第六話 歌詞を噛み締めてみる魔法

 芝浦の空は今日も青かった。ここは都心なのに野鳥をよく見かける。海が近いせいか他の区と天気が少し違う。マンションの前は抜けて緑地になっていて、風が気持ち良い。

 あの9.11を経験したマイルスは日本に戻って来ていた。大勢の人々が一瞬で亡くなったあのテロは、マイルスにとって想像や思考の範囲を遥かに超えていた。

 時々訪れていたWorld Trade Center前のBrooks Brothersのシャツ売り場から、落下したビルの尖塔が映画で見る核戦争の後の自由の女神のように、突き刺さっていた。見慣れた風景と、見たこともない風景が混ざり合っていた。この近くにはすでに別れた2番目の妻の務める銀行があった。World Trade Centerの真下に地下鉄の駅があったので無事だったか心配した。

 幸いにもテロにも無事だった元妻は別れる時、

「私と音楽どっちを取るの?」と訊いた。

マイルスは「音楽」と答えてしまった。「両方」とオレは何故言えなかったのだろう?そして「音楽」はオレが中学生の頃からずっと付き合ってきた恋人だった。


「北さん、マイクなしで歌っている時に、残響(エコー)は付いていないと思いがちだよね。実際に残響の無い音と言うのは、前後左右上下を大きなくさびに囲まれた無響室の中でしか体感できないんだ」とマイルス。「そしてそれでさえも無響は完璧ではない」「宇宙空間の中なら完璧かもしれないけど、今度は、実際に生の耳で聞くことは不可能だ」


「よく聴くと、いろんな場所で聞こえる反射が、残響となる。それは体の内外でも起こっていてね、歌い方で残響感をコントロールすることが出来きるんだよ」

「この中でね、最大の残響感が、歌の気持ちで起こっていて、相手の気持ちが伝わるのはその為なんだ」


「歌は世界の共通語と言われるよね。これは意味が分からなくても、気持ちが伝わると言うことだ。これらは特に、言葉一つ一つを言い終わった後に、感じるんだ。つまり声が出ている時間だけが歌だという事ではないのだよ」


「北さん、気持ちを持つことで余韻は産まれるんだ。歌は心なんだよ」

 先生の声はでかくて透ると思っていたが、体内にエコーマシンが入っているとは気づかなかった、と北さんは思った。



「美樹さん、口の開け方は前回やりましたね」と、マイルスが言った。「はい、スマイルするんですよね」と美樹。 

「今度は発声をする時、ピッチャーがボールを投げるように投げましょう。投げたボールはもうコントロール出来ない。あなたは歌をコントロールしようとしていませんか?」

「していますけど?」

「それが良くない。それは置きに行った球です。ストライクを取ろうとして打たれる」「歌は思い切り投げるんです。投げてから言葉を言うのです」

 美樹はやってみたが、投げるのが遅いと言われた。確かに、言葉を言ってから、投げようとしている。

「いいですか。言葉は一つずつ言うのではなく、塊として投げましょう。口は後から動いて行きます」「口と音を合わせようとすると、言葉はぎこちなくなります」美樹はもう一度やって見ると、今度はすごく軽く出来た気がした。

「何か歌ってない位、軽い感じがするんですけど、これで良いのでしょうか?」

「それでいいんです」「この時響きが更に付いた感じがしませんか?」

「そうですね...」



「それでは今度は、投げた後、『どこで終わったか分からない』と歌います」

「??」

「やってみましょう」と言って、マイルスは「あー」と歌って、すぐ口を閉じた。

「これはもう論外ですね。だめですね」

 次に、投げてフェードを付けた。響きがある。


「今度は『どこで終わったか分からない』です」

歌って見せると、歌は終わったはずなのに余韻がずっと続いている。

「これがフェードと余韻です」

 マイルスは続けた。「でもどうして余韻が聴こえるのでしょう?」

「あなたは歌を聴いて、何語…、どこの国の人か分からない...、英語だけど意味が分からない...、日本語だけどむにゃむにゃと歌っているので歌詞が聞き取れない...、でも良い歌だ、と思ったことはありませんか?」


「あります」と美樹。

「意味も分からないのに良い歌だなんて、おかしくありません?」とマイルス。

「メロディーとか?...」

「じゃあ楽器でもいい?」

「あ.....」

「大丈夫、少し意地悪を言ってみただけです」「歌は世界の共通語とか、言いますよね?意味が分からなくても、気持ちが想いが伝わると言うことです」

「それでオレが『響け!』と思うと、余韻が付いたのです」「音叉と音叉を近づけて、片方を鳴らすと、もう一方も鳴り出しますよね。共振です。共鳴と言っても良い、共感、感銘、感動といっても良い」「これが余韻の正体です。一緒にやってみましょう」

 美樹はやってみて、上手く言ったような気がした。

「いいですよ!」「でも、今あなたは歌いながら、『これで良いのかしら?』とも、思いましたよね?あなたの思ったことは伝わるんですよ」

 確かに、と美樹は思った。


 マイルスは続けて

「この時、息は苦しい感じですか?」

「いいえ、ちっとも」美樹は言った。

「あなたは、もう息を吸ったことになっているのです。いわゆる息継ぎを、もうした事になっているのです」

「と、言うわけでここのレッスンでは、息継ぎをしてはいけないことになっています」と、マイルスは言った。

「困っていますね」

「困っています」と美樹。

「それでは息が勝手に入ってくるか検証をしましょう」「『ふっ』と言ってみるとお腹が動きます。これが腹筋です。これは勝手に動くのであって、押してはいけません。動いたか動かないか位、微妙で良いのです」

「一方、胸は息を吐いたのに膨らむ感じがします。瞬時に、自動的に、息継ぎをしたのです。口は開けたままですよ」

「しゃべっている時はこの動作が自動的に行われます。投げて伸ばさなければ上手く行きます」

 確かに息が戻ってくる感じがする。苦しくない。と美樹は思った。

「歌は言葉ですよね。なのに何故言葉に無いものを、歌でやってしまうのでしょう」

「この場合は、『息は取らない』と言うことです」と、マイルスが言った。

「歌を何度も練習するのはもちろんだが、歌詞を何度も読んで、意味を噛み締める人は少ない。まして英語の歌となると、いつまでも知らない単語や言葉を放っておいている」マイルスの言葉に浜ちゃんは頷く。

「正確な訳は望めないかもしれないが、何となく意味を理解することと、意味を感じ取ることは重要だ。また言葉通りでなく、超訳するのも良いだろう」と続けた。

「映画の監督か、演出家になってドラマを再現してみるのも良い。ビジュアルに歌詞を捉えるのは、非常に有効な方法である」「何度も歌詞を読み返したり、歌ったりしているとドラマの主人公がその役になりきるように歌えるようになる。もっともここまで来るにはそれなりの気持ちの持って行き方や、歌詞への想いが大切だ」

 少し浜ちゃんの気持ちが熱くなった。

 歌を歌うためには、音楽をやるためには、恋をしなさいと言うのは、この辺から来ている。大好きな Billie Holiday の歌う曲に“You don’t know what love is”というのがあるが「沢山傷ついた分だけ、優しくなれる」とマイルスは言った。

「ずいぶん傷ついたけど、やさしくなれたかなあ…」と浜ちゃん。

「歌の世界では虹の彼方へ飛んで行ったり、月に飛んで行ったり、誰も自分を知らない街を彷徨ったり、何でも起こってしまう。魂を開放すると、違った自分が見えてくる」とマイルス。

「タイムマシンや瞬間移動みたい…」と浜ちゃんは思った。

「もし『If』と言う言葉は、歌詞の中に多く見かけるが、パラレル・ワールドを見ているようなものだと思う。叶わなくても良い。その思いこそが大事で、歌なのだ」

「歌はドラマなのだ。あなたの歌う曲は1篇の映画であり、1冊の本だ」

 そしてマイルスの想いはニューヨークへ飛んだ。

I left my heart in New York city......


 きっとNeo Maggioの夜明けはこうだった。



 ニューヨークでマイルスがプロデュースの仕事をしていた時、日本から、有望な日本人歌手がニューヨークにいないかとの、問い合わせがあった。ちょうど宇多田ヒカルがヒットしていた頃だった。二匹目の「どじょう」探しと、言うところだろう。

 募集をかけ、かなりの応募があった。男子はロック系、女子はR&B系というところだった。集めては見たが何せ歌唱力が足りない。一歩スタジオの外に出たときのアメリカ人との歌唱力とに、雲泥の差がある。

 良い所も有るけど、音程が甘い、声が安定しない、響きが悪いなど難題のオンパレードだった。

 解決策を考えてみたが、何も浮かばない。「少し外の空気でも吸って気分を変えてこよう」とマイルスは思った。

 この島ルーズベルトアイランドはイーストリバーの中に浮かんでいて、ビルのすぐ前を川が流れる。この川はハドソン川からの支流か、自由の女神がいるアッパー湾とロングアイランド海に挟まれた海なのか分からない。それなので潮の香りがする。川の流れる方向も変わる。

 ここ、ルーズベルトアイランドもマンハッタン区で、いわゆるNY, NY(ニューヨーク・ニューヨーク)だが、マンハッタン島を目の前に見るマンハッタン区の唯一の場所だ。マンハッタンは霧のマンハッタンとも言われ、濃霧の際その姿はルーズベルトアイランドから完全に消える。マイルスはその時、何故かマンハッタンは本当に今存在しないのだと想った。



 マンハッタン島はその昔はニューアムステルダムと呼ばれていた。オランダ人がインディアンから数ドル分のビーズ玉やら何やらで買った島で、現在の不動産価値から考えるとものすごく安い買い物をしたものだ。その後イギリスの植民地になり、ヨーク候にちなんでニューヨークと呼ばれるようになった。1785年から1790年まではアメリカ合衆国の首都機能を果たしたこともあるそうだ。


 天然の良港としてのニューヨークは世界の貿易港として発展していく。またヨーロッパからの玄関口となり、自由の女神がフランスから送られ、移民の到着を出迎えることになる。


 マンハッタンの向こう岸はブルックリンで、この頃は全米第一と第二の別々の市だった。ニューヨークにやってくる貨物船の積み下ろし港として大きく栄えていた。有名なブルックリン・ブリッジが架かり、ブルックリンがニューヨークに併合されると、ブルックリンは急速に寂れていった。野球チームのロサンジェルス・ドジャースは、かつてブルックリン・ドジャースと呼ばれ、ニューヨーク・ヤンキースと競い合っていたのだったが...


 南部からやって来たジャズはこの地で発展する。Billie Holidayが黒人で最初にカーネギーホールの舞台を踏むことになる。そしてニューヨークはジャズの本場として、様々なミュージシャンの活躍する街に成っていく。 

 対岸に、車が川岸のハイウェイを流れて行く。左右にずっと摩天楼群が続いて行く。川には、はしけやヨットや水上ポリスの船が通って行く。それらをぼんやり眺めながら、「彼らの歌の実力を上げるには、オレどうしたら良いんだろう」とため息が出た。

 その時ふと思い出したのが、Maggio Systemだった。良いかもしれない!トランペットのアイディアを歌に応用なんて聞いたことも無いが、少しずつ直して行っても間に合わない、ここは一つ発想の転換が必要だ。

 まずは歌手を目指す彼らに何が必要かと考えてみた。そうすると幾つかの項目が見えてきた。発声は強くない震えないフェードで、豊かな響きと余韻、言葉の明瞭さ、音域の広さそして何より歌心だろう。これらを育てるためのメソッドが欲しい。

 Maggio教則本の最初のページに書いてあったペダルトーンから試してみた。出そうとせず、真ん中の低い「ド」から降りてみる。もともとマイルスは1オクターブくらい低いのは当たり前に出る。低い音の限界辺りから、出そうとせずボリュームを抜いてみる。トランペットで培ったやり方だ。声でも出せる気がする、と思った。

 気が付くと、指はPianoの最低音まで来ていた。ボリューム感が無いので、自分でも、出ているかどうか半信半疑だった。いや、オレ錯覚しているだけだとも思った。しかし、確かに声は一音ずつ降りて行っていて、つっかえた感じがしない。これが出来ているとすればMaggio Systemでは高いほうにも効果があるはずだと思った。




 ミノさんの場合、歌が上手くないと思っているので、恥ずかしそうに歌う。そして声が通らないと思って、大きな声を出そうとする。また歌詞が聞こえないといけないと思い、1音づつ丁寧?に歌おうとする。

 音程は気を付けるし、リズムも気になる。また息もたっぷりと取ろうとする。フレーズごとに上手く行ったか確かめようとする。これはいけない。

 何がいけないって、全部いけない。これが歌をちっとも上手くしない大きな原因だ。

 何より「考えてはいけない」と、マイルスは言う。でも、考えずにどうやって歌うんだと、ミノさん。

 考えないことを、考えてしまうと、ミノさんは思った。ミノさんに限らず、あの憧れの歌手みたいになりたいと思っている。なれなくても近づけたら嬉しいと、思っている。でも彼らは考えて歌っているようには見えない。歌に気持ちを込めたり、歌に浸っているかのようだ。

「良いですか。これから勉強していく手順はすごく明快です。出来なくてもいい。オレが出来るようにします」と、マイルスは言った。

「しばらくの間、あなたはオレの患者です。病人は治りたい、健康になりたい、と願うだけでいい。医者の言うことを守るだけでいいのです。治らなければ、私の責任です」と、マイルスは言った。


 そしてマイルスは、まず歌は伸ばしてはいけないと言った。伸ばす代わりに「あ」を沢山言いましょうと。

「ああああああああああああああ...」これがイメージです。「あ」を言い直すのではなく、つながっているようにイメージしましょう。

 やってみたが、ミノさんは、上手く行っているとは思えなかった。

「ボリュームを使おうとしてはいけません」「考えずに、イメージに自分を引っ張らせるように歌うのですよ」と、マイルスが言った。

 ミノさんは 、今度は上手く行った気がした。

「どうですか?どんな感じですか?」と、マイルス。「歌ってないように軽いです」と、ミノさん。

「これが新しいあなたの声です。さっきと違って声が震えてないでしょう」

「ア?、本当だ!」

「これが『ダブルスペリング』基本の一つです。これについてはもう少しお話をしましょう...」

「あなたは英語には伸ばす音があると思っていますか?」

「はい、いっぱいあると思います」とミノさん。

 マイルスは訊いた。「例えば?」

ミノさんは「スターとか、ムーンとか」と言った。

「でもそれは、あなたが伸ばすと思っているだけですよね?私だったら『Star』の『r』は、伸ばすより、舌を巻くとイメージします。『Moon』は『oo』と二つある感じで、発音します」 と言って、マイルスは『Star』と『Moon』の発音をして見せた。ミノさんは自分の発音とは随分違うと思った。

 マイルスは言った。「でも発音記号には『 ː 』と言うのがあって、伸ばすと思っていませんか?」

ミノさん「そうですね...?」

「でも発音記号の考え方は、『発音はこういう風に発音しなさい』と言うのではなく、『発音はこう聞こえますよ』と言うのだったら、どう思いますか?」

...


「ネットに行くと英語の辞書があって、スピーカーマークを押すと発音してくれますよね。あれと一緒で、聞こえ方を表したものと、考えてみてください。真似して発音しても、いきなりネイティブスピーカーになれる訳では、ありませんよね?」

...

「では、あの発音記号を見たことのあるアメリカ人は、どれだけ居るのでしょうか...ほとんどいないでしょう。だとすれば、あの発音記号が、絶対だとは言えませんよね」

...「あ?はい」

「じゃあ、アメリカ人にとって、何が英語で絶対なのでしょう?」

「音ですか?親や、周りの人の発音を、聴いて覚えるのではないですか?」とミノさん。

「それじゃあ、テキサス訛り、ニューヨーク訛り、ボストン訛り、シカゴ訛り、カルフォルニア訛りとあるのに、お互いどうして通じ合えるのでしょう」

...


 それでは何が英語にとって絶対なのでしょう?」

...「ス、スペルですか?」

「良いですね。鋭くなりましたね」

ミノさんは嬉そうに「あっ、どうも」と言った。

「イギリス英語とアメリカ英語は随分違う感じの発音ですが、スペルはほとんど一緒ですね」

「スペルが違っても『cancel』が『cancell』だったり、『color』が『colour』、『center』が『centre』位でしょうか...」

『と言うか、アルファベットは絶対ですよね?『A-Z』までのアルファベットに絶対伸ばすアルファベットってありますか?」

「オーディオとか、あ!これ日本語ですね」

「Audioですね」

 しばらく考えて、「キープとかどうですか?あれ?Keepですね」

「無いのでしょうか?」

「無いようですね」


「ミノさんはアメリカン・コミックスとか、アメリカの漫画ですね、チラッと位ご覧になったことは、おありでしょう?」

「少しは、」

「スパイダーマンとか、スーパーマンで女性が襲われて、何て言っています?」

...

「『キャアー』とか言っていますね。どう書いてあります?」

...

『aaaaaaahhhhhhh』と書いてありませんか?」

「そうですね。いっぱい書いてありますね」

「『Hellllllllllp』なんて言うのもありますね」とマイルス。

思わず「本当だ」とミノさん。

「沢山スペルを並べても、伸ばすと言うのはありませんね」「これで合点して頂けましたか?」

「合点!がってん!」

「でも日本語には伸ばす音があるんですよね?」

「そうですね。いっぱいありますね」とミノさん。

「例えば?」とマイルス。

「ケーキとか」

「それ、日本語ですか?」

「あれ?違いますね。じゃあ.....................................

「ちょっと出てきませんね...」とミノさん。

「沢山有ると言いましたよね?」とオレ。

「あ、はい」おかしいなあ、と思いながら…

「無いんじゃないですか?」とオレ。

「『あいうえお』五十音の中に、必ず伸ばす音と言うのはありますか?」

「............無いですね」ミノさん。

「じゃあ、伸ばす音は無いんじゃないですか?」突っ込むマイルス。

「...無いですね」ミノさんは探したがどこにもない。

「『-』は何て発音しますか?」

「長母音」とミノさんは答えたが、

「超ボインではないですよ。名前ではないですよ。音ですよ!」とマイルスに切り替えされる。


 ...「ダジャレですか!...でも本当に無いかも...」


「無いですね『-』は記号ですね。音の無いものを言葉と言わないでしょう」

「そうですね...」


 「皆さん『ケータイ』と言うけど、あれは『ケイタイ』でしょう」

「伸ばしても良いけど、言葉本来の中には、伸ばす言葉はありませんね」

「日本語にも英語にも、伸ばす言葉はありませんね」

「歌は言葉ですよね。なのに何故言葉に無いものを、歌でやってしまうのでしょう」

「この場合は伸ばすということですね」と、マイルスは付け加えた。

「日本語的で良いので、勢い良く「ユー」と言ってみましょう。息が一発で、全部出てしまう感じがしませんか?顎が上がる、お腹が折れる感じもしますね」

「今度は英語で「you」と言ってみましょう。英語では、「あ」が沢山言えないので、スペルをダブルにして「yyoouu」と言ってみましょう。これが「ダブルスペリング」です」

「さっきと違って、息がたっぷり残っている感じがしますね。アメリカ人の歌やしゃべり声を聞いて、息がたっぷりしている、と思ったことはありませんか?」

「それではアメリカ人は、肺活量が大きいのでしょうか?だとすればアメリカ人の子供は、歌えないことになります」

「話にとどめを刺すと、赤ちゃんは体も出来ていないのに、何故隣近所に聞こえる大きな声を出せるのでしょうか?肺活量のあるアスリートはみんな歌が上手いのでしょうか?」

「言葉を沢山言うことで、無駄な息の放出を防げます。伸ばさないと考えることで、あなたの歌は見違えるように変わります。だからと言ってブチブチと切る事ではありませんよ」

「英語を話すときにも「ダブルスペリング」を是非気をつけてみて下さい」

lloovvee mmee tteennddeerr nneevveerr lleett mmee ggoo


 ミノさんはあっけに取られていたけれど、話は面白いと思った。そしてこの位斬新でなければ、自分は変われないとも思った。


 マイルスがニューヨークのプロデューサー時代に、気に掛けていた黒人の女の子がスタジオにやって来て、声を枯らしてしまって、もう明日から歌えない、どうしようと泣きついてきた。

 マイルスは、この「ダブルスペリング」を教えた。彼女は言われた通りやってみて「I’ve got my voice back. Thank you」と言った。枯れた声が戻った。

 アメリカ人の彼女に、英語を教えた気がしたが、マイルスは、何も言わなかった。何のことはない、日本のテレビに出ているRobertが、マイルスの知らない日本語を話している。

 中々可愛い娘だったのに、マイルスには名前がどうしても思い出せなかった。

「考え方はこうです」とマイルスは言う。「声がぶれずに真っ直ぐしていれば、音は音程に対して合っているか、合っていないかの2択です。もし声がふらついていれば、音はいつも外れていることになります。この事からも分かる様に、真っ直ぐな声を出す練習は大切です。しかしボリュームはフェードすることが大切です」


「この時いきなり長い音を歌わない事です。キャッチボールのように短い距離から始めて、少しずつフェードをかけながら長くしましょう。いきなりの遠投は危険です」




 マイルスもメソッドを構築しながら何が歌うことをだめにしているか考えてみた。そうするといくつかの結論に行きついた。その一つが日本の教育だ。

 アメリカの公立学校では音楽の授業はない。なのに多くの優秀な歌手を輩出している。彼らはどこで音楽を学ぶのだろう。

ラジオは大きいだろう。おしゃべりなしの音楽番組やチャンネルがかなり沢山ある。その数は日本の現状から考えられない程多い。元々アメリカでは曲はラジオを介してヒットしてきた。レコード会社はDJに何度も曲をかけてもらえるようにお金を渡した。そしてレコード屋にはビデオや販売促進金を渡した。

 教会の役割も大きい。日本では考えられないが、教会にオルガンは勿論のこと、ドラムセットやベースが常設だ。PAミキシングルームも殆んどの教会にある。特に黒人教会は歌うために行く場所だ。

 バンドは勿論だ。アメリカの郊外の住宅にはガレージや地下室が必ずある。そしてそこがバンドの練習場所になる。これは日本の住宅事情から考えると大きな差になっている。

 そして都会にはライブが出来る店がかなりある。演る側も聴く側もそこに集まる。音楽は多様化して学び方も沢山ある。

 しかし日本では学校での画一した、ある意味でかなり間違った歌の教育が行われる。マイルスは歌えない音楽教育、しゃべれない英語教育、これが問題の原因だとつぶやいた。歌えない音楽教師や、しゃべれない英語教師では致し方ない。

「はいもっと大きな声で」とか、「もっと伸ばして」はかなりタチが悪い。「1、2、3、4、」のカウントも悪い。マイルスのカウントは「・2・4」か「・234」だ。

 明治維新に西洋音楽や言語に追いつくように始められた教育が現在の今でも続いているのだろうか?知識との教育重視で実用の教育ではなかったのか?

 マイルスはタイミングを取るのもよくないと、思っている。元々タイミングは「今のはタイミングが良かった」とか終ってから言う言葉だ。流れが上手くいく事と、一瞬の評価は関係ない。

それで音楽の場合、タイミングと言わずグルーブという。いいグルーブとは常にタイミングが合っているようなもので、もはやタイミングとは言わない。

 音符通りというのも初心者の間違いだ。音符の読み方は演奏家により、指揮者により変わる。元々楽曲が生まれるときピアノなどで弾いた形を楽譜に取る。そこには最低限の情報でしかない音符が生まれる。それを後世の人々が解釈といって演奏を評価する。ショパンコンクールなどがそのよい例である。

 音符は音楽の一番シンプルな表示なので、録音物やライブみたいに感動を直に受け取ることはできない。受け取り手の想像力や感性が必要で音符通りに歌ってもそこには感動はない。この時歌詞はこの音符に生命を与える魔法のようなものだ。歌詞の持つ様々なニュアンスがただの記号に息吹を与える。伴奏が無くても歌にはなるが、歌詞なしでは歌にはならない。声を使った楽器である。歌詞があるからその表現は格段に増える。

 このせっかくの表現を台無しにするのが、棒読みに歌う事である。この棒読みの意味は音量を棒読みに歌う事だ。

 例えば汽笛だ。真横ででかい音を聞くとびっくりするだろうが、音楽的ではない。しかしこの汽笛を遠くで聴く。無闇に大きくなく、フェードも余韻もついてまっすぐでない汽笛は、聴く人にある思いを抱かせる。思い出かもしれない。まだ見ぬ世界かもしれない。そしてそれはドラマを描かせる。これは汽笛でありながら音楽ともいえる。

 波の音は更に複雑で、音楽ではないが音楽を浮かべさせる音である。“Reggae”だったり“Sittin’ on the dock of the bay”だったり…

 マイルスは少し後に波の音が曲中大きな音で流れる曲をリリースした。それはアルバムの1曲で、周りから反対されたが、マイルスは良い曲になったと思った。周りの連中も発売後は何も言わなかった。そしてそのアルバムを手にした娘が歌を習いに来た。

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