待ち合わせ

三好祐貴

待ち合わせ

 時計の針は待ち合わせの時間の15分前を指している。さすがに、少々、早く来すぎたようだ。ふと、空の方に目をやると、大きく丸い月が美しい。こうして月を眺めるのも、随分と久しぶりなことだ。そう思って、月をでながら、特に何をするというわけでもなく、みやびに時が経つのを待とうとしたものの、どうにも居ても立っても居られない。しかし、それも仕方のないこと。遂に、この時が来たのだから。私は彼女が来てからの事を想像しつつ、待ち合わせの神社の位置する交差点の辺りを行ったり来たりと歩いた。人気は少ないが、完全に途絶えてしまっているというわけでもない。私の直ぐ目の前を、二十歳はたちくらいの三つ編みの女が自転車で通り過ぎて行き、神社の正面の横断歩道を渡った向こう側の通りを、パトロール中であろう小太りの中年警察官が、えっちらほっちら、ゆっくりと、こちらも自転車を漕ぎ、横切って行く。今日は、まだ何の事件も起こっていないようだ。

 神社の側面の横断歩道の向こう側にはスーパーがあり、その建物の上の方にある部屋のいくつかにはだ明かりが灯っている。おそらく人が住んでいるであろう、それらの部屋のどこにも人影は見当たらないが、その内の一つはカーテンが開いていて、天井から吊るされた鉢から伸びる植物のつるが、弱い黄色い光の中で、蛇のように可愛く、グネグネとうねっている。その蛇の体を辿っていった尻尾の先端は、窓辺のガラス瓶に生けられたマーガレットを指しており、そこから、さらに視線を下げてみると、スーパーの脇に設置されている証明写真機に目が留まった。

 まだ、時間もあることなので、身だしなみのチェックでもしておこうか。そう思った私は横断歩道を渡り、証明写真機に取り付けられている鏡を覗き込んだ。昔は全身黒でまとめていたが、それではあまりにも芸がない。数年前からは、わりと様々な色を試してみるようになり、今ではそれらの組み合わせを、日々、楽しむようにしている。今日は、黄色と紫がベースで、そこに黒と白のラインの入ったチェックのスーツに、シルクの白いシャツと赤い蝶ネクタイを合わせて、黒いボーラーハットを被ってみた。ちょっと派手過ぎて威厳が失われやしないかと、若干じゃっかん、心配ではあるが、我ながらよく似合っている。特に形が崩れているわけでもない蝶ネクタイの両端をピンっと引っ張って整えてみると、鏡の中の顔から笑みがこぼれた。

 灰色地に白のストライプのシャツを着た道路の白い部分だけを跳ねて渡り、再び神社の側へと戻った時には、ちょうど約束の時間帯に差し掛かったところだった。もちろん、彼女が時間ぴったりに現れるなどとは思っていなかったものの、それでも少し、そんな期待もしてしまっていたのだろうか、彼女がそこにいないことに対し、いささか、淋しさのようなものを感じた。


 しばらく時間がたった。彼女は未だに姿を現さない。まさか来ないなんてことはないだろうか。そんな考えが頭をよぎったが、それは偶然、会話の切れ端を耳にしたようなもので、不安はあまり感じられなかった。昨日までの彼女の様子に鑑みると、その可能性は至って低いように思えたからだ。絶対に大丈夫、そんな気がした。まだ姿を現していない、その理由は、別に私をらそうとしているわけではないだろうから、仕事が長引いて帰るのが遅くなってしまったとか、私と会うための身支度だとか、気持ちの整理だとかに時間がかかっている。そんなところだろう。

 あれこれ考えていると、神社の正面の横断歩道の向こうから、こちらへ向かって歩いてくる、白い服を着た女の姿が見えた。わりと背が高い細身で、黒髪がとても長いことが伺える。ようやく来たか。私は喜びが漏れ出ないように顔を引き締めて、

「お待ちしておりましたよ。」

と、よそ行きの声で言った。ところが、彼女は私には気付かず、私の目の前で、こちらから見て左に方向転換し、神社を素通りして歩いて行ってしまった。

 なんだ、人違いだったか。私のことが見えていなかったからよかったものの、危うくとんだ恥をかくところだった。少し、ほっとしながら通り過ぎて行った女の後ろ姿を見送っていると、今度は、そっちの方角から、トートバッグに、なにやら沢山の物を詰め込んだ、今しがた通り過ぎて行った女と外見的に酷似している女が歩いて来るのが見えた。あれだろうか? しかし、だとすると、あのカバンの中身は何だ? さすがに持ち物が多すぎやしないか? 気を利かせて、お土産でも持ってきたんだろうか?

 顔がはっきりと分かる距離になると、どうやら、それが別人であることが分かった。けれども、なんとなく、そのまま彼女の顔を見つめていると、彼女と目が会ってしまって、私は慌ててスーパーの方へ顔を背けた。当然、それはする必要のない、全くって無駄な行動だったのだが、何故だかそうしてしまったので、私は恥じらいを感じてか、そのまま顔の向きを変えずに、自分が顔の方向を変えたのは、単純にそちら側の眺めを楽しみたかったからであると、何かに対して主張しすることにした。そして、そのまま、視界に入ってきた、さっきの女の後ろ姿が横断歩道の上を段々と小さくなっていく様子を見つめていた。すると、どういうことだろうか、横断歩道を渡りきったところで、その後ろ姿は振り返って、付随ふずいしていた顔が、一瞬、私の方へとその目を向けた。私は、なんとも不思議な感覚を覚えた。

 この不思議な気持ちの吊り橋効果なんだろうか、すこぶる嫌な予感がしてきて、その気持ちを紛らわすために、私はとてつもなく柄にもないことをやり始めてしまった。来る、来ない、来る、来ない、来る...。これが結果を左右するわけではない。そんなことは百も承知なのだけれど、最後の一枚となったマーガレットの花びらを見つめながら、それ以上先へ進めないでいると、自転車が、こちらへ近づいて来る音が聞こえてきた。顔を上げると、先ほど通り過ぎて行った三つ編みの女の姿が映った。今度は同年代の、どうにも冴えない見た目の男と一緒にいる。二人が私の前を通り過ぎて行くのを見ていると、顔の左側の筋肉が少し強張った。取るに足らない人間達に嫉妬している自分が情けなく思えてきたのと同時に、今しがたから感じていた嫌な予感が急に膨れ上がった。

 彼女は、もう来ないのだ。自分の中で、その思いが、はっきりとした形になって現れた。しかし、私はその場を直ぐに立ち去る気にはなれなかった。彼女は、もうここへは来ない。それは明らかで、これ以上ここに留まることには、おそらく、なんの意味も無いのだけれど、どういうわけだか私は、その場から離れようとはしなかった。それが、さっきまでの期待の名残りなのか、奇跡にすがり付いていたいという願望の表れなのか、はたまた、受け入れがたい非情な現実に対しての、ささやかな反抗なのか、それは、よく分からなかったのだけれども、それでも、もう少しだけ、もう少しだけ待とう。私はそう思った。

 その後、ぬか喜びが数回あったものの、やはり、彼女は姿を現さず、とうとう人影も、ぱったりと途絶えてしまった。月すらもビルの陰に隠れて、もうその姿を見せてはくれない。時計を見ると、ちょうど、午前3時を回ったところだった。時間だ。仕方がない、帰るとするか。そう決めたとたん、はあっと、ため息が出て、全身から力が抜けていくのが感じられた。昨日までの六日間のあれは一体なんだったんだ。その気がないのなら、始めからよせばいいのに。せっかく、私が願いを叶えてやろうと思って来たのに、すっぽかすなんて。まぁ、これからも、せいぜい惨めな人生を歩むといいさ。まったく、こういうのに限って、自分は正しいことをした、なんて都合のいいことを言い出すのだ。しかし、人間というのは、悪魔相手なら何をしてもいいとでも思っているんだろうか? こっちの気持ちなんて何一つ考えやしないで。本当に、いい加減にしてほしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

待ち合わせ 三好祐貴 @yuki_miyoshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画