第33話 ぼっち旅団(前編)
(めんど過ぎる)
雁登は思う。
数週間前、ある日の放課後のこと。知らないアドレスから送られてきたメールに呼ばれてD113に雁登が着いた時には、もう甘利はコテンパンにされていた。
「も、桃香ぁ…! 怖かったよぉお!!!」
甘利はやって来た雁登の許へ這って行くと、相手の胸元に顔を埋めた。顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。
「話し合いは済んだわ」
そう言って和歌は、満足気に目を細める。
「甘利さん、有意義な時間を本当にありがとう。私達は約束を守ります。またね、バイバイ」
去り行く規律秩序委員達の背中を黙って見送っている雁登のブレザーの袖を、甘利が鼻を啜りながら引っ張った。
「クソっ! あいつら、あいつら…!」
「落ち着きなって。ほら、鼻かむ」
甘利の恨み言に、雁登は大して同情しなかった。
どう考えても相応の報いだったし、むしろあのゴロツキ集団に一発も殴られなかっただけ奇跡だとも思った。
「桃香、やっぱりアイツらは根絶しなきゃ駄目だ」
生徒会室へ向かう途中、雁登におぶられながら甘利は言った。
「身に染みたんだ。アイツらはクズで、ゴミで、太陽の下を歩かせちゃいけない連中だ」
「先に仕掛けたのはそっちだろうに」
「そうせざるを得ない状況を作ったのはアイツらの方! 調子に乗って、校則を無視し続けたのはアイツらの方だ」
「だからって、こっちも同じことやっていいってことにはならないでしょ。調子に乗んなよ。ボコボコにされたくせに」
「さ、されてない! 引き分け! 改めて分かったんだ。やっぱりアイツらは頭がおかしい。このまま放っておいたら、暴力と強権で学校が支配されてしまう。私たちが止めないと」
「あっそ。がんばれ」
「お前もがんばれよ!!!」
それから数週間後、こうして雁登は放課後の校舎を歩いている。規律秩序委員会に恨みはなかったし、正義感に動かされた訳ではなかった。
ただ一つ、親友を泣かされたことがどうしても気に食わなかった。
(めんど過ぎる)
雁登はため息を吐いた。
癖の強い少女を友人に持ってしまった者は、みなこうして息を吐くのだろうか。
◇
第一武道場の玄関付近では、竿に干された剣道部の道着と袴が風に翻っていた。
「ちょっといい?」
中に入り、丁度目の前を通り過ぎた部員に、雁登は声をかけた。
「雁登じゃん。どしたの?」面を小脇に抱えた相手が答える
「大森先輩を呼んでくれない?」
部員は「いいよ」と答えると、小走りで更衣室へと消えていく。少しして、栗毛を短くした少女が、不機嫌そうな顔をして雁登の前に現れた。
「なニ?」
「初めまして。生徒会書記の雁登です」
相手の目を見て話すために雁登は頭を上げた。大森は雁登より頭一個分は背が高かった。一個半かもしれない。
「生徒会がなニ?」
「内密な話なので、少しお時間いただけませんか?」
「ここじゃダメ? 今から練習なんだけド」
「すいません。松永先輩の件なので」
瞬間、大森の大きな肩が微かに動いた。灰色の目をギョロリと動かし、大森は相手を睨みつける。
「話を聞いて頂けますか?」
それには答えず、大森は部員達に先に練習を始めるよう告げると、玄関に出て、サンダルを引っ掛けた。もごもごと、歩きながら外国語で何かを呟く。
(多分、母国語でクソとか死ねとか言ってんだろうな)
大森の背中について行きながら、雁登は冷静に考える。なんと素晴らしい学校生活だろうか。
校舎の隅の、ブルーシートに覆われた何かしらの資材が積まれた隣で雁登は言った。
「松永先輩を、規律秩序委員会から引き離して下さい」
大森はまた、外国語で何かを言った。
「そっちが勝手にやってる喧嘩でしョ。私を巻き込まないデ」
「迷惑なのは承知しています。けど、私達じゃダメなので。アイツらの結束は思った以上に固かった。赤の他人に何か言われた所で、ビクともしないみたいです。もっと関係の深い人間が揺さぶらないと。大森先輩は、松永先輩と親しいですよね?」
「人聞き悪いことを言わないデ」
「松永先輩は人望があって、籾木の良き相談役です。何より籾木が理事長権限を縦横無尽に使えるのも、理事長の孫娘が便宜を図ってるってのがデカい。松永先輩は規律秩序委員会の柱です。その柱を、無くせばいいと考えてます」
「買い被り過ギ。アイツはただの人たらしなんだかラ」
「お詳しいんですね」
「詳しくなイ」
「一応、計画があります。負けたら委員会を脱退すると言う条件で、連中に勝負を仕掛けるんです。享楽主義者の集まりだから、喜んで乗ってくるはず。大森先輩が勝ったら、松永先輩が剣道部に戻るって条件も加えましょう。そうすれば、来年こそインハイで優勝出来るかも。どうです? 悪い話じゃないでしょ?」
大森は灰色の目で持って、相手を睨み付けた。
「天使の顔をした悪魔め。呪われロ…」
今度の悪口は、雁登にも十分理解できた。
◇
それから数日後の放課後。規律秩序委員会室にて。
ドアの隙間から封筒が差し込まれたことに気がついた瑞稀は、菓子で汚れた自身の手を舐め拭いて、拾い上げた。
「読めねえっす!」
瑞稀はそう言って、近くにいた紫陽里に封筒を手渡す。
「おっ!」封筒に書かれた字を見て、紫陽里は嬉しそうな声を上げた。
「ピー子の字だ。久しぶりだなぁ。へえ、『果たし状』」
(あっ…)奈緒は直感した。この学校に数ヶ月もいれば、情報の断片を聞いただけで分かる。(またヤバい奴が来るぞ)
「ピー子って、大森先輩?」和歌が尋ねる。
「うん。私が剣道部をやめてからは、疎遠だったんだけどね」
「なんやねん、ピー子て。お笑い芸人かなんかなん?」と奈緒。
「ピー子はあだ名。本名は、大森ピロシュカ」
「ハーフ?」
「ピー子はこの国育ちだけど、ご両親は2人共外国の方だったと思う。凄く背が高いんだよ。100メートルぐらい」
「小学生みたいな嘘つくな」
「にしても一体なんだろう。わざわざ手紙だなんて」
「いや、思いっきし『果たし状』って書いてあるが」
「アハハ。多分冗談だよ、これは。ピー子は昔からふざけるのが好きだったから」
そう言って紫陽里は封筒を開き、中を読んだ。
「びっくりした。ホントの果たし状だ」
「引くぐらいバカやん」と奈緒が言い、「ウフフ」と和歌が笑った。瑞稀はディスプレイを見ながら、お菓子を食べている。
「いつやるの?」と和歌。
「明後日の放課後に剣道場。二本勝負らしい」
「負けたら?」
「剣道部に戻らせるって。あと、規律秩序委員会を辞めさせるとも」
「へえ」
奈緒はそう言って、ティーカップの紅茶を飲んだ。少しの間、部屋が沈黙に包まれる。
「生徒会の差し金かしら」と和歌。
「多分ね。タイミングがタイミングだし」と紫陽里。
「勝ったらどうなるの? 大森先輩がうちの委員会に入ってくれる?」
「いや、現状維持だね」
「なんやそれ」奈緒が口を挟む。
「こっちにメリットないやん。やる意味あるん? それ」
「ないことは、ないんじゃないかな」紫陽里が答える。
「正直な所、余りスムーズに剣道部を辞めれた訳じゃない。多分、ピー子はそのことを根に持ってるんだと思う。バックに生徒会がいると仮定して、ピー子がそう簡単に連中の言いなりになるとも思えない。どっちにしても、ピー子自身の強い意志が働いてるんだろう。無碍には出来ないよ」
「あっそ。まあ、それなら好きにせえよ」
「うん。ごめんね、私事で、委員会に迷惑をかけてしまって」
「大丈夫よ」と和歌。
「大森先輩と仲直りできる良い機会だわ。大森先輩だって、好き好んで紫陽里とギクシャクした関係を続けたくはないはず。悩んでいる生徒に寄り添うのが私達の仕事。もし上手くいけば、裁判の時に紫陽里を弁護してくれるかもしれない。紫陽里の理解者で、大森先輩の右に出る者はいないもの。私を除いて」
「アハハ。そうだね」
紫陽里は今一度手紙に視線を落とすと、ミミズの這ったような筆跡を、指でなぞった。
「二本松のヤツに続いて、今度は松永かいな」と奈緒。
「よかったわね、赤間さん」と和歌。
「こういうの、好きでしょ? 腕力で気持ちをぶつけ合うってやつ」
「アホ抜かせ。ウチがそんな野蛮なこと好きな訳…。そんなの…。ええと…」
◇
2日後。
久し振りの武道場に、思わず紫陽里ははにかんだ。ヒノキの匂いに、汗の匂いに、竹の匂い。
ほのかに漂う消臭剤の香りは、汗の匂いをなんとか抑え込もうとする少女達の努力の証でもある。
「久し振り、ピー子!」
「うるさイ。さっさと準備しロ」
両手を広げて近づいて来る紫陽里を、大森は一蹴した。
のしのしと歩き去る大森の背中を少しだけ眺めた後、紫陽里は更衣室へと入っていく。
「な、なんやアイツ…」
武道場の隅で胡座をかいていた奈緒が、大森を見ながら言った。
「デカすぎるやろ。何cmあんねん」
「紫陽里は180cmくらいって言ってたけど、もっとありそうね」
隣で横坐りをした和歌が言う。
「ひゃ、180…」
「中学の頃は、175くらいだった」
「それでもデカいやんけ」
「そうね。大森先輩がいた中学は有名で、界隈じゃ『ピロシュカ巨人旅団』って呼ばれてたわ」
「だっっっさ…! なんなん、大森んとこの剣道部は全員背がデカかったん?」
「いいえ。大森先輩以外は普通だったわ」
「ほなどこが旅団やねん! せめて3人くらいデカい奴を集めてから軍隊を名乗れ!」
「中学生なんだから、カッコよければそれでいいのよ。ダメね、赤間さん。ナンセンス赤間」
「お前も、そのダサいあだ名を考えた奴もくたばれ」
「今でこそ大森先輩は紫陽里よりも背が高いけど、中学の間は2人共同じくらいの背丈だったわ。だからこそ、大森先輩を倒せるのも紫陽里ぐらい。個人でも団体でも、2人はしょっちゅう対戦してた。良いライバルね」
「今さらやけど、中学は別々やったんやな」
「2人が一緒になったのは高校から。最強コンビ誕生って話題にもなった。大森先輩も、紫陽里とチームメイトになれて嬉しかったみたい」
「ふうん。なんで松永はやめたん?」
「規律秩序委員会に入ったから。私が頼んだの、紫陽里の力を貸して欲しいって。紫陽里は快諾してくれた。でも代わりに、部活を辞めさせることになった。大森先輩は、それを恨んでるんだと思う」
「てことは、全部お前が悪いんやんけ。松永の代わりに、お前が竹刀持って戦えや」
「紫陽里の試合を見るのは久し振り。どんな風になるか楽しみね」
「お前って、ホンマもんのサイコパスやな…」
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