天つ海のイサリビ

@aitake_utsuku

プロローグ①


 青い空を船がゆく。

 風を掻き分け雲を裂き悠然と進むのはまるで箱のような形の船、それが幾つも並んで空を飛んでいる。

 それらは目的地へ向けてゆっくりと高度を落としながら飛行して、船内の操舵席では高度計が現在地を示す。

 メーターが示す数字はどんどん小さくなり、赤い領域にまで到達した事を確認した操舵士は船内放送を行うボタンを押してマイクを手に取る。


「そろそろ汚染高度だ。マスクの用意と上陸の準備を行え。繰り返す……」


 スピーカーで船内に響き渡るザラついた音質の言葉を聞いた船員達は腰に引っ掛けたマスクを確認して、上陸へ向けた最終準備を開始する。

 この船内で最も多くの人が収容された区画、壁に沿って対面で椅子が並べられた広いとは言えないこの部屋でも最終準備が行われる。


「ゲホ、ゲホっ……」


 眼鏡の男が咳をして、顔の周りを揺蕩う雲のようなものを払う。

 まるで雲中にいるような白い視界、それはこの場にいる作業員達が一斉に煙草を吸い始めた事で急に発生したものだ。

 対面にいる相手の輪郭がぼやけ、どこに口が付いているのかすら定かでない状況で一際その存在を主張する男が1人、部屋の端からよく通る声で嫌味な言葉を発している。


「オイオイ随分と暗いじゃないか、まるで死人だ。ちゃんと働いてくれよ?僕らだって死人を守る為に命張ってるんじゃないんだ。ったく……なんで僕がこんな仕事を……」


 白く霞む視界の中で金髪の彼はよく目立つ。

 そしてその言葉の内容も。


 この船に乗るのは採掘作業員だ。

 この空に浮かぶ島に生きる人々が資源を得るには他の浮島から得る他なく、その様な資源を蓄えた島とは大抵の場合既に先住者が居るもの。

 しかしこの空には手付かずの土地が数多ある。

 この船が目指すのはそんな場所、汚染領域。

 青い空、白い雲を進む船が高度を落として次にゆくのはおどろおどろしい有色の霧、瘴気の満ちる低高度。

 吸えば肺が侵され死に至る、そんなものが宙を舞う場所ならば手付かずの資源が山程ある。

 この船はそんな汚染領域から鉱物資源を得る為の作業員と採掘機械を載せた揚陸艇であり、ガスマスクも煙草もこれから挑む過酷な環境に対する備えなのだ。


「オイ、あんちゃん煙草はどうした」

「あ……あ、えと」


 眼鏡の男が周りが急に煙草を吸い出した事と金髪の男の言葉に戸惑い、オロオロと周囲を見回している無様に耐えかねた老人が声を掛ける。

 対面から聞こえた声の方向に眼鏡の男は目を凝らし、すきっ歯から煙を吐き出すその怪しげな男の姿を見つけた時にはすっかり圧倒されてしまった。

 まごついた言葉を発して話にならないと判断し、老人は懐に手を伸ばし……しかし目当ての物が足りない事に気が付き、眼鏡の男の隣に座る浅黒い肌をした寡黙な男へと声を掛ける。


「オイ、そっちのあんちゃん煙草ねぇかい。眼鏡のボンズに分けてやれねぇか」

「ああ……火は自分で付けてくれ」

「ありがとう、ございます」


 不恰好に煙草を咥え、慣れない手つきで火を付けた眼鏡の男はチリチリと先端を燃やす煙草から息を吸い込み……盛大に咽せた。


「ゲェホッ!ゴッ……!?ゴホ、ゴホ」

「下手だねぇ……見るからに机仕事の役人さんって感じだものな。採掘は初めてかい」

「は、ははは……本当は技師なんですが、何故かここに送られまして……」


 眼鏡の男はこの場にいる誰よりも体格に劣り、筋肉も少ない。

 そんな彼は明らかにこの場には不釣り合いであり、実際彼の適性からもかけ離れた職場なのだ。

 しかしこの老人にとっては僥倖といえる出会いであり、歯抜けの笑みを思わず浮かべる程であった。


「そりゃ良い、ワシも技師さ。この船の採掘機械の面倒見る手が足らんかったからねぇ、体を動かすのに向いてなさそうなアンタには機械の子守りを頼もうか」

「そ、それはっ是非!……実のところ不安でいっぱいでして……」

「だろうね、難民連中はみんなそんな顔してるがアンタは分かりやすいよ。そっちのあんちゃんなんて仏頂面で何考えてるのやら」


 咥え煙草で老人が指し示すのは先程煙草を分け与えた浅黒い肌の男。

 彼もまた煙草を吸って、しかし黙って肺に煙を送り込んでいた。


「そんなに深く吸い込むものなんですね……」

「当然さ、この煙に瘴気を払う効果があんだからね。肺にしっかり染みつけねぇと」


 美味そうに吸って手本を見せる老人に倣い、眼鏡の男も深く吸い込み……激しく咽せて頭を揺らす。

 両隣はガタガタと揺れる隣人からの迷惑を被って片方は眉を顰めて、片方は変わらず寡黙。


「グッ……げほ、申し訳ない」

「苦手なら無理をする事もない。マスクの性能も上がっている、頻繁に汚染領域に来る訳でもないなら煙草を吸わずとも変わらない。技師なら仕事も見つかるだろう。」


 しかしそんな寡黙な彼が口を開けば出てくるのは意外にも気遣う言葉だった。

 仏頂面の下にある優しさに触れた眼鏡の男は少しばかり緊張が解け、表情も柔らかくなってゆく。


「私はセファン。貴方は?」

「ハラネス」

「ワシは爺さんとばっかり呼ばれとるから名前忘れちまったわ!」


 ただ一言、自身の名前を告げた浅黒い肌の男……ハラネスはそれきり黙ってしまい、反対に老人は楽しそうに煙を吐き出しながら話し続けて数分後。

 船内に伝わる僅かな衝撃をきっかけに乗組員の顔付きが真剣なものへと変わった。

 続いて船内に響き渡る声に従い一斉にガスマスクを着用し始める。


「到着だなぁ。ほれボンズ、マスクの付け方は分かるか」

「えぇ、分かりますとも。一応……これで合っていますか?」


 船は汚染領域の真っ只中、そこに浮かぶ島へと着陸したのだ。

 外は当然瘴気が充満し、このガスマスクが無くては無事に帰る事は叶わないだろう。

 生命線となるこのマスクの適切な装着は必要不可欠。

 セファンは眼鏡と干渉しない位置を探りながら試行錯誤しながら留め具を弄くり回し、ハラネスは慣れた手つきでマスクを着けて静かに次の指示を待っていた。


「ハラネスのあんちゃんは慣れてんなぁ。見ねえ顔だがアンタも難民だろ?向こうじゃ採掘やってたのかい?」

「似たような仕事を」

「へぇ、それを続けねぇの」

「俺がやらない方が良い仕事だからな」


 船内に最終確認のアナウンスが響き渡り乗組員がマスクを着け終わった事を確認した少し後、船体の後部が開口する。

 しかしそれによって船内に光が差し込むような事はなく、代わりに入るのは有害な空気。

 内部からの目線では壁だった場所が外へ向かって倒れて床……フラップへと変わり作業員、そして作業機械を外へと誘う。

 

 ぞろぞろと外へと降り立つ人の列、そして同じように外へと飛び出す影がひとつ、轟音と共に淀んだ空へ飛び出した。


「ひいっ!?」

「イサナトリか……」

「あの金髪のガキが乗ってんのよ。あんなんでも腕が良いってんで調子に乗ってんのさ」


 鼓膜を叩く衝撃に驚くセファンに対して、慣れた様子のハラネスは老人と空を仰いで悠々と飛ぶ影……首の無い球体の体に手足を生やした飛行機械『イサナトリ』を眺める。

 背部から白い輝きを湛える炎を吹き出し推進力とするイサナトリは広く普及するある種の作業機械。

 ハラネス達の居る浮島の上空を大きく一周したのち、炎の勢いを絞り翼を展開したイサナトリは慣性のままに滑空状態へと入る。


「だか綺麗な飛び方だ。機体が全くブレていない」

「ヘェ、あんちゃん詳しいのかい?」

「……」


 見惚れる、と言った様子だったハラネスは眉間に皺を寄せ、黙り込む。

 しかしその視線はイサナトリから離れず、様々な感情の坩堝となった瞳を向けていた。

 そしてそれはセファンも同じ。

 眼鏡の奥で瞳を輝かせて空を眺めて、その表情は喜色に満ちていた。


「むっ。アレは"サザナミ参式"ですね」

「どうやらセファンのボンズは詳しいみてぇだな」

「えぇ!イサナトリの技師ですから。ですから採掘用の機械もそう変わらず扱えるかと思うのですが……」

「元は同じもんだからな。ハラネスのあんちゃんは動かせるかい?」

「……恐らくは」

「という事はつまり──」

「それで、どいつを動かせばいい」

「こっちじゃ」


 セファンの言葉を遮ったハラネスは大きな歩幅で採掘機械へと向かって歩く。

 1人残され、謎めいた男の過去に対する好奇心を抑えながらセファンはその背を追った。



◆◆◆



 この狭苦しい坑道での採掘作業を通じてハラネスという男についてセファンが抱いた印象は真面目、実直、そして寡黙であった。

 ハラネスが乗る採掘機械はイサナトリと同じく四肢を備えた人型。

 比較的に直感に基づいて動かす事の出来る操作方法をしているが、それにしてもハラネスはそれを自分の体の延長のように器用に扱うのだ。

 その上で彼は驕る事なく、作業の合間に機械について質問をし、その後は黙って聞いた事を咀嚼し自らのものにしている。


「ドリルの動きに違和感がある。見てくれないか」

「ドリルですか?問題なく削岩出来ているように見えますが……」


 コクピットからの要請に対して助手席のセファンは疑問を抱き、老人は黙って採掘機械の前腕に取り付けられたドリルを点検する。


「いんや、音が変だなぁ……破損してる部品があんね。予備が船にあるから一旦戻ろうや」

「はい!……よく気が付きましたね?」

「過敏だったか?」

「いえ、そんな事は。ただ凄いな、と思いまして」

「……直せる時に直しておいた方が、もしもの備えになるだろう」


 これは作業用の機械だ。

 それに訪れるもしもとは一体何なのか。

 セファンはそれを聞く理由を好奇心以外に持ち合わせていなかった為に、坑道から出るまでの時間をもどかしく過ごす事しか出来ない。

 しかしそれでも彼の好奇心を慰めるのが力強く進む採掘機械のその姿だ。


「目ェ輝かせて見ちまってよ。そんなに珍しいかい」

「珍しいかはともかく、機械が動く様というのはワクワクしませんか?子供の頃からどうにも心が躍ってしまうんです」

「……分かる気がするな」


 ポツリと呟いたハラネスは操縦桿を握り直し、その感覚に口の端を緩める。

 しかしその表情はマスクに隠れ、言葉も誰に届く事もない。

 ただ少し、エンジンが回りスピードを上げてゴツゴツと岩の露出した道を進むだけ。

 それ用に不安定な足場を捉える形状の脚部であるが、それにしてもハラネスの操縦というのは巧みなものだった。

 その為に進む先に僅かながら自然の明かりが見え始め、そこから坑道を抜けるのにかかった時間は短く済み、作業の滞りも抑えられると老人が歯抜けの息をひとつ吐く。


「いくら濁ってても空の下ってだけで息苦しさは多少マシだねぇ」

「私は結構好きですけどね、暗くて狭い場所」

「そりゃ初めて来たんなら楽しめるだろうさ」


 3人が見上げる空は瘴気によって澱み、低く感じる閉塞的な蓋のようなもの。

 有毒の雲が陽の光を遮り、パレットの上の全てを混ぜたような毒々しい濃淡が空を彩る。

 それでも空は空、三者三様の心の有り様を映し出す。


「それもあるでしょうがやはりあの滞留している瘴気が恐ろしくて、あまり見ていたくないというのもありますね……ハラネスさんはどうです?」

「俺は特に──あれは?」


 ハラネスが空を見上げて見つけたものは炎の尾を伸ばして一直線に飛行するイサナトリの姿。

 上空を横切るように飛ぶその姿を見つけて3人……そして地上で作業をしていた者達は徐々に近づき轟音を響かせるそれへと視線を向ける。


「哨戒の動きじゃない。明らかに戦闘機動だ」

「オイオイ敵襲かぁ?」

「敵って……」


 何かから逃げるように空を飛び、しかしここから反撃だと身を翻して逆噴射と共に周囲を見回すイサナトリ。

 漂う瘴気は視界を遮り、大小様々な浮島も遮蔽物となって接近するものの発見を遅らせる……まさに今。


「ク、クジラが!」


 セファンが指差した先に居るのは空を泳ぐ怪生物、クジラ。

 胸ビレと尾ビレで空を掻き、巨体を宙に踊らせるそれは巨体に見合わず俊敏に狩りをする。

 空の澱んだ色に溶け込むドス黒い緑を斑らに散りばめた体色は保護色となり、獲物に気取られずに近づく武器として機能した。

 イサナトリの背後を取ったクジラはその巨体を活かした体当たりで丸々とした鋼のブイを叩き下ろして満足げに鳴き声を上げる。

 衝撃。

 浮島の一角へと落下したイサナトリは轟音と共に煙を巻き上げ、しかし人々はクジラから目を離すことが出来ない。


「オイオイとんでもねぇな。他の連中はどうしたんだ」

「他って……そんなの見当たりませんよ」

「不意打ちで落とされたんだろう。背後を取る動きといいあのクジラ、賢いぞ」


 高らかに響き渡る鳴き声はパイプオルガンのように荘厳で威圧的。

 自らの存在を誇示する歌を奏でるクジラに作業員達は本能的な恐怖を煽られる。

 パニックに陥っていないのは少しでも動けば自分が狙われるのではないかという恐怖から。

 しかしそんなものは僅かなきっかけで決壊し、混乱が伝播してもおかしくはない。


「み、見た……こっちを見た!来るぞ!?」


 体の向きををゆったりと変えたクジラの、その人よりも多い相貌を見てしまった者が声を上げる。

 恐怖に駆られた者の叫びが限界まで高まった緊張を溢れさせた最後の一滴となり、恐怖は波のように人を呑み込み踏み止まる理性を押し流す。

 しかし見下ろしているのは自分だなどというのは思い上がりだ。

 ソレは圧倒的な強者。

 地を這う卑小な人など眼中に無く、叩いて楽しいオモチャに夢中になっているだけ。


「ヤツの狙いはイサナトリだ。若いクジラにはよくある好奇心から行う狩りだ」

「好奇心って──っと、うわっ!?」

「他が落とされたのならば、あのイサナトリを失う訳にはいかない。行くぞ」


 ハラネスはアクセルを踏み込み、脚部のキャタピラを回転させて採掘機械を滑走させる。

 彼が操るのは高速で動く鋼の塊、仮に人に当たれば重症或いは死。

 そしてクジラに慄く人々の不規則な流れは、ただ歩いていても危険な状況であるというのにハラネスはタイミングとルートを見極め危なげなく通り抜けるのだ。

 それにセファンは思わず感心し、感嘆の声を漏らす。


「私はこのような機械を作る側ですが、使う側がこんな事を出来るとは思ってもいませんでした!何故そんな自分の手脚のように動かせるんです!?」

「捕まっていろ!舌を噛むぞ!」


 ハラネスが目指すのは墜落したイサナトリだが、それを目指すのは彼だけではない。

 急速に近づく鳴き声がその証。

 空気を震わせる響きに肝が縮み上がるような気分になりながらもハラネスは努めて冷静に、自分の出来る最善を模索して……機械の両脚を踏み込んだ。


「ぐっ……オオッ!」


 全身を強張らせ、衝撃に備えて飛び込むのは墜落したイサナトリへの追い討ちを狙って急速降下するクジラの進路上。

 相手のスピードと自身のスピードから導き出した、互いの進路がぶつかる地点へとフルスピードで突入した大きな鋼の塊である採掘機械は砲弾に等しく、クジラの横っ腹を打ち据えた。

 グニャリと分厚い皮と肉に衝撃が伝わって、巨体が弾き出されると共に、痛みと予想外に驚くクジラの鳴き声が響く。


「やった!」


 手脚を投げ出し地面に倒れ伏す採掘機械の中から背を向け尾ビレを振って逃げ出すクジラの姿を見たセファンが歓喜の声を上げるが、これはまだ危機のほんの始まりを凌いだだけに過ぎないとハラネスは知っている。


「一時的に退いただけだ。あのイサナトリを調べるぞ」


 もはや用済みとなった機械から這い出たハラネスはそれだけ言うと、足早に駆け出す。

 目指すのは墜落したイサナトリ。

 仰向けに倒れる……球体に近い体躯の為に転がるという表現が似合うその状態で沈黙したまま、動きを見せない6メートル程の鉄塊に辿り着いたハラネスはイサナトリの装甲を叩き操縦者の安否を確かめる。


「おい!無事か!?意識があるならマスクを着けろ!ハッチを開ける!」


 装甲の間にあるハッチ開閉用レバーを見つけたハラネスは力強くそれを捻り、ガタリという金属音と共にイサナトリの正面装甲が動き出す。

 分厚い金属の殻の隙間に身を滑り込ませ、コクピットに座る彼を見た時にハラネスは少し顔を顰めた。


「あの時の……腕が良いという話だったが」


 コクピットの硬い椅子で気絶するのは金髪の青年、揚陸艇で嫌味な言葉を放った彼であった。

 とはいえそれがハラネスの行動を躊躇わせる要因にはならず、手早く彼の腰に付けていたマスクを着けさせてコクピットから引っ張り出して地面へと慎重に寝かせて安堵する。


「ハラネスさん!」


 そこへ追い付いたセファン、そして後ろには歯抜けの老人が続く。

 2人は地面に横たわるハッチの開いたイサナトリとその操縦者を見て、ハラネスがやろうとしている事を察して息を呑む。


「まさか……ハラネスさんが乗るつもりですか!?」

「言っちゃぁなんだが、この気絶してる金髪のにいちゃんは凄腕の銛撃ちだ。それが負けてんだから隠れて救援を待った方が良いんじゃねぇかい?」


 怪訝な……それ以上に心配の視線を向ける2人に構う事なくハラネスは再びイサナトリの中へと入って無言の返事とする。


「言っても無駄なら……我々に出来る事はこれですよね」


 眼鏡を上げて、セファンもイサナトリへと駆け出し縋り付くようにしてその機構を点検始めた。

 それには老人も仕方なし、といった表情で呆れ顔だ。


「オイオイ……セファンの坊ちゃんも当てられたのか?」


 言葉とは裏腹に楽しげに呟く老人は軽い足取りで点検へと加わる。

 老人はイサナトリの背部を、セファンはそれ以外を。

 ハラネスはコクピット内に内臓めいて複雑に組み合った計器を確認しながら機関へと燃料を送り込む。

 危機に瀕し、不思議な高揚感と連帯感が3人を結び付けてイサナトリの再起動へ向けて突き動かすのだ。


「動翼、イサリビ機関も両方問題無ぇ!全開でぶっ飛べるぜ!」

「武装は右腕の銛筒の装填装置に破損アリ!左腕の銛筒が使用不可!おそらく体当たりを喰らったのが左側なのかと……稼働に問題ありませんか?」

「見てみよう、離れていろ!」


 ハラネスは左のレバーにゆっくりと力を込める。

 ジワリと跳ね返す抵抗感と共に倒れるレバーに連動して、コクピットの外では大きな鋼の腕が横に振られる。

 ギシギシと金属の軋む不快な音が響き、3人は思わず苦い顔をしてそれを見た。


「動きはするが……まぁ良い、使えない銛筒はここに捨てておく。右は手で装填すれば良い。その為の人型だ」


 もはや重りとなった巨大な筒をイサナトリの左前腕から外し、再びこの鉄塊を空へと上げる準備が整った。

 それぞれ数時間の付き合いだが一度見知ってしまったからには他人ではいられず、最後となるかもしれない言葉を交わす為に閉め切る前のハッチの隙間越しに3人は顔を合わせる。


「本当にやんのかい。無線で助けを呼んだりよぉ……」

「あのクジラの耳障りな歌、あれが無線を妨害しているんだ。飛び上がったら信号弾は撃つようにする……俺が落とされても助けは来るだろう」


 しかしそれではひとしきりクジラが暴れた後に助けが来る事になる。

 それがハラネスという男は我慢ならないのだ。

 理由が分からずともその強い衝動が2人には伝わって、コクピットから梃子でも動かないだろうと思わせる程だ。


「そんな事になったら気の弱い私は自分の仕事の不備を悔やんで眠れなくなってしまいますから、なんとかしてくださいよ?」

「ああ、お前達の仕事は最高だったと証明してやる」


 戦士とはこういう人の事を言うのかと、セファンは初めて見る人の瞳に灯る炎を見送りハッチから離れる。

 この状況で彼は人生最高の高揚感に包まれていた。


「僕が触ったイサナトリが……飛ぶ……!」


 自らの命を脅かす存在を目の前の緻密で堅牢な機械が斃すのだという確信、信頼。

 それらが堪らなく心臓を高鳴らせるのだ。

 そしてそれはセファンだけのものではない。

 コクピットの硬いシートに固定されたハラネスも同じものを抱いていた。


「ハッチ閉鎖、空気の循環……問題なし」


 外部から取り込んだ汚染された空気を浄化し、コクピット内には清浄な空気が流れ始める。

 それにより息苦しいマスクから解き放たれたハラネスの口許は喜びで釣り上がり……緊張に強張っていた。


「ふぅ……もう乗らないと、決めていた筈だったろう」


 ハラネスはシャツのボタンを幾つか外し、その下からネックレスを取り出す。

 それはただ紐に大小様々な白い破片を鱗のように幾つも連ねた簡素な物。

 それは今まさに彼の頭上の空を泳いでいるような巨大で強大な生物の骨のひとかけら、それぞれ別の個体から得た戦利品。

 ハラネスという男がどのような人生を送って来たのかを簡潔に表したそれを握って目を瞑る。


「兄さん、どうやら俺はここから離れられないらしい……道を示してくれ」


 瞑想は1秒程度の僅かな時間だった。

 時間的な余裕もない状況である為に仕方ないのだが、しかしその僅かな時間でハラネスの心に火が灯る。


「機関始動」


 そして火はイサナトリの心臓にも。

 イサリビ機関と呼ばれるそれはイサナトリに限らずこの世界の飛行機械の大半に搭載される心臓部だ。

 クジラの脂から精製された燃料を燃焼して推力とする機構はイサナトリを空へと送り出す為に力強く唸りを上げ、この燃料特有の白色を纏った炎を吹き出す。


「この音、振動……」


 決して居心地が良いとは言えない硬いシートに騒音、揺れ。

 それら全てがハラネスを突き動かす力となる。


「やはり俺は銛撃ち……クジラを狩る為に生きている!」


 ハラネスが、イサナトリが飛翔する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る