表層、もしくは深層にて。

高校五年生

第1話 表層、もしくは深層にて

私はまだ何者でもない。

いや、大学生ではある。だが、これまでの自分に連続性が感じられないのだ。

高校生までの頃の自分と大学生の自分は全くの別人である。

積み上げてきたものが一切受け継がれていないのだ。


高校生の頃、私は必死に必死に何かを求めていた。虹に手を伸ばし上へ上へと貪欲に登って行った。

そして虹へと手は届いたようだ。しかし果たして虹に実態は無いようであった。


ところで私の性別は何だっただろうか?

ふとした時に忘れてしまうので困る。

一人称に「私」などという中性的な単語を用いている上、言葉遣いもこんな堅苦しいものだ。今となってはもう判別がつかない。そしてどうやら私は特に思いだそうともしないみたいだ。だが少なくとも人間ではあるのだろう。

だが、自分はどうもLGBTQといったものに不寛容だった気がする。性別はオスとメスの二種類しか認めていなかった。そうあるべきであり、私にとってそれ以外の意見を唱えるものはどこか狂っているように感じられた。


もう思考の渦にのみこまれて何日、何週間経ったかもわからない。

しかし私という自我は存在しているようだ。それならば私はまだ生きているのだろう。

ただ、私にはもう情報を取り込む気が無い。そして体は私の意向を丁寧に反映しているようだった。


珈琲。コーヒー。急にコーヒーのことが眼に浮かぶ。このコーヒーはおいしくない。苦いのだ。不味い苦さなのだ。だからもう考えなくてもいいかもしれない。

だが思い浮かんだということは、少なくともこの不味いコーヒーは大学生の私の一部になってしまっているようだった。少なくとも、性別よりは重要な要素となっているようだ。


あぁ、段々と思いだしてきた。私は男だ。普段は俺という言葉を使っている。しかし今はどうも俺という一人称は不適切なように思える。少なくともこの口調にはあっていない。「私」だけがこの気持ちを餃子の皮のように丁寧に包み込んでくれている。


そしてオチがない。思考にしろ、話にしろ、物語にしろ、終わりにはオチが必要だ。これだけは外せない。

しかしゆるやかに終わる物語もあって、そんな作品が名作だなんて呼ばれることもある。読書経験の乏しい自分には極めて理解し難い。もっと素人にもわかりやすく、終わりには爆竹の花を添えて欲しいものだ。


どうか、責めないで欲しい。

そう思いながら、私は貴方に謝る気がカケラもないようだ。何一つ謝罪の言葉を持たない。

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