あの子の胸に銃弾二発
こまき
うそつき
わたしは都内の団地で育った。
賃貸と分譲が混在した、とあるUR住宅である。
多摩ニュータウンの全盛期で、集合住宅は軒並み満室だった。
今の閑散とした光景が嘘のように姦しかった。
そんな小学生の頃の話をしたい。
1990年代の事だ。
当時わたしが通っていた小学校は、1学年につき5~6クラスあった。
UR住宅居住者のために建てられた学校で、9割がたが団地住みの子供たちだった。
小学生にもすでに若干の派閥意識がある。
高校生が出身中学を尋ねるように、社会人が同僚の出身校や出身地を尋ねるように、小学生も自分が卒業した幼稚園や保育園で仲間意識を持ちがちだった。
近隣にある二つの幼稚園出身者が主流な中、わたしが通っていた幼稚園は少しマイナーで、全校生徒200人程度のうち、同じところに通っていたのは10名ほどだった。
小学校3年生の時、そのうちの1人と同じクラスになった。
彼女とは幼稚園の頃から仲がよかった。
我が家と同じ3人兄弟で、わたしが中間子であるのに対して、彼女は長女だった。
彼女のおかあさんはとても神経質な人で、彼女はよく怒られていた。いわく、頭が悪い。要領が悪い。ばか。おかあさんは1番下のまだ赤ちゃんの弟の世話に手いっぱいらしく、彼女は2つ下の弟の面倒を見るように言われていた。
彼女を、しおりちゃんと呼ぼう。
しおりちゃんはそのせいか、ずるいところのある子供だった。
親の目を盗んで、行ってはいけないところに行こうとする。やってはいけない事をやろうとする。(それでも子供なので、その時点では犯罪の類は犯していなかったと思う)
しかしそこは子供の浅はかさで、彼女の悪事は大体がおかあさんにばれていた。だから彼女はおかあさんに怒られ、ストレスを溜める。ストレスが溜まったからまた悪事を働く。悪循環だった。
そんな彼女だから、表面上仲はいいものの、あまり心は許せなかった。
平日のある日の朝、手洗いから戻ってくると、自分の宿題のプリントが見当たらない事に気づいた。
宿題は漢字の読み書きテストで、昨日確かに書き終え、ランドセルの中に入れていた。
だが、見当たらない。
ランドセルをひっくり返し、机の中もすみずみまで探してみた。
それでもプリントは見つからなかった。
おかしい。確かに入れたのだ。わたしは基本的に大雑把な性格だが、怒られるのが大の苦手なので、そういう点だけは几帳面なのだ。
釈然としないまま、1時間目が始まり、さっそく宿題が集められる。
すると、わたしのすぐ後ろの席のプリントが目に入った。
この時期、わたしのクラスでは、後ろの席の人間が前へ前へとプリントを送る形だったのだ。そして1番前の席の人間が立ち上がって教卓へ置きにいく。
後ろから届いたプリント。これはわたしの字である。わたしのプリント、なくなったわたしのプリントだ。それが、どうしてか後ろから送られてきた。
わたしのすぐ後ろの席は、しおりちゃんだった。
もう意味が分からない。
だって筆記の宿題だ。
彼女は女の子らしい丸文字で筆圧も薄く、対するわたしは筆圧の強い角ばった文字である。筆跡が全然違う。
それをそのまま使い、しかも表に向けたまま後ろから送ってくるなんて、え、彼女のおかあさんではないが「ばかなの?」と思った。小学校3年生である。もっと知恵を働かせられるだろう。
わたしは振り返って彼女を半眼で見た。「これ、わたしのプリントじゃない?」
彼女はうろたえながら答えた。「違うよ、ほら、しおりの名前書いてあるじゃん」
明らかに消しゴムで消した後が残る上から、彼女の名前が書かれている。わたしの鉛筆の筆圧が強すぎて、跡が残っているのだ。
わたしはもう一度、「これ、わたしのだよね」と言った。
彼女はやっぱり否定した。決して目を合わせずにおどおどと。「違うよ、しおりのだよ。こまきちゃんのじゃない」
そうか。そう来るか。
わたしは憎々しい気持ちで引き下がった。
そして先生に、宿題を忘れました、と報告した。忘れていない、確かに持ってきた、そう思いながら。
ただ、諦めたわけではなかった。
二度あることは三度ある。
そして彼女は考えが浅い。
わたしはこれからリスクヘッジをする(当時、リスクヘッジなんて言葉は知らなかったが)。
じりじりと1日1日を過ごし、10日ほど経った後、やっとやり込める機会がやってきた。
朝、わたしのプリントが、また無くなった。
でも大丈夫だ。
わたしはすでに対策を取っていた。
今度はプリントにしるしをつけている。
わたしのものだというしるし。
普通の子なら、それを見た瞬間、諦めるだろう。でも彼女は再び盗った。だからこそ、わたしの勝ちだ。
宿題が後ろから送られてくる。やっぱりしおりちゃんのプリントは表側を向いていて、解答欄の筆跡はわたしのもので、彼女は自分の名前を名前欄に書いていた。
でも。
今回、わたしは自分の名前をボールペンで書いていた。
先生に怒られる可能性はあった。プリント書きに使用するのは鉛筆、そう決まっていたから。それでもわたしはボールペンを使った。
だから、彼女はわたしの名前を鉛筆で消そうと躍起になったようだ。鉛筆でぐちゃぐちゃにして、その隣に自分の名前を書いていた。鉛筆ならすぐに消せるし、たとえマジックペンを使われていても、もうひとつ保険をかけてある。
わたしはめいいっぱいおごそかに言った。「ねえ、それわたしのプリントだね」
彼女はやっぱり「違うよ、しおりのだよ」と反論した。
大丈夫、今回は証拠がある。
「でも、その鉛筆で消した下に書いてある名前、わたしのでしょ。ボールペンで書いたもの。それにね」
わたしはプリントを裏返した。
裏面は、顔の半分くらいが目でできている女の子の顔や、異様に足の短い動物の落書きだらけ。そこにも自分の名前を書いておいた。名前の部分だけボールペンだ。
「ほら、これ、わたしの落書き。名前も書いてるよ。ねえ、しおりちゃん。盗ったよね。今回も、前のも」
しおりちゃんは泣きそうな顔をした。
泣きたいのはこっちだ。
わたしは自分のプリントを取り返して、名前の欄に消しゴムをかけ、彼女の名前を消してやった。
わたしの名前が帰ってきた。
自分の宿題として、改めて提出する。裏側の落書きは咎められなかった。適当な先生なのだ。
しおりちゃんは先生に「宿題、忘れました」とだけ言った。
先生に本当の事を言っても良かった。
でも、わたしはあまり先生を信じていなかったから、やめた。適当な先生なのだ。2回言いたくなるくらい。
こちらの様子を窺いながら1日を過ごしたしおりちゃんに、努めて普通の態度を取っておいて、少し安心させてから、帰宅後、わたしは全てを母親に報告した。
その夜、目が吊り上がりきったしおりちゃんのおかあさんと、泣きはらしたしおりちゃんが謝りに来た。
彼女にはこれが1番効く。
彼女のおかあさんは、幼稚園の頃から、自分の娘よりわたしを信用していた。信頼ではない。信用だ。
しおりはすぐ嘘をつく。こまきちゃんはいい子。よくそう言われた。うるさいしおりちゃんのおかあさんも、しおりちゃんが弟の面倒を見ずに遊びに行っても、わたしが相手なら怒らなかった。きっと家に帰ってから、しおりちゃんは怒られていただろうけど。
よく、まじめだね、と言われる。
おとなしそうだね。優しそう、とも。
とんでもない。
わたしの性格は、一言で表すと苛烈だ。
まじめ。それは間違っていないかもしれない。ただ、わたしは案外適当だ。
おとなしそう。ごく小さい頃はそうだった。自分の意見を口にするのは苦手だった。ただ、意志ならあった、人一倍。
優しそう。へえ、そう見えるの。
――わたしは、わたしが優しくない事を一番よく知っている。
だってほかでもない自分の事だもの。
1度目のプリントの借りを返していない。
本当なら、受けた以上の仕返しをしてやりたいんだけど。
仕方ないから、痛み分けで許してあげる。
「しおり、やってないよ! 今度はやってない!」
しおりちゃんのおかあさんが、また頭を下げに来た。
別の日の話だ。
今日もうちまで連れてこられたしおりちゃんは、必死に抵抗している。
わたしは悲しい顔を作った。
「また嘘つくんだ、しおりちゃん。もうやらないって言ったのに、宿題盗ろうとした」
「ほんとにこの子は! もう! もう! なんって恥ずかしい子……ッ」
しおりちゃんのおかあさんがしおりちゃんを叩くのを、母が止めている。
わたしはそれ以上何もしないし、言わなかった。
しおりちゃんのおかあさんも、わたしの母親も、わたしを信じた。
この間、ほかの友達にもしおりちゃんのした事を話した。プリントという証拠があるから、鉛筆で透かすとわたしのプリントから彼女の名前が浮かび上がるから、友達はみんなわたしを信じた。
今、彼女を信じる人はいない。
わたしは噓つきな狼少女を、自分の力で撃ち殺しただけだ。
それからもしおりちゃんとは友達だった。
だっておんなじクラスだったから。
ただ、彼女はわたしから二度とプリントを盗まなくなった。
もしもまた、わたしに害を与えるなら。
わたしは貴方に致命傷の3発目を撃ち込む。
ねえ、しおりちゃん。
わたしはね、なめられるのが大嫌いなの。
あの子の胸に銃弾二発 こまき @maki01171
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