第46話 ワンチャンあるっすか?

「勝負あったよな」


 検察用の控室。コーヒーの入ったカップに、3本目のスティックシュガーを注ぎ終えた甘利は言った。


「籾木がイジメっ子でも、私は全然驚かない。流石のアイツらもタダじゃ済まないだろ。見たかよ、連中の顔。ざまあみろ、正義は必ず勝つんだ!」


(もう砂糖の味しかしないだろ)美味しそうにコーヒーを飲む親友の姿を見ながら、雁登は思う。


 祝園は2人から離れた所に座り、なにも足さないコーヒーを静かに飲んでいる。


「祝園、お前さ」雁登が言う。


「マジなの? 籾木が、イジメをやってたって話」


 祝園は答えずにコーヒーを啜った。ティーカップについた口の跡を指で消しながら、少女は口を開く。


「1から10まで本当の話」


「なんで、前もって教えてくれなかったの?」

「溜めておいたんだ。とっておきの時のために。この事実が、どれだけの人に衝撃を与えるのか見てみたかった。だから、2人にも黙っておいた」


 雁登は眉を顰める。


「証拠はあるの? 目撃談とか」

「ない」


 当たり前のように祝園は答える。


「必要ないんだ、そんなもの。弁明することなく逃げた。無関係なら、自分の口でそう言えば良かった。あれだけよく動く口を持っていながら、なにもしなかった。それだけ。それだけで、十分」

「あっそ。だとして、それを今回の裁判で言う必要はあった? 小堀先輩が言う通り、別件じゃん。それこそ恣意的だ」


「先に議論を蛇行させたのは向こう。校則違反を罪とも思わず、自分達の正当化に努めるだけ。同情を買えれば勝てると思ってる。そうはさせるか。籾木を、あの女を英雄になんかさせない。弁護人がアイツを善人に仕立てようとするなら、私はそれを邪魔してやる。もう少しでみんな分かる。もう少しでみんな、私の気持ちが分かるようになる」


「私の気持ち…?」


 雁登は相手を睨みつけた。嫌悪感を隠そうともしない。慌てて甘利が割って入る。


「な、なあ桃香。終わったらご飯行こう! や、焼肉とかどう? 今日はせっかくのめでたい日だもんな。もしよければ、祝園もたまには一緒に──」


「ようやく分かった。私怨なんだ」甘利を気にもせず、雁登は言った。


「他に3人もいるのに、籾木籾木って、籾木のことばっか。おかしいと思ってた。個人的な話し合いで済むような話を、わざわざこんな大それたことにしやがった」

「大きな問題にしなきゃダメだ。籾木のやったことを全校生徒に知らしめる。それだけの事を、アイツはやったんだから」


「そんなの必要ない! 仮に籾木が悪かったとしても、それを全校生徒の前で暴露なんて絶対にやっちゃいけないじゃん。1千人からアイツは白眼視される。そんなの、可哀想だろ!」

「可哀想? 可哀想だなんて言葉、アイツにだけは絶対に使っちゃいけない。アイツは、私を裏切った! アイツは、アイツだけは違うと思ってたのに…。許されない、絶対に」


「ほらまた自分の話! いじめられた子が可哀想なんて口ばっかで、結局は自分の話じゃんか!」雁登は立ち上がった。


「違う!」祝園も立ち上がる。


「違くない!」

「ち、違う!」


「違くない!!! お前らは、校舎の裏で勝手に殴り合えばよかったんだ。それで静かに決着をつければよかった。人が丹精込めて作った料理をゲテモノ呼ばわりしたり、カウンセリングの報告書を読ませたり、こんな寒い中服を脱がせようとしたり、色んな人に迷惑をかけた。お前のような奴がいるから、この世界から争いがなくならないんだ! バーカ!」


「ば、ば…」その日初めて、祝園の顔が崩れた。


「ば、バカじゃない! 私は一学期の期末と、二学期の中間期末と学年1位だぞ! そっちは一体何位だったんだ?」

「けっ、バカらしい答えで安心した」


 雁登はそう言うと、祝園から1番遠い椅子に移動する。


 祝園は諦めずに「ば、バカって言う方がバカなんだ…」と必殺の文句を繰り出したが、相手が無関心なのを見て、肩を震わせながら座った。


 甘利はそんな2人を見て、居心地が悪そうに膝に両手を置く。


  ◇


「丁度いいくらいだな」


 冬の風に頬を晒しながら、小堀は言った。被告人と弁護人の集団は、屋外に出ている。


 佐々と紫陽里、奈緒も同様に裁判の熱気に火照った身体を覚ます。瑞稀は「あー、気持ちっすー」と言いながら、頬と鼻頭を真っ赤にしていた。


 1人離れた所、集団に背を向けて和歌は立っていた。後ろからは当然表情は見えず、時折風に流される白い息だけが見えた。


「そんで」奈緒が口を開く。


「どんなもんや。勝機は?」


「正直な所」と小堀。


「分からない。負けたとは思っていないが」


「ふうん。そか」


 奈緒は大きく白い息を吐くと、和歌の背中に眼をやった。なんとも言えぬ沈黙が流れる。時たま、少女達の間を風が吹いた。


「赤間さん」紫陽里が言う。


「赤間さんは、信じてくれるよね?」

「なにをよ」


「最後の方で、祝園さんが話してたことだよ。アレが嘘だとは言わない。中学時代にいじめがあったのは事実。でも、和歌がなにもやってないのも事実だから」

「おかしいやろ、それ。話の辻褄が合わへんやん」


「うん。でも絶対に、和歌は無実なんだ。複雑な話だし、私は当事者じゃないから詳しい事は言えない。でも、赤間さんには和歌の事を信じていて欲しい」

「いや、なんでウチ?」


「赤間さんが、和歌の大事な友達だからだよ」


「ええ…」困惑したように、奈緒は後ろへ一歩下がる。寒さで顔を赤くした少女達が見守る中、少女は「うぐぐ」と唸る。


「信じるもなにもやな…」奈緒は言う。


「そんなことせえへんやろ。コイツは」


「どうして、そう思うの?」紫陽里が尋ねる。


「だって、よう分からんけど、籾木はそんな卑怯なヤツじゃない。とウチは思う。ルールもよう守らんし、へーきで犯罪を犯す。見てくれだけはまあまあの、典型的なサイコパスや。絶対いつかは捕まると思う。でも、コイツはようやっとる。とぼけた顔して、誰もしないようなことをやってる。自分のことだけでも精一杯なのに、他人を助けるなんてアホや。数ヶ月絡んでよく分かった。コイツはあたおかの大馬鹿や。でも、おもろいとは思う。正しいかどうかは疑問やけど。第一印象は最悪やったけど、まあ、退屈はせえへんかったわ」


「ふぅひー」と瑞稀が下手くそな口笛を吹く。


「鬼がのろけてっす」


「やかましい!」奈緒は顔を真っ赤にして怒鳴る。


「とにかくや! 本人が話したくないなら別にええ。正直、そんなに知りたいとも思わへんし。知らんけどな」


「ヌフフ」小堀は嬉しそうに、口元を緩める。


「素晴らしい。文学、文学だね」

「どこがやねん」


「いいや文学だよ。君たちの今のやり取りは最高に文学だった。文学、文学、文学…」

「文学言いたいだけやろ」


「それに、ヒップホップでもある」と佐々。


「あんた達はヒップホップ。胸を張りなよ、イェア!」

「は、はあ」


 奈緒は困ったように微笑んだ。


(ウチの周りはほんまに、あたおかばっかや)少女は思う。(でもほんまに、退屈はせえへん)


 瑞稀がどデカいくしゃみをした所で、少女達は控え室に戻ることにした。


 和歌が一人だけ戻ろうとしないことに気がついて、紫陽里は相手に近づく。


「戻ろう。風邪引いちゃうよ」


 相手は頷くが、何も言わず、そこから動こうともしない。紫陽里は少し考えた後、もう一度話しかける。


「冬の屋外で泣くと、涙がガチガチに固まって痛いんじゃない?」


「分かってるなら、放っておいて」


 紫陽里は微笑むと、相手を後ろから優しく抱きしめる。


   ◇


 長い審議が終わった。


 検察と被告はそれぞれの席に戻り、裁判長と陪審員の代表が来るのを待っている。


 一千人の傍聴人は全て女子高生であるにも関わらず、誰一人として物音をたてはしない。自分の立場に関わらず、皆が判決の瞬間を今か今かと待ち望んでいた。


 観察眼のある少女達は、休みを挟んだ祝園の顔が、どこか疲れて見えることに気がついた。対する和歌は目元が少し腫れていたが、口元が少しだけ微笑んでいた。


 舞台袖から裁判長が歩いてきた。後ろには、審議の結果を読み上げる陪審員の代表もいる。


 熱気を伴った沈黙の中、2人の足音だけが高々と大講堂に響く。


 被告人席からは、裁判長席と重なって陪審員の代表の姿が見えづらい。そんな中、背の高い紫陽里が、「うん?」と声を漏らした。


「それでは開廷します。被告人らは証言台へ」


 証言台に立つと、裁判長席の向かって左側に立つ陪審員の代表がよく見えた。規律秩序委員会の面々はそこで、紫陽里が声を漏らした理由を理解した。


「これ、ワンチャンあるっすか?」


 瑞稀が小さく呟く。


「陪審員代表、2年I組上月さん。審議の結果をお願いします」


「はい」


 少女はそう言うと、手元にある紙を読み上げ始めた。


 













 


















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