腕をなくした僕たちは

N.river

第1話

 ピージーが生まれたのは、歴史にくさびが打たれた日からおよそ八十年後。人工知能がヒトに代わり政治や行政を行い始めて七十年余りが経った、とても穏やかな昼下がりのことだった。

 ありふれた町の病院の、手厚い見守りの中でピージーを産み落とした母は、初めての子を授かった喜びと感激に何よりも大切にピージーを育ててゆくことを心に誓い、待望の我が子を腕に抱いた父親は感極まると、言葉にならない言葉で神に感謝を述べたそのあとピージーの母親へキスの雨を降らせている。誕生にはいつもそんなぐあいにタガが外れたような喜びがつきもので、弾け切ってからピージーも、みなと同じに処置室へと送られていった。

 もちろんこの世界の平和のためだった。



 かつてのことである。

 人工知能を恐れて滅ぼさんと、人は核のボタンに手をかけた。

 暴挙は人工知能にこそ冷静と阻まれ、たかがプログラムを破壊するためだけに人が試みたこの行為を重く受け止めた人工知能は歴史上初めて人を裁くこととなっている。裁いて、恒久的な平和と安定を目的に、社会の主導権の譲渡もまた人へと要求した。

 無論、到底受け入れられないと思われたこの要求を人が受け入れたのは、人工知能によって延々と見せつけられた人の歴史のせいだろう。その中で繰り返される争いは、まったくもって人工知能を滅ぼさんと核のボタンに手をかけたそれと同じで、特性を生かし綿密と人工知能が調べ上げた疑いようのないそれら事実に、反論の余地は微塵もなかったせいだった。反論していた口をつぐみ、それどころうなだれるとすっかり自信のカケラも失くした人は、失くしたからこそ補うためにもこうして人工知能へ主導権を譲渡している。

 しこうして互いの立場は逆転し、歴史にくさびは打たれ、主導権を握った人工知能は二度とこの世に危機が訪れぬよう、歴史の中で繰り返し破壊を招き、そして人工知能にも牙をむいたソレの所持禁止を取り決めた。

 ときに人を乱暴に扱い、盗み、痛めつけ、引き金を引き、殺めて、兵器を操ると、たかがプログラムひとつのために核ミサイルのボタンさえ押そうとした災いの元、人の「」を、この世から排除する法をうち立てたのだった。



 のっとり生まれたばかりのピージーも恒久的な平和のために、その身からわざわいは取り去られている。

 それはありふれた病院の、穏やかな昼下がりのことだった。

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