夢見る乙女の救世記〜夢を自由に操る力に目覚めたけれど、なんか思ってたのと違わない?と言うわけで、夢でやり直す事にしました〜

タンボサン

第1話「夢のあとさき」

この世界には聖女がいた。


一人は千年前。

奇跡も魔法もあるこの世界に現れた、奇跡と魔法の発動そのものを制御する力を持った乙女。

名をエマという。


彼女は素朴で敬虔な田舎娘だった。

彼女が生きた時代は大統一戦争と呼ばれた長い戦乱の時代。

彼女はその力を、奇跡や魔法を争いに利用する者たちを止めるために使うべきと考え、各地の戦場を巡り、幾多の戦乱を鎮めた。


あらゆる戦争行為に使われる奇跡と魔法を無効化するという、彼女の規格外とも言える力は、当然の如く時の為政者たちの目に留まった。


彼女の汚れなき善意が、戦争と支配の道具として利用され始めるのに時間はかからなかった。


やがて、大統一戦争が彼女の尽力により終結すると、聖女エマの最後はあっけなく訪れた。

戦争の勝利者により、その力を永遠に利用するために、死ぬことを許されない非人道的な処置を施され、封印される運命を辿ったのである。


もう一人の聖女はその千年後。

この世界特有の奇跡を操る存在、「ソーマタージ」として覚醒し、夢を自在に操る乙女。

名をレヴリーという。


夜に見る夢。

願望としての夢。

受け入れ難い悪夢としての夢。


「夢」と名の付く概念のほぼ全てに介入することのできるのが彼女の力だった。

聖女エマとは異なるものの、それもまた規格外の力だった。


強く願えばそのあらゆる夢を本当に叶えてしまい、人の夢の中にすら入り込めるという、途方もない力。


レヴリーはその力を持ってしまったがために、様々な人々の思惑と、更には星をも超えた運命に翻弄されていく。


「うつし世はゆめ。夜の夢こそまこと」


その遠い昔の言葉のように、これもまた聖女レヴリーの見る夢のうちの一つ。


彼女が目覚め、願いをこめれば、現実にもなりうる夢の世界のあまたの扉。

その一つを今、開いてみよう。







雨が降っている。

驟雨である。

その大きな雨粒は滝のように地面へと降り注ぎ、蛇のようにうねり、這い回る。


そうしたひどい土砂降りの中、二人の男が対峙している。


その遠い雨垂れの響きを浅く感じながら、私は眠りの中で目を開ける。

そして私は、微睡む意識の中で自分を見失わないように口の中で小さくいつものルーチンを唱える。


「私の名前はレヴリー・O・マルシャン。ビジュー王国生まれ、H&S合衆帝国のヒルズバレー育ち。好きな食べ物はハムチーズオムレツ。将来は料理人を夢見る14歳のチャーミングな赤毛の女の子。…そしてこの世界を護る新しい聖女」


自分に語りかけたルーチンの言葉は、の意識をそれぞれはっきりとさせた。

これは夢を操る私の能力の一つ。

「明晰夢」と呼んでいる。


私が一度でも訪れたことのある場所であれば、そこに意識だけを飛ばして自由に行動する事ができる。


私は地上へと意識を凝らす。

彼の最期を見届けるために。


真昼にも関わらず夜のような暗闇に閉ざされた街中。

街路に立ち並ぶガス灯や、一際目立つ教会の尖塔などのシルエットに轟く雷鳴。

その一瞬の光に照らされる、漆黒の僧衣を纏った青年。

その右腕は無惨にも焼け爛れ、指のいくつかは失われている。

よく見れば、その足元の水たまりは赤黒く染まっていた。


**

エクレール!もういい!そんなことしなくてもういいんだよ!


彼に駆け寄り、呼びかける私。

しかし、その声は彼には届かない。


――そして、その私の姿を俯瞰で見下ろすもう一人の

明晰夢の中では、私の心の断片ごとに私が分裂する。

目の前にいるのは私の優しさ。

そして、このは私の冷静さを色濃く感じさせる意識だ。


ここは私の夢の中であり、現実の世界でもある曖昧な領域。

目の前の青年――エクレールは確かに現実世界の中で傷ついている。

けれど、現実の中で起きていることに夢の住人はただ見つめることしかできない。


エクレールの目の前にいる私の手は、無情にも彼の身体をすり抜けてしまう。

けれど、私は決して諦めずにエクレールを抱きしめようとする。

その姿に、は胸が張り裂けそうになる。


優しくて、その力で誰かを傷つけることをひどく恐れていたエクレール。

その彼が、満身創痍になってまで私のために力を使い、戦ってくれている。

私が彼を止めようとするのも当然だ。


けれど、はこれが逃れられない運命だということを知っている。

エクレールと対峙するもう一人の男、ノマドの方を見やる。


彼と聖女エマの運命に、は自分から飛び込み、決意してここにいるのだ。

目を逸らしてはならない。

**


青年は苦しげに肩で息をしながらも、しかし、その目はひどい憎しみと殺気をもって正面の男を凝視している。


その鋭い矢のような視線を受けて、なお泰然とその男は佇む。

雨粒の流れる眼鏡のレンズが表情を覆い隠し、その人相は不明瞭である。

しかし、顔の下半分に張り付いたような不気味な笑みの意味するものは明確だ。

青年への侮蔑である。


「…何がおかしい」

「いや、羨ましくてね。その若さが。けれども残念だよエクレール。彼女が夢から覚めた時、それが君と我々の世界の終わりになるにも関わらず、その眠りを覚まそうとするとはね」

「ただ人々を幸せにしたいという願いをそんな風に歪曲させたのはノマド先生、あなただ。贖うべき罪があるとするならば、それはあなたにこそある」

「子供の言葉というのは本当に度し難いな。ああ、いまならお前の気持ちが痛いほど分かるよルヴニール…。いいかい、エクレール。彼女には、レヴリーには眠ってもらっているだけでいいんだよ」

「一切目覚めることのない永劫の眠りを、ただ寝ているだけと言うのか?それを死と言わない、あなたの詭弁を俺は絶対に許さない!」


青年の感情の爆発がまるで形になったかのように青い電流が走った。

イオンが弾け、オゾンが大気に満ち、プラズマが疾駆する。

文字通り、電光石火の雷が、一条の必殺を描いて眼鏡の男に襲いかかった。


「その君が言うような死を、エマと私は千年続けてきた。詭弁だろうと、私がここで終わらせる!」

「自分勝手をっ!」


青年が放った大出力の雷撃。

しかしそれは、眼鏡の男に届く前に霧散した。

眩い閃光に遅れて大気を切り裂く轟音だけが虚しく響く。


いつの間にか現れたのか。

男の周囲には円錐形のようなフォルムの物体が複数浮かんでいる。

男が指揮者のように指先を振るうと、その物体は意のままに中空を自在に舞った。


「ブントエルデの科学は、君らの奇跡と魔法を凌駕する。この千年前の遺物の『エルフェン』ですら、そうだ」


エルフェンと呼ばれた浮遊物は、蜻蛉の複眼を思わせるようなレンズで青年を捉える。

それは無機質だが、確かに獰猛な殺意を帯びている。


**

ダメっ!

私はエクレールを守ろうと覆い被さる。

これは夢。

彼を守れないことは分かっている。

だけど、私はそうせずにはいられなかった。


その気持ちを痛いほどにわかる。

はもう一人の私の健気さに、思わず目を背けたくなる。

あれは紛れもない自身でもあるのだから。

**


エルフェンと呼ばれた物体の不気味なレンズが強い光を放ち、放射線状に幾筋もの光線が青年めがけて発射された。

その矢のような光線は瞬きも許さぬ速さで青年の身体を貫く。


防ぐことすら不可能な攻撃の激痛に青年は膝をつく。

呻き声とともに、青年の口から夥しい血が溢れた。

しかし、その瞳の闘志は決して揺るがない。

むしろ、更なる憎悪に塗りつぶしながら眼鏡の男を捉えている。


降り注ぐ土砂降りの中、青年は息も絶え絶えに思わず天を仰いだ。

あの向こう、あの向こうなのだ。

レヴリーがいるのは。

幾度となく放った雷撃の反動により、いくつかの指の失われた手を、青年は空に向かって悔しげに伸ばす。


***

エクレールが空に向かって伸ばした腕に、自分の手を重ねるように、私は彼に寄り添おうとする。


それを見つめるもう一人のは冷ややかに、その空の向こうの物体に目を向ける。


その意識が、今ここに眠る私に繋がり、数千メートル離れた地上のと目が合った。

大粒の涙が溢れる瞳だ。

***


その青年の目に映るのは分厚い曇天ではない。

真っ白な、どこまでも空を覆う真っ白な壁があった。


その青年の身体を打つのは雨粒ではない。

その白亜の壁を伝い流れる滝のような冷却水だった。


その壁としか言いようのない物体は、地平線の彼方向こうまで全天を覆う蓋のようであり、街一つをゆうに超える大きさで大地に影を落とす。

それは、地上にいる者の視界からは空を塞ぐ何らかの物体としか認識できないほど巨大だった。


翼を持つ鳥ですら、その全貌を視界に入れることは不可能だろう。

しかし、もし更なる上空からそれを見ることが可能な生物がいるのなら、そこには宙に浮かぶ巨大な鋼鉄の白鯨を見たであろう。


そして、その雨と思われたものは千年ぶりに稼働したその巨体を冷やすための冷却水であり、膨大な水が豪雨の如く地上に降り注いでいるのである。


この鋼鉄の白鯨は一体何か?


ウニオテルース第九艦隊先行調査団二番艦第5世代型自律宇宙船ヴァイスヴァール。


これは星と星を移動する巨大な船だと、私はノマドから聞いた。

千年前の昔に遠い彼方の星々の内のひとつから、この世界へと長い旅路を超えてやってきた、別の世界の人々の忘れ形見。


その心奥部に私は眠っている


そして私は明晰夢の中にいる私の強い悲しみと、の言いしれぬ諦念を感じながら、拭いきれない思いが湧き上がってくるのを感じている。


一体どこで私は選択を間違えてしまったのだろう。


皆が少しでも幸せになれるようにと信じて、いろいろな選択肢で悩み、より良い方を選んできたつもりだ。

だけれど、この結末はどういうことだろう。


私は自分の気持ちが揺れ動くのを感じながら、地上にいる明晰夢の中の私の絶叫を聞く。

彼が死んだのだとわかる。


ああ、エクレールが死んだ!

死んでしまった!


けれど、私にはどうすることもできない。

私の夢を操る力は誰か一個人のために使ってはいけない。

そう誓ったのだ。

自ら決めた覚悟ではある。

けれど言いようのない気持ちの中、それを振り切るように更に深い夢の闇に私は沈んでゆく。

もう、この世界で見届けるものは見届けたのだ。

あとは、深い眠りにつくだけで良い。


「うつし世はゆめ。夜の夢こそまこと」


深海に潜るように沈んでいく私の意識の中に、遠い昔の誰かの言葉がふと滲み出るように現れた。

そしてそれは、ひとすじの涙とともに夢の中に溶けて消えていく。


もし本当に夢の方が真実というのなら、いつか見た夢の日からやり直せるかもしれない。


そんな思いが閃光のように頭の中をよぎった。

子供じみた願いだ。

それこそまさに夢物語じゃないか。


だけれど、もしそれが私の夢の力で可能なら…。

もしそうだとしたら、私は違う結末をやり直せるだろうか?


顔を上げると、漆黒の闇に覆われた夢の中に、うすぼんやりとした光が見えた。


私は、それに手を伸ばす。

いまにまそれに手が届くというそのとき、雷の轟音が私の身体を貫いた。


3年前のあの悲劇の日と同じように。

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