第23話 メイド地蔵鬼(後編)

 映画研究部ブース。


 ブースのある第2視聴覚室には既に大勢の生徒が集まっていた。その中の1人である佐々は奈緒と和歌に気がつくと、「うーい」と手を振った。


「2人揃ってメイド様かよ。ウケんな」と、佐々はスマホを取り出して写真を撮り始める。和歌は微笑んで、奈緒は睨み付けてそれに応えた。


「隣、空けてあるよ」佐々の隣に座っていた小堀は2人に手招きをする。「ありがとうございます。招待していただいて」席に着いてから和歌は言った。


「いいよいいよ」と小堀。「お世話になったのに、なんのお返しもしてなかったからね」


「招待もなにも、空席を無くすために後輩を生贄にしただけだしな」椅子の背もたれに肘を置き、座面であぐらをかいた佐々が口を挟む。


「そんなこと言うな。花見が聞いたら泣くぞ」


「映画研究部部長の花見先輩ですか?」と和歌。


「良く知ってるね。友達なんだ、あたしら。今年はアイツの監督作もやるっていうから来てやったんだ。佐々はツンデレだから気にしないでね。好きなヤツほど貶したくなる性格なんだ」


 小堀と和歌の会話の傍で、佐々は「なあ、おい」と奈緒の肩を小突く。


「元気してたか、お前」

「まあ、そこそこやな」


「そっか。何人叩いた?」

「1人も叩いてへん!!!」


 照明が落ちて、黒板前に下ろされたスクリーンにヒロインと思しき半袖姿の少女が映った。季節は夏真っ只中らしい。


「H組の丸山じゃん」地引網漁をするヒロインを見ながら、佐々が呟く。

「失礼ですが、少しお痩せになりましたか?」と和歌。

「ダイエットしたんだよ、アイツ。前くらいの肉つきが丁度良かったんだがなぁ」と小堀。


「今のアングル、大津監督っぽいな」と小堀。次はヒロインが巨大なオオサンショウオの群れに追われている場面。

「意図的だと思います。主題が大津作品のそれと被るので、オマージュでしょう」と和歌。

「へえ。お前、結構映画詳しいのか」と佐々。


「えっちですね」と和歌。今度は濡れ場。

「えっちだ。やべぇな」と佐々。

「えっちなのは無条件にいいんだよな」と小堀。


(ウチはなにを見せられてるんや…)は奈緒。


 銀河中のオオサンショウオを前にして、ヒロインが人類の存続を賭けた演説を行う、まさにその時だった。 


 教室の扉が勢いよく開かれ、薄暗い部屋の中に光が差し込んだ。


「生徒会だ! 上映は中止、中止、中止しろ!」


 生徒会会計の甘利がそう叫ぶと、各種委員会から集められた手駒用の生徒達がぞろぞろと入ってくる。


 中にいた生徒達は、騒ぎに巻き込まれたくないと大慌てで教室の中から出ていった。


 奈緒が振り返った時、小堀と佐々の姿はもうなかった。


「なにごと?」


 プロジェクターを動かしていた、寝癖激しい少女が甘利に近づく。


「映画研究部、部長の花見先輩ですね?」

「ほい」


「先ほど通報がありました。こちらで卑猥な映像を上映していたそうで」

「どうだろう、分かんないな。巻き戻して見る?」


「結構。続きは生徒会室で聞きます。どうか抵抗はしないように!」

「いや、映画を見てほしい…」


 そんな微妙に噛み合わない2人を横目に、奈緒と和歌は小走りで教室を後にした。


    ◇


 階段を降りた1階の廊下は、ヌーの大移動もかくやとばかりの混み具合だった。皆、同じ方に向かっているらしい。


 女子高生ヌーの流れに逆らいながら、奈緒が言う。


「こいつらなんなん?」

「大講堂で軽音部の演奏が始まるのよ。みんな、それが目当て」


「ウチらは行かんでいいんか?」

「軽音部の部長さんは1年間の留学で海外らしいの。部長さんがいる時に聴いた方が良いって、紫陽里が」


「ふうん。で、ウチらは今どこへ向かってるんや?」

「屋台よ。今なら人が少ないから、何でも好きなものを食べ放題」


「へえ。ま、あんま腹空いとらんけどな」


「そんなことはないぞ!」と言わんばかりに、奈緒の腹がぐうと音を立てた。


 真っ赤に染まった奈緒の顔を見ながら、和歌は目を細める。


「私もお腹空いたわ。早く行きましょう。離れちゃダメよ」


 だが10秒もしない内に奈緒は和歌を見失い、挙げ句の果てに道に迷った。


(終わった…)


 少女はこうして週に2、3回は人生に絶望する。


 だがここに立っていれば、恐らく和歌が迎えに来てくれるだろうことにすぐに気がつく。


(癪に触るが、背に腹は変えられん)


 そうして人混みの中で仁王立ちメイドをしていると、誰かが奈緒の手を引いた。


 人が多すぎて手の持ち主はよく見えなかったが、奈緒は深く考えないままに従った。


 結局、奈緒がようやく過ちに気がついたのは、近くにあるトイレに連れ込まれた時だった。


「だ、誰!?」奈緒は唖然として、相手に尋ねる。


「初めまして」


 奈緒をトイレに連れ込んだ張本人。眉毛の太い少女が答えた。


「私は祝園。1年。生徒会副会長。よろしく」

「は、はあ」


「ずっと、君とコンタクトを取りたいと思っていた。けど、学校じゃ人の目がある。君と接触したことを、誰にも気づかれたくはなかった」


(なんやコイツ…)奈緒は眉を顰める。(ロボットの親玉みたいな喋り方やん)


「いきなり話しかけたら、そんな顔にもなるのもしょうがない」


 祝園はそう言って、自分の顔を奈緒の顔へと近づける。


「ちっ、近っ!?」

「けど、単刀直入に言う。赤間さん、我々生徒会に協力してほしい」


「は?」

「君はどうせ、進んで規律秩序委員会に入った訳じゃないんだろ? 籾木の事だ。アイツに弱みでも握られたんじゃないか? どうだ?」


「あー、いや…」

「図星だな」


 祝園はさらに顔を近づけた。置き場所に困った奈緒の目線が、相手の眉毛に焦点を当てる。


「我々に協力してくれ。そうしたら、アイツの鎖から君を解放してあげられる。アイツが何を考え、行動し、隠しているのか、報告してほしい。一緒にあの委員会を解体しよう。学校のため、生徒達のためだ。君の協力で委員会が解体された暁には、誰も君の事を『赤鬼』と貶めるような人間はいなくなる」


 祝園は奈緒の手を掴むと、強引に相手の指を開き、中に丸めた紙を押し込んだ。


「私のIDだ。詳しい話はまたそこで。何でもいい。連絡してくれ」

「あー、えー…」


「赤間さん、これだけは覚えておいてほしい。恐らくだけど、あいつは君に隠し事をしている。大きな隠し事だ。それを忘れないように…」


 そうやって殆ど1人で喋った後に、祝園は去って行った。


 奈緒は数秒ほど立ち尽くした後、紙を胸ポケットに入れると、廊下に戻った。


「赤間さん!」


 少しして、和歌が駆けてくる。


「心配したわ。どこにいたの?」

「分からん。迷っとった」


「そう。まだお腹は空いてる?」


「空いてる!」と奈緒のお腹が答える。


   ◇


 全ての屋台を制覇した頃には、もう陽は地面に激突する寸前だった。膨らんだ腹を撫でながら、少女達は大講堂へ向かった。


 ぼちぼち片付けに入るクラスや部活もあるせいか、女子高生ヌーの姿はそこまで多くはない。


 軽音部も姿を消し、代わりに吹奏楽部が、ゆったりとした、眠くなるようなメロディーを流していた。


「ワルツよ」


 怪訝な顔をしている奈緒に、和歌が言う。


「これなら食後でも踊れるでしょ?」

「女同士でか?」


「何か問題でも?」

「そう言われると、うーん…」


 和歌は奈緒の手を取り、右に左にと揺れ始めた。


「ど、どう動けばええんや。もうウチは無理や!」

「落ち着いて。私の動きに合わせて」


 ワンツー、ワンツーと、和歌は声に出して奈緒に動き方を教える。


 見た目に恥じぬ足取りを見せる和歌を、奈緒はさりげなく眺める。


(『恐らくだけど、あいつは君に隠し事をしている。大きな隠し事だ。それを忘れないように…』)


 祝園の言葉が頭を掠めた。奈緒は考える。


(コイツは一体、何を考えて普段を生きているんや? 隠し事があっても別に驚かんが、もしかして、ホンマに犯罪を起こす気なんじゃないやろな? 可愛いんは、やっぱりガワだけなんやろか)


「この曲はね」リズムに体を乗らせながら、和歌が言う。


「主人公が恋人を連れてダンスパーティにやって来たら、偶然そこに古い友達がいたの。それで恋人を友達に紹介して、2人が一緒に踊ることも許可したの。恋人と友達は踊っている間にお互いを好きになり、主人公を捨ててしまう。って歌なのよ」

「なんちゅー歌や! そんな曲で踊るな!」


「良い歌じゃない。私、この曲を聞くたびに思うの。大事な人の手は、絶対に離しちゃいけないんだって」

「きっしょ…」


「赤間さんも、今日みたいにはぐれちゃダメよ。お家に帰れなくなっちゃうから」

「余計なお世話や。お前みたいなサイコから逃れられるなら、いくらでもこの手を離したる」


 奈緒はふざけて、和歌の肩を掴んでいる手を離そうとした。だが和歌は直ぐに手を伸ばし、奈緒の腕を掴む。


「ダメよ。曲が終わるまで待って」


 奈緒はでかでかと溜息を吐き、曲が終わるまで相手の好きなようにさせた。

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