第7話 メタは回るよいつまでも。

 前回は講義日程を変更させてもらいました。急な仕事が入ってしまいまして、急遽国際法のパトリシア先生に代わってもらいました。彼女のことだから、きっと脱線が多かったのではないと思いますが、往々にして脱線の方が実務に役に立つことが多いのです。




 さて、脱線ついでに、みなさんはテニスをしたことはありますか?

 あれはいいスポーツです。戦闘の本質が実によく現れています。


 ご存知の方も多いと思うのですが、テニスには必勝法があります。

 それは、相手コートにボールを返し続けることです。こちらがミスをしない限り、いつか相手がミスをするか、体力が尽きてボールに追いつけなくなります。


 え、何を当たり前のことを、と思いました?私も全く同感です。


 それができたら苦労しないし、ウェンブルドンの芝生が青く見えることもないでしょう。

 しかし、ミスの少ないほうが勝ち、体力の多いほうが勝つのは良いスポーツの証ではないでしょうか。練度を上げ、体力をつけ、苦境にあっても諦めない精神力を鍛える。


 うん?面白くない試合になりそうですか?まあ確かに、決勝戦の一試合しか見ない人には不向きかもしれませんね。

 しかし、凡勝で良いのです。凡勝であれ百戦百勝した人を、凡才とは呼ばないでしょう。


 将軍も同じことです。凡勝を積み上げる者を凡将とは言いません。誰でも勝てる状況を作り出すとことこそ、将官の仕事です。薄氷を踏んで勝利をもぎ取るうちはそうはいきません。戦勝を積み上げる者は勝つべくして勝つのです。




 ところで、勝ち続けることの難しさは、むしろテニスプレイヤーの方が真剣に苦慮しているかもしれません。

 というのも、彼らの試合は興行ですから、当然公開されます。ということは、技術、癖、特技、弱点なども公開されてしまいます。

 もし皆さんが相手選手であれば、研究したくなりませんか?ゲームメイクの傾向、弱点、必殺技への対応策、あるいは不発に終わらせる予防策。講じたくなりますよね。


 我々もそうです。得意戦術が知られるということ自体が、弱点になりうるわけです。敵から見て勝った理由が思い当たらない勝利。勝つべくして勝ったとしか思えない勝利。


 このような勝利がもっとも望ましいのです。


 まあ、こういう勝利はたいてい味方にもその勝因が理解されず、誤った戦訓となりかねないのが玉に瑕なのですがね。














「昨日の技術交流はどうだった?」


「うーん。先生が日ごろ言っていたことの意味が分かった気がします。」


「ほう、何かつかめたか?」


「はい、先生は「戦いは正を以て合し、奇を以て勝つ。」と仰いますよね。」


「ああ、体術でやりあった結果、相手に順応して勝てたってことか?・・・え?勝てた?」


「いや、勝ってないです。負けはしませんでしたけど。」


「そうか、負けたとか言ったら鍛え直さないといけなかったからな。」


「こうぇー。まあ、話を戻しますと、何度もやりあっているうちに、互いにメタが回り始めたんですよ。」




「待った、メタってなんだっけ?」


「先生の言葉でいうと、奇だと思います。正にもまた虚実がある、その虚を突くべく動いていくと、私の虚実も動いてしまう。相手はその虚を打ちに来る。こんなことをやっているうちに、対策、その対策、さらにその対策っていう風に動いていった結果、なんだか教わった型より良いものができた気がします。」


「そうか、じゃ、今度見せてもらおうかな。改良を加えてやるよ。」


「先生の意図としては、何かあったんですか?」


「ない。ナッシーと二人きりになる必要があったから、追っ払いたいなと思ってただけだよ。」


「え、・・・。え、本当にそういう関係?」


「なんだ落胆して、私に深謀遠慮とかないぞ。それに、お前はいつも何か勝手に学んでくるじゃん。」


「まあ、そうですけど。」


「その学習能力は驚異的だからね。あ、思い出した。」


「はい?」


「先生は言っていたんだ。「兵の形は水に象る。」ってね。火の魔術師にそれ言うって思ったから、私はもっと火の魔術師が直感的に理解しやすい体術を作ったのさ。でも源流はあっちだからね。水に定形は無いように、戦いにも定形は無いのさ。だからあまり考えすぎるなよ。どうせ分からなくなるんだ。繰り返し訪れる、「分かる」と「分からない」の波を乗りこなすことが大事さね。」


 そう言うと先生は遠くを見た。

 嵐の魔女ロズリーヌ=フランクールは今日もクールだ。






 後書き

 孫子解釈最大の鬼門の一つである形編です。




 凡戰者、以正合、以奇勝。奇正相生、如循環之無端。戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也。


 古くは「正攻法で対峙して奇策で勝つ。」と解されていたようですが、それだと奇正相生の循環って何?ってなりまして、整合性のある解釈が求められていたようです。


 小説の解釈は自己流なので、詳しくは専門書を読んでいただきたいです。




 正=形、奇=無形であり、これがエンドレスに循環する。というのが学術的な解釈になろうかと思います。一読して分からないですよね。私もいまだに理解できた自信はありません。


 そこで思い切って、企業経営の永遠の議題に着想を得て、無理やり寄せて考えてみました。




 自社の強みや個性を生かした商品を売っていくべきか、社会のニーズに合わせた商品を売っていくべきか、という問いです。これらが両立しているならば、おそらくその企業は市場の大部分を占めるのではないでしょうか?


 しかし、実際は両方100%ということはないし、100%だったとしても自社も社会もどんどん情勢が変化するはずです。企業のリーダーはこの二元論の中庸を見定めているんだろうなあと考えるだけで、なぜだか私も頭が痛くなってきます。




 孫子も同じ形篇で、「まず不敗の態勢を築き、敵の態勢が崩れたところを打てば勝てる」と説いていますので、正は自軍のベストパフォーマンスを発揮できる態勢、奇を相手の態勢に対して有利を取る行動と解釈することも、できなくはないかなと思って抽象度を下げる試みをした次第です。


 多分正確ではないのだが、正解には近づいている方針を採用していることにご留意いただけたらと思います。

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