第55話 友達を作ろう(後編)
川山田を取り囲んでいた生徒達は互いに顔を見合わせて黙っていた。肝心の川山田もO の形に口を開き、言葉を失っている。
鬼追は両方の拳を握り締めて、審判の言葉を待った。
空気読めない、口悪い、キモい、感じ悪い、バカにしないで、先生に言うから、頭おかしいんじゃない、死ねよ。
どんな言葉を浴びさえられても、涙だけは見せたくなかった。
「確かに──」生徒の1人が口を開き、鬼追は目を見開いて身構える。
「私達、空気読めてなかったかもしんない」
「ね」と2人目。
「川山田さん、顔真っ赤だもんね。よくよく考えたら、自分達が休みたいからって誰かに代わりを頼むってマジでダサいな」
「ごめんね。川山田さん」は3人目。
「興奮しすぎて、ノリと勢いで部活に誘っちゃった。全然、断ってくれて構わないからさ、また話聞かせて」
「鬼追さんの言う通りだ。ごめんね。ゆっくり休んで」1人目がそう言ったのを最後に、クラスメイト達は去って行った。
川山田が感謝の言葉を述べようとした時、鬼追は近くにいなかった。
先程と同じように少し離れた壁際に座っている。少女は項垂れ、両耳を手で塞いでいた。
川山田が声をかけようか迷っていると、例の2人の先輩が走り寄って来て、座り込む鬼追に声をかけた。
話の内容は聞こえなかったが、鬼追に話しかける2人の先輩の優しそうな目が川山田の記憶に残った。やがて鬼追はすくっと立ち上がると、こちらに向かって歩いてくる。
「体力、回復した?」そう言った鬼追の目は、少しだけ赤くなっていた。
「う、うん」と川山田は答える。
チーム対抗のトーナメント戦は惜しくも決勝で敗れたが、結局、鬼追と川山田のペアは負けなしだった。
シャワー室で汗を流した後、少女達は食堂へ向かった。
スポーツを通してより一層打ち解けた1年生達は、食事の美味しさも相待って、好きな話を好きなだけ大声で話し合った。
そんな中、カウンターで料理を受け取った川山田は、どこに座ろうか悩んでいた。どこも満席というか、興奮の最中、誰もが互いのテーブルを自由に行き来している。
人付き合いが不得手だという自覚のある川山田は、なるべく人の少なそうな卓を手元の料理が冷める前に見つけようと、懸命に首を動かした。
「川山田さん」
突然の声かけに、川山田はビクンと肩を震わせる。声の主は、謎の先輩の1人だった。
「席を探してるの?」という和歌の問いかけに、川山田は「は、はい!」と裏返った声で返事をする。
「それなら、オススメの席があるわ」和歌はそう言って指を差す。
「窓際の席よ。右側から数えて3つ目の席。見える?」
川山田は目を凝らす。昼間とは違って陽光がなく、照明の当たる範囲の端にあるその席は薄暗かった。
その陰気な席に、1人誰かが座っている。
「鬼追さん…」川山田は思わず呟いた。
「あの、でも、いいんですかね?」
「何が?」
「だって、鬼追さんが先に座ってるのに」
「それは私じゃなくて、鬼追さんに聞くべきじゃない?」
「なんか言い返されたら、ウチらに命令されたってアイツに言え」
川山田の肩が再び震えた。いつの間にやら、先輩が1人増えている。
「いきなりなんやねんって話やろうけど、アイツと飯を食ってやってくれ。アイツ、ああ見えて寂しがり屋やねん」
「寂しがり屋…」その言葉を聞いて、川山田は自分でも驚く程に簡単に決心をした。
「分かりました。じゃあ、行ってきます」
川山田はそう言って、大きな歩幅で鬼追の席へと歩いて行った。
◇
「鬼追さん」
弱々しく、だが感情のこもった声に鬼追は顔を上げた。
「あの、相席いいですか?」
鬼追はほんの一瞬探るように辺りを見回すと、相手に視線を合わせずに小さく「好きにすれば?」と答えた。
「ありがとう!」
川山田は料理をテーブルに置くと、大きな身体を椅子へと滑らせた。
食べる前に、もう一言何かを言おうとしたが、鬼追が不機嫌そうに口を尖らせているのを見てやめた。
2人は黙々と、まるで別のテーブルにいる人間かのように食事をする。食堂中央の照明の当たる明るい卓では、ぼちぼち自室へと引き上げる生徒も出てきた。
食事が終われば就寝時間まで自由行動なので、それを楽しみにして少女達は朗らかな笑い声と共に食堂を出ていく。
(綺麗な月だなぁ)
食事を大体終えて、机に頬杖をつきながら窓の外を見ていた鬼追は思った。
自分1人なら、とっくに食堂を出てもいい。だが自室へ行っても話し相手がいないのと、身体の割にいつまで経っても完食しない川山田が気になって、少女は腰を上げれないでいた。
チラと鬼追は川山田を見る。自分が上手く話せないのは気持ちの問題だが、川山田が話せないのは、恐らく真剣に料理に向かっているからだった。
(なんでそんなに食うのが遅いのに、そこまでデカくなったんだよ)
そう思うと、鬼追の口元が自然と緩んだ。
「あのさあ」気持ちが楽になり、少女の口を開く。
「無理しなくていいよ」
「ふぇ?」川山田は取り敢えずそう返事をして置いて、急いで口の中の残りを飲み込む。
「な、なんのこと?」
「ほら、変な3人の先輩達がいるじゃん。2人はまだ隅でこっちを見張っている。1人は他のクラスメイトと出ていっちゃったけど。その人達に頼まれたんでしょ?」
「実は…、うん」
「正直なヤツ」
「フヒヒ」と鬼追は笑った。
「あんたさ、いいヤツだよね。私なんかと絡まない方がいいよ。私、口悪いんだ。それに人が信用できないの。さっきも見たでしょ? あの子達は別段怒ってなかったけど、裏ではすっごい私の悪口言ってるかもしれない。変えられないんだ、今更。だから気にしなくていいよ。大丈夫。私は大丈夫だから」
川山田は目を丸くして、持っていた箸をキチンと並べてテーブルに置いた。俯き、「はあ」と息を吐いて、黙って何かを考える。
「…でも」少しして、川山田は言った。
「鬼追さんも、すごくいい人だと思う」
「いいって、そういうの」鬼追は答える。
「本当に、大丈夫だから。あんたみたいな善人に、私なんかのために時間を割いて欲しくない」
「違う、違うよ。嘘じゃないって。だって鬼追さん、私に声をかけてくれたし…」
「それは…。それはだって、私も先輩達に声をかけるように言われたから」
「全然いいよ。きっかけなんてなんでも。それでも鬼追さんは私を選んでくれた。私って図体ばっかデカくって、話も面白くないし、オシャレでもないし、その、友達もいなくて。う、嬉しかったんだ。バドミントンも下手くそで、うわー、幻滅されるーって思ったんだけど、鬼追さんは表情一つ変えず、勝つための作戦を考えてくれてさ。あのね、私、生まれて初めて、今日スポーツで負けなかったんだよ? 多分、多分だけど、私、死ぬまで今日のことは忘れないと思う。本当に、すっごく楽しくて…」
川山田は目線を少し上げて、相手の様子を伺った。鬼追は相変わらず、怒ったように窓の外を見ていた。
「先輩達に言われて──」川山田は続ける。
「悩んだけど、鬼追さんの助けになれるならって思ってここに来たんだ。あと、他に伝えたいことがあって」
「なに?」ぶっきらぼうに鬼追は答える。「『お前の口はまきびし製造機だ』って言いにきたの?」
「ま、まきびし…?」困ったように、川山田は反復する。
「そうじゃなくて、その、ありがとうって言いたくて。私を誘ってくれて、見捨てないでくれて、他の子達に囲まれて何も言えなかった時、代わりに答えてくれて、ありがとう、って」
少し間を空けて、鬼追は答える。
「大袈裟すぎてキモい」
「ご、ごめん」
「なんで謝んの? 自分の気持ちを素直に言っただけでしょ?」
「え、ええ…」
「これが私の本当。どう? ウザいでしょ?」
「ウザくはないよ。びっくりしたけど、慣れれば全然大丈夫」
「あんたさ、頭おかしいんじゃない? 私、さっきもあんたに散々悪口言ったと思うんだけど」
「えっ! そ、そうなの? 例えば、どんなの?」
「犬みたいとか、田舎っぽいとか、ドン臭いとか…」
「えっ! あっ、アレって悪口だったの?」
「悪口以外なにがあんの?」
「だって、全部事実だったから。言われても仕方ないと思ったし、全然嫌な気持ちにもならなかったよ。むしろ嬉しかった。だってそういう風に、その、お互いに忌憚なく気持ちを言えるって、なんていうか、こんなこと、言ってもいいのかな…?」
川山田は長い身体を、恥ずかそうに丸める。
「言えばいいじゃん。好きなように」と鬼追に言われ、勇気を振り絞って、大きな少女は言った。
「えっとね。友達っぽいなぁって…」
鬼追は自分の身体に、巨大な衝撃波が走ったような気がした。その余りのショックに少女は放心したように口をポカンと開ける。
「だからね。鬼追さん」恥ずかしそうに、川山田は続ける。
「あの、鬼追さんのそういうの、私は全然平気だから、もしよかったら、友達になってくれませんか…?」
「そこまで言うなら、こっちも言わせて貰うけど」鬼追は必死に最後の抵抗を試みる。
「あんた、相当のバカだよ。私、嘘つけないから。いっつもこんなだから」
「う、うん。つかなくていいよ。そっちの方が私も安心する」
「今はいいよ。でも四六時中一緒にいたら、絶対嫌になるから」
「分かった。じゃ、じゃあお試しってことで…」
「適当なこと言うなよ。私、中々人が信用出来ないから。一緒にいても、すぐに疑っちゃうから」
「い、いいよ。心配になったらすぐに言って。一緒に話そう」
「バカ! 私なんかと絡んだら、他に誰も友達いなくなるんだぞ!」
「そ、そうなんだ」身を竦めて、川山田は答える。
「でも、その。今の所、鬼追さん以外の友達は欲しくないかなーって…」
鬼追の心の中の要塞は、こうして容易に崩れ落ちた。それもこれも、あのおせっかいな先輩方のせいだ。
ほんの数日前、少女の心はこの世を離れて空高く舞うはずだったのに、今では未練がましく大地に立っている。だが後悔してももう遅い。
「ぐがっ…」顔を真っ赤にしながら鬼追はそう言うので、精一杯だった。
「バカ。ど、どうなっても知んないよ」
◇
「済んだか」
食器類を片付けた後に、こちらに向かってくる2人の後輩を見ながら、奈緒は言った。
「…あの」奈緒と和歌を目の前にして、鬼追は口を尖らせながら言う。
「その、こういう感じです。あの、なんというか…」
「鬼追さん」目を細めながら、和歌が答える。
「また明日ね。川山田さんもお疲れ。おやすみなさい」
鬼追は黙ってぎこちなく会釈をし、川山田は「おやすみなさい」と言って食堂を出て行く。2人が最後の食堂の客だった。
「もうええな?」と奈緒。
「ウチらも委員会室に帰ろか」
「そうね」和歌は答える。
奈緒と和歌は連れ立って夜の校舎を歩く。灯はないが、月明かりのお陰でそこまで暗くはない。
「鬼追は多分」歩きながら奈緒が口を開く。「転校したてのウチみたいなもんや」
「そうね」和歌も同意する。
「口が悪いとこなんかそっくり」
「そりゃあどうも」
「他にも似てるわ。実は優しくて、人間をとても愛してる所なんか」
「キモい。急に褒めんな」
ふと、奈緒は窓の外を眺める。
「今日は月が綺麗やなぁ」
その言葉を言った人間の横顔を、和歌は黙って見つめた。形のよい横顔。
和歌がこの世で最も好きなおでこに眉間、目、鼻山根から鼻梁を通って鼻柱、人中、唇、そして顎。
どれだけ見つめても、見つめ過ぎることなどなかった。
「ウフフ」たまらず、和歌は笑う。
「なにわろとんねん」と奈緒。
「だって、笑わないと気がおかしくなってしまいそうだから」
「また変なこと考えんてんか」
「ほんと、無知って罪だわ」嬉しそうに、和歌は呟く。
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