひれに弾かれれば人間などひとたまりもない。弱いポケモンの代表格ですらそれなのだ、他のポケモンの攻撃など考えるまでもないだろう。また、「ポケモンを捕まえる」という行為は人間が一方的に使役しているかに感じる表現であるが、映画「ミュウツーの逆襲(※7)」やゲームシリーズのスカーレット・バイオレットバージョン(※5)にも出てくるように、モンスターボール程度の道具で完全にポケモンを支配できるというわけではない。思えばアニメやゲームの敵として出てくるポケモンたちも、どんな悪党であれトレーナーとそれなりの信頼関係が描かれており、無理やり使役されている場面は精神的な呪縛によるものが多いようだ。つまり、実はポケモンからすれば人間に「捕まえられている」というよりは、人間に「捕まえさせてやっている」という感覚の方が正しいのかもしれない。
先ほども述べた通り、ポケモンバトルというやりとりは平等に勝敗をつけるための一種の「文化」なのであり、そこに人間が介入しようがしまいがその構図は変わらない。あくまでポケモントレーナーの存在はポケモンそのものが持つ力を引き出すためであったり、あるいは信頼する心強いパートナーとしてそばにおいておいたりするだけのものなのだ。ポケモン解放を望んでいたプラズマ団の王「N(※8)」ですら、最後には考えを改めている。ポケモンは我々が思うよりもずっとしたたかだ。人間ごときがポケモンに対して「可哀想」などと考えるのは、それこそ人間の傲慢そのものなのである。
※1 任天堂およびゲームフリークから発売されているゲームタイトル、およびそれに登場するキャラクターの総称。本作品では「ポケモン」はキャラクターらを指している。
※2 ポケモンを捕まえ、戦わせる人のこと。
※3 ポケットモンスターのゲームにはポケモンの「タイプ」が設定されており、タイプごとに得意な相手、不得意な相手が決まっている。
※4 アニメポケットモンスターの主人公。
※5 ポケットモンスターシリーズのタイトルの一つ。スカーレット・バイオレットでは伝説のポケモンがボールを破壊して飛び出してくる描写がある。
※6 それぞれのポケモンについての説明が見られる道具。
※7 ポケットモンスターの映画のタイトル。ミュウツーと呼ばれるポケモンが人間に復習しようとするストーリー。
※8 ブラック・ホワイトバージョンにおいて事件の黒幕とされている人物。
ポケモン評論 前花しずく @shizuku_maehana
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