小説の設定集
@Cogito_ergosum
「生い立ち」
生まれたのは2005/5/16/AM10:24、場所は紅く輝きほのかな酸味と甘美な味の果実が多く取れる田舎の病院だった。
耳が大きすぎて折り畳まれた状態で出てきたらしく、耳を広げたらしいですね。
父は国外からこの国に出稼ぎに来ていて、母は亡国の子孫で今はこの国で暮らしてる洋服屋の店員でした。
まぁ、亡国と言っても元となった国は健在で、その土地を元の国に返しただけである。確かその場所は黒き竜の名を持つ地らしい。
父と母の親が知り合いで、二人とも20代後半なので結婚した方が良いという親の判断で結婚したという。
2人とも血の繋がりを重んじる伝統の国出身だった家なので、二人に拒否権はなくトントン拍子で結婚したらしい。
母は浮気をして子を一人堕し、その後に私と弟を産んでまた浮気をした。
2度目の浮気に怒った父は離婚をして私と弟を黒き竜の名を持つ地の実家に連れて行きました。
そう、実は父は黒き竜の名を持つ地の出身だったのだ。
亡国の子孫と今その地で暮らす民が結婚したのですから、何か運命的なものを感じます。
その後父は人々が行き交う東のみやこに新な出会いと仕事を求めて移動しました。
これが3歳の時の出来事です。
親が勝手に決めた結婚で浮気はする事もわかっていたろうに、父と来たらなんて小さい器をしているんだろうか。
黒き竜の地に着いた私たちはそこでお婆ちゃんに育てられました。
お婆ちゃんは元小学校の先生だったみたいで教育には自信があったそうです。
朝は6:00に起こされて道路に並んでる朝市で買い物をして、その後は習い事のラッシュでピアノはAM7:00から12:00、ダンスは13:00から15:00、墨画、水彩画、絵は16:00から20:00、その後課題も込みで遅い時は夜の25:00まで起きてる時もありました。正気の沙汰じゃないです。
休日はピアノだけで、土曜日か日曜日の午後には教会に行ってお祈りを1時間ほどして帰っていました。
牧師さんが教典を読んで聞いてお祈りする感じですね。
お婆ちゃんは悪い事をしたらその事を告白して赦してもらう所と言ってましたね。
そういえば立体的に見える神の子の下敷きをねだって買って貰った記憶があります。
当時の私は、神にお願い事を祈ってるけど何も起きない。しかし大人はいると言ってるから神は存在しているらしい。でも願い事を叶えないならそんなの神じゃない。という理論でその宗教を信じなくなっていました。
当時遊んでたおもちゃといえば雑貨屋で売ってたメンコとか変形するロボットを買って近所の友達と遊んでました。
あとは黒い紙で削って絵を描く紙とかチョークで地面に絵を描いて遊んでましたね。従姉妹と描いておしっこで消してましたね。
そういえば家で飼ってた鶏が育ったからと言ってもお婆ちゃんがその日の晩御飯に出してきたのを覚えていますね。あれからペットを飼う気はほとんど起きませんでした。
公園には普通に野良犬とか猫がいて、犬には追いかけられるし猫には引っ掛けられて病院で注射する羽目になったのでどっちも嫌いでした。
小学一年生になった時に学童も少し通っていました。
確か放課後に雑貨屋でお菓子を盗んでお婆ちゃんにバレてビンタを数回された後役職で働いてる叔父さんに体を何回か蹴られて外に2、3時間放置されたのを覚えていますね。その後に薬剤師の叔母さんにも1時間ぐらいお婆ちゃんと一緒に説教されました。
結局雑貨屋に謝りに行かなかったですね。いつも使ってる所だったのもあってか、家の恥だからみたいな感じで...
お小遣い無かったけど欲しいからやった事だと思いますが、1回目の犯行でむしろ見つかって良かったのかも知れませんね。
あと今思えば子供って蹴られると吹っ飛ぶんだな〜というのを思いました。
これが7歳までの出来事です。
弟は何故かピアノの習い事だけだったので結構理不尽を感じてましたね。
オモチャも何故か良いのを買って貰ってたし、でも弟が何かやらかして革のベルトでお婆ちゃんに殴られるのを庇ってたのでいつも私だけ傷多かったですね。でも結局いつも喧嘩しがちだし、かと言ってお互い夜寝る時は仲良く同じベットだしで...なんとも言えない感じでした。
あれはそう。7歳の夏の時だった。
母が会いたいと言ってネズミが主題のテーマパークに遊びに行くことになった日のことです。
帰る時に私は本能的に今の生活から抜け出せるのはここしかないと感じて、泣きながら母と暮らしたいと言って残ったのを覚えています。
その時に弟も一緒に来ようよと言ったのですが、来てくれませんでした。
「それが君の選択なの?絶対に後悔するよ!一緒に来ようよ。こっちの方がいいよ!?」と言ったのを今でも覚えています。
結局弟はすっかり荒れてしまって、予想通り過ぎて可哀想です。
あの時になんとしてでも連れて行くべきでしたね。兄としてとても後悔しています。
こちらに来た時に驚いたことがあります。洗濯機ですね。黒き竜の地にいた時は名前だけ聞いたことがありましたけど、これほど便利だとは思いませんでしたね。全部洗濯板で服を洗っていたので革命的でした。もう手を痛めながら洗わなくていいんだなと感動しました。
その後私は1年間学校に通いながらその国の言葉を習う場所に通い、2年生の時から小学校に入りました。
小学校の2年生までは母とお風呂入ってましたね。やはり何するにしても一人だと寂しかったですね。家にはいつも働きに出てる母がいるので家ではいつも暇してましたね。
ゲーム機もないし、テレビをつけて見ても何が面白いのかさっぱりわからないしで暇でした。
私が急に帰って来たものですから、母も私を育てるのにお金がいるのでパートを2、3個掛け持ちして忙しそうに働いていました。
その頑張りがすごく伝わってくるので出来るだけ大人しく良い子にしてたつもりでしたが、結局学校では馴染めず...
喧嘩とかは3、4回と数えれるぐらいしかしてませんでしたが問題は起こして心配はさせてましたね。
月に一度お婆ちゃんから10万から15万円お金を貰ってたみたいで、母はそれを色々な事に使ってたみたいですね。家賃や学費、給食費や衣服もあるでしょうけど、遊びに使ったり、タバコやお酒、私は正直食べたくないけど母は食べたいみたいなので口実を合わせて買った食べ物など結局母が全部食べてましたね。
幼いと言っても小学生高学年にもなれば嫌でもなんとなく理解出来てしまいます。でも一人で子育ては大変だろうしいつも迷惑掛けてるだろうから全部見て見ぬふりをしてましたね。
小学校3年生の時に雑貨屋でスタンプラリーをするともらえるシールとかポケモンカードに夢中で、川口に住んでる叔母さんの家とか遠くに出かける度に集めて貰ってました。
ある日の放課後に母からサプライズでそれを貰いまして、ツンデレだった私はこの嬉しさと感謝の気持ちを表現出来ずに「いらねぇよ。」と突き返しまして「なんか言うことがあるんじゃないの?」とチャンスを貰ったのに無視して、母が「もうわかったよ。」と言った後に少しの間泣いてそのカードを破り捨てて私にこう言いましたね。「今後はもう一切こういうのやらないからね」と...そこからでした。
自分の思った事を全部口に出して言うようになりまして、それで学校で問題が起こる事も増えたけど学校の友達も増えたし元から友達は減りました。
でも総体的に見ると増えましたね。
小学校4年生ぐらいの時に母が家に連れ込んで遊んでたこれまた出稼ぎの男と結婚しました。
確か小5の誕生日に酒に酔った勢いで私が水かなんかを溢したのをきっかけに暴力されて台無しになったのを覚えています。丁度その日ポケモンの映画を放送してたのも覚えていますね。
正直負の思い出が強過ぎてその日事はほとんど殴られて暴言吐かれたぐらいしか覚えていません。
人間は嫌な記憶は忘れると言いますが、何故かこのクソみたいな記憶だけは忘れれません。なんででしょうね。
その頃ピアノはもうすっかり弾き方を忘ていましたが、絵はずっと描いてたので自分で言うのもなんですが小学生にしてはなかなかに上手かったと思いますね。セイラームーンとかドラゴンボールのキャラをよく描いてました。
そしてこの頃に水泳も習ってましたね。
ほんとなんていうか当時色々ありすぎて精神的にも辛かったようで私の中の他の人格が出来たのもこの時でした。小学校2年生の時です。
最初は寝る前に寝れなくて色々考えてたらその日の振り返りみたいのを自分でしてまして、そうすると声が聞こえてくるんですよね。
円盤の机に何人かが座ってて今日の出来事について議論してるんです。
そしてその後ろの部下?見たいのが「そうだ!そうだ!」とかヤジ入れるんですよね。
最初は私が話かけても反応はないし聞いてるしかなかったけど、小学校4年生ぐらいの頃には会話が成り立つようになっていましたね。
私入れて6人で喋ってました。と言っても結局全員私がその性格になって話してるだけなので、多重人格とは全くの別物です。
宇宙はどこまで続くのか、なんで私は生きているのか、死ぬのが怖くて当時部屋別々で一人で寝てたのですが母の布団に入って慰めて貰ってましたね。
結局それが続くから抱き枕を買って貰いました。それからは寝る時に寂しくても抱き枕に甘えれるので母の所に行って泣く事はなくなりましたね。
小学校の3年生ぐらいの時に厨二病が起きて初めて自分が主人公の痛い小説を書き始めましたね。
母に見られて恥ずかしい思いをしたのでそれからは誰にも見せてません。
自分で楽しむことにしました。
ちなみに今でも厨二病は治ってません。もしかしたら一生このままかも知れませんね。
学童でモンスターを作ってRPGをしてた子がいて、私もモンスターを描くのは好きでオリジナルモンスターは作ってたのでその子を真似事みたいな感じで始めたのが小説の始まりです。
ヴァンガード、バディファイト、スピリッツ、デュエマ、遊戯王、爆丸、ベイブレイド、マイクラ、モンスターハンター、妖怪ヴォッチ、マリオ、カービィここらへんに出会ったのは小学校3年生ぐらいからで、結局ゲーム機は買ってもらえなくて友達の借りたり家のWiiで遊んでました。
それまでは虫取りとか一人遊びを極めてましたね。
あとはおママごとに入れて貰ってましたね。いつも人数不足だったのもあるからかもしれませんが、それで友達は女子の方が多かった気がします。
女子会も行ってましたね。
あとは自分のお家の畑とかのお手伝いですね。
全てはあの事件があった後に変わりましたね。やはり影響は大きかったみたいです。
あとはこの時からですかね。自分の性がどっちなのかがわからなくなったのが...
特に気にした事はないけど学校の友達が気にし始める頃というのもあって女子会には徐々に参加しなくなってったし、家の写真集見てもよっぽど母は女の子が欲しかったのか女装の方の写真が多かったですね。男っぽい衣装だと桃太郎と金太郎ぐらいで他お姫様衣装を着てましたね。
周りの影響と女の子の家庭ということもあって自分が女の子だったらなと思い始めたのもこの頃で、これが後の性癖のふたなりに影響をするんですよね。
でも結局周りが性別を気にしてるだけで無神経で思った事を口に出してしまう私からしたら生物学的違いはあれど、結局どうでもいいしそれを気にする君達の言ってる意味は理解出来ても気持ちまでは理解出来ないしどうしても馬鹿だなと思ってしまうんですよね。
これが11歳までの出来事でした。
精神的な成長が顕著に出る時期ですよね。
結構母に気を使ったりとマセガキなのかなと思いきや、サンタさんは信じてたしプリキュアは流石にアニメだから嘘なんだなと理解してたけど、仮面ライダーという仕事があると思ってたし大人になれば誰かと絶対に結ばれて幸せな家庭を築けるのかなと思ってましたね。
あと子供は結婚した女の子という条件を達成すればキスするだけで出来ると信じてましたね。
でも小学校5年生の保健体育で男の子にしかついてないものを女の子のお尻に入れれば子供が出来るという解釈になって、お尻に入れたら絶対痛いのに女の子は大変だな〜とか思ってましたね。おしっこが出る所をうんちが出る所に入れて汚くないのかな?とかいう小学生が喜びそうなワードを一人で言ってははしゃいでましたね。
あれは11歳の秋終わりぐらいですかね。定期的に会いにきてた父に泣きついて、義父の暴力に耐えられない東のみやこに行きたいと頼んで行来ました。
小学校は全然馴染めなくていじめされてましたね。野原にメガネを割られたのは今でも覚えていますね。
弁償させるべきだよと父に言ったら、人間としては自分にも喧嘩の原因はあるかもしれないだろ?ならば弁償はさせない方が正しいとか言い出してびっくりしたのを覚えています。
こっちにきた時はすでに義母と結婚していて、結婚した理由が可哀想なので生活保護下に入れるためなのと家に家事してくれる人がいると便利じゃない?という理由で結婚したらしい。
馬鹿馬鹿しい、偽善者め。
てか相手はそれでいて父に文句言うし、父の財産は半分私の物なので死んだら私が貰います〜とか言ってる事は間違ってないけど発言がマジで頭おかしくて、しかも喧嘩した後に私の状況が状況じゃなければ結婚なんかしませんとか言い出すしで、本当に何故結婚したのか。結婚とはそもそも好きな人同士がするものじゃないのか?とか色々考えされてます。謎です。
中学校に入って小学校のいじめもあって少し引っ越しをしました。
でも結局いじめられて不登校になったり自殺したりしたけどカウンセラーに通ったり、心理学や哲学とか本で学んで今自分には何が起きててどうすればいいのかを勉強して乗り越えたらいつのまにか強いメンタルを手に入れてましたね。
でも中2で親と喧嘩して首を絞められたので警察に相談して児童相談所に1年お世話になり、中3も結局またいじめに合うけど相手にするのが面倒だからカウンセラーの日だけ登校してたからほとんど不登校みたいな感じでしたね。でも結局高校に上がって生きる意味とか楽しさを見出せなくて、死ぬ恐怖を乗り越えて自殺して今の私が生まれました。
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