神鎮め2 〈間 章〉 和玉 ~にぎたま~①

ぼんびゅくすもりー

和玉 ~にぎたま~①

序章

フォルトナ

 

 あお向けに横たわっていると、みぞおちの上のあたりに、ほんわりとしたぬくもりを感じた。



『――…ほら、トナ……。……フォルトナ。村長むらおさが《癒石ゆいし》を貸してくれたよ。早く元気になるんだ。子供たちのために。君自身のために……僕のためにも――』



 朦朧もうろうとしている意識にとどいた言葉……

 おなかに置かれた黒い石の上に、彼女自身の両手が重ねてえられる。


 一部に琥珀色がのぞいて見える隕鉄いんてつかたまり


 夫がそうしたのだろう。彼女にはもう腕をあげる気力もない。


(――そうだね。いまはえるしかない……つらくても苦しくても、がんばろう……。あたえられたなら、あたえたい。その思いが嬉しいから応えたい。そのぬくもりが愛おしいから……きっと、がんばれる……。たとえ、このまま終わるとしても。なにも出来ずに逝くのだとしても……。なるようにしか……ならないのだとしても…――)


 …どれくらいの時が経過したのか……


 かいなにある石のぬくもりを意識しながら浅い呼吸を繰りかえしてると、不意に世界ががらりと変化した。

 なぜ、それと気づいたのか…――

 理由はわからなくても……彼女は、そうなったことをあたりまえのことのように肌と心で受けとめた。

 瞬時に変貌した事実をごく自然に把握し理解した。それと知覚できたのだ。


 いま、自分をとりまいている——これは、ありがちな夜とは違う。


 すべてがあっけなく粉砕ふんさいされ、失われてしまったかのような空虚さとどうじ、——いまだかつて感じたことのない濃さと潤沢じゅんたくさに包み庇われている感触があって……。

 そこに……無数の気配が、夜空にまたたく星々のごとくまばらにちらばっていた。


 なんだろうと思い、目をひらくと、やはり。

 一面の闇が広がっていた。


 それまで身をあずけていた寝台はなくなっていた。

 地面もなさそうな常闇とこやみの中に、ただひとり。

 彼女はたたずんでいる。

 

 おおっていた黒い隕鉄いんてつの表皮が熔けて消えたのだろう――いつかしら琥珀色の全容をあらわしていた楕円形の石を胸に抱えたまま。


 いや、立っているのだろうか?

 その足の裏に、地面らしき触感はなかった。


 彼女をさんざん悩ませていた不快な痛みやだるさ、熱気、怖気おぞけがぼやけてしまっている。


 つらかった憶えがあるのに、いまは苦しくない。


 あんなに重かったまぶたが容易たやすひらけたことといい、この理解しない事態……環境といい、もしかしたら自分は、とうとう息絶えてしまったのかもしれない――。


 そんな思いがぎるなかにも彼女は、ほんの数瞬前まで……寝台に横たわっていた時には感覚……智慧ちえのもとに達観する。


 これは…違う――と。

 そんなありがちな現象ではないのだと。


 そこは奇妙な空間だった。


 自分のまわりだけ、ほんわかといでいるのに、それより向こうは見慣れた物質が形として存在し得ないほど希薄なようでありながら豊富に存在し、複雑にしがらみ合っている。

 秩序と混沌がどうじに存在しているような奥深さのなかに錯綜する、次元と空間の重なり。


 天も地も……生きものも——あらゆるものが奇怪なまでに混ざりあっていて…。

 濃いのか、すかすかに薄いのか、深いのか、浅いのか……

 そのすべての印象にあてはまる。

 どれだとも言いあらわがたくて、断定などできない――。


 きっと、この無尽蔵のくらさ、過度な重圧……希薄さに耐えられる存在は多くないだろう。

 そのようそんなふうに感じられる空間にありながら、彼女の肉体はいまものままで、もろく傷つきやすくあった。


 けれど、いま手の中には琥珀色の石~コレ~があり…――


 自分と一致いっちした。

 融けあってしたのだ。


 だから大丈夫――…存在できる。


 そのへんでカタチをたもち、ただよっているいる個体ものほど強くも奥深くもないけれど、ここに居ても平気だし、ることができる。


 この状態は消滅ではないのだ、と。


 どうしてそう思うのか……。

 そう、分析できて、理解しているのか……。

 認識し、断定しるのか……。


 知っているようでも、すべては把握しきれてはいない。

 理由などわかっていなかった。

 けれども。

 いまの彼女には、これが現実――まぎれなき現在のあり方なのだという生々しいまでの確信があった。


 そうして、ぼんやり流れに身をゆだねていた彼女は、ふと。

 そのきょうを誘うものを見いだした。


 自分をとり囲むものを意識し、あるがままの境地に浸ってた彼女の関心を、ことのほか刺激するものがあったのだ。


 大多数が微睡まどろみ、眠りについているようなこの空域に、ひざを抱えんばかりに身をすくめて苦悩しているひとりの少年がいる。


 まだ十代のなかばにも満たない……ほんの子供。


 ここにあり得る数々の気配が、夜空に散らばる星屑ごとく果敢はかなくも果敢かかんに存在を誇示するなか、その彼は。

 さほど近場ではないのに身近にも感じられるその場所。

 遠い彼方にありながら――こうして……彼女が意識すれば、手がとどく位置にも感じられるそのあたりにあって……。

 自身を見舞った現実を前に。

 一心いっしんあらがい、耐え忍んでいた。

 あらゆるものを呑みこみ、おおいつくす、この圧倒的な空域を相手にしながら。


 両耳を手でふさぎ、四肢をすくめ、体をくっし——

 闇に秘められた無秩序むちつじょ……人の身には過剰なまでの深淵……襲いくるそのよどみの圧力と、それとはまた相反する症候――混ざりあって存在する希薄さから身を守ろうと――。

 なにがなんでも、自分おのれという意識、境界をたもとうと……。 

 自我を維持しようと……悩ましいまでに苦闘していた。


 距離があり過ぎて、常人の視力では確認できなくなるところ……。

 闇がもっとも希薄でありながら秘奥ひおうとし、より複雑になる――それゆえ、いまは命として形態をたもっていられるものが存続しあり得ないような、この空間の深部ともいえるそのあたりで……。



 ――あれは……居た場所が悪かった。

   いずれ、それという個は崩れだし、この混沌とした闇にほどけだし、融けてまれる。



 彼女の中にあって、どうじに外にもあるようなが、

 寝床に横たわり、高熱にあえいでいた時には存在しなかったが、そう知覚していた。


 その少年がいるあの場所……

 そこで、わずかなりとも個を維持できた者は、ほかには皆無なのだと。


 いま、そうしていられるのも希有けうなことで……


 この空間に残れるだけの素養があったから――

 可能性ポシビリティーを備えていたから、多少なりともそとにあれば……はずれていれば……。

 そのへんあたりただよっているほか存在もののように永らえることが出来たはずだった。


 けれどもあの子はその時、その瞬間、そこにあったから――

 あの場所に居たから、のがれきれずにからめとられ、ほとんど動くことも適わぬまま……つぶされ引き伸ばされて、くずれだす。


 いまはまだあらがい耐えられても、さほどなく……

 この空間は存在しるものを抱えこんだままひらならされるから…――


 いずれは個を維持できなくなって、もろとも、ちりぢりに砕け散って、けてせる。


 結果、他を形成する要素となる……


 それは彼という個性の消滅――

 それとして生じた命……発生した可能性の終焉しゅうえんを意味していた。



 ――つらそう…。あらがって、とても苦しんでいる……。


 

 彼女がそんな哀惜あいせきととまどいを胸に周囲を見まわしてみると、そこでは、たくさんの人影がほとんど抵抗するようすもなく闇色の要素の波に漬かりひたされ、ねられていた。


 大人びた形をしたもの。


 輪郭が安定せず、いまも変化しているもの。


 小さな子供……赤子のような存在もあった。


 それは、この闇にまぎれこんた彼女が、けっして孤独ではないことを印象として知らしめていたもの。

 夜空にまたたく星のごとく散らばっているものとして受けとめていた無数の気配…――生命いのち


 無自覚ななかにも彼女がとして、知覚していた者達ものだった。

 


 ――ゆらいださかいは定まった。

   彼らは、ここに閉じこめられる在り続ける……。



 そう。

 この環境に適応できずに崩れた者は、ほぐされ融けだし、

 はじかれる者ははじかれ、

 危ういあたり……境界域にあった者は《時間軸》と《空間のゆがみ》にまぎれて、外部に閉め出された後だったから――

 ここに残っているものと、ばらばらになりねられ、ここで形成されゆくものは、すべてここに……この内側うちに閉じこめられる。


 この空間が存在し続けるかぎり、この空域で、時には変化しながら半永久的に保持されるのだ。



 ――こんなのは、間違えてる…

   …いいえ…――・・・が、まち…がえた…?



 そうと受けとめ、どうじに、こうある状況にとらえどころが無くも鮮烈な違和感……理不尽さ……容認しがたい抵抗をおぼえた彼女は、あたりをぐるりと空見そらみしたところで、ふと手もとにあったぬくもりに目をとめた。


 琥珀のかたまりを抱えている彼女のまわりだけ、ほんわかと空間がいでいる……。


 それがどんなものか。

 この環境にあってもほとんど変化することなく存在する《希有な石それ》が、どういったものであったのかを意識した彼女は、結果として、その特色をそれまで以上に深く理解し、衝動しょうどうと意欲につき動かされるままに行動した。


 自我を維持しようと死にものぐるいであらがい続けている少年へ、とどけとばかりに、めいいっぱいをさし伸べる。



 ――これは、わたしたちの村に伝わる《癒石ゆいし》……。

   ひかりのごとく恵みをふりまき、寒気のなかでも生命いのちを保養しはぐくやわらぎの石。

   わたしには必要ないから、あなたにあげる。

   この石の優しさが、少しでもあなたの苦しみをやしてくれますように…――



 彼女がかかげた琥珀色の玉塊ぎょくかいは、その白い手のひらを離れ、一度、闇にけて消えると、はるか遠方で頭を抱えていた少年の目の前に忽然こつぜん出現し現れた。



 ――この石が、少しでもあなたの苦境を……その痛みを……やわらげてくれますように…――

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