<第三章:辺獄にて> 【09】


【09】


 血を流しながら、いつもの生活拠点まで移動した。

 時刻は昼過ぎ、時間だけは余裕がある。

「ハァハァ」

 息が乱れる。

 歩く度に、腹に刺さった金属片が響いて痛む。

 忌々しい。

 発作的に、掴んで抜こうとする。

「ぎゃああああああ!」

 悲鳴を上げる痛み。しかも、全く抜けない。

『止めとけ。下手に抜いたら出血と痛みで気絶するぞ』

 声は無視した。

 分かり切ったことに答える余裕はない。

 とりあえず、だ。

 適当な拠点に逃げ込もう。そこで気絶してでも治療しないと。

『あの雑居ビルで良かっただろ。女の匂いが残っていて嫌か?』

 そうだよ黙れ。

 細かく休憩を入れながら、槍を杖代わりにして老人のように歩く。

 自宅のアパートには、医療品を備蓄してある。と言っても、今バックパックにある消毒液と包帯、痛み止め程度のものしかない。休めりゃどこでも一緒ではある。

「うっ」

 出血と痛みで吐いた。酷い眩暈に襲われる。もう間もなく意識を失う。外で倒れるわけにはいかない。

 直ちに、どこかに避難しないと。

『だから言っただろ。女に関わるなって』

 本当に黙れ。

 頭の中で地図を広げる。

 近くに拠点はない。一番近い所でも、今の状態だと絶望的な距離だ。

 何となく背後を見ると、長く血の跡が続いていた。

 マジで終わりか。

 劇的でもなければ、突然でもない。予想していたよりも平坦で、地味な死に方。どうせなら、あの女と爆死しておけばよかった。

『つまんねぇ考えは止めろ。自分が庇われたと思っているのか? あの女は死にたがっていた。お前が付き合う理由はない』

「先のことを考えてたのに?」

『口先だけな。仮に、お前が狂って提案を飲んでいても、あの女はすぐ自害したさ。ああいう特殊な個体は寿命も短い。一ヶ月も持たなかっただろう』

 妄想が適当なことを言うな。

 怒りが湧く。

 意識がはっきりした。

 その拍子で、1つ避難場所を思い出した。

 1回だけ、緊急避難に使用した部屋が近くにある。汚いアパートの一室だし、使い捨てのつもりで利用した場所だ。しかし、贅沢は言っていられない。このさい、壁と天井があれば何でもいい。

 ふらつきながら足を動かす。

 酷く喉が渇く。水分を補給したいが、バックパックから取り出す余裕がない。本当、今までで一番死にそう。

『いいや、最初に出会った時と同じだな』

「ありゃ、あんたがさっさと治療して水を寄越さないからだ」

『男なら怪我くらい気合で耐えるか自分で何とかしろ。甘えるな気持ち悪い』

「だったら黙ってろ。せめて僕が死ぬまで」

 アパートの部屋の前に到着。

 警戒する余裕もなく扉を開く。施錠はされていない。玄関に無事入れたことから罠もない。

 扉を閉め、バックパックを降ろしてペットボトルの水を取り出し、コートを脱いだ。

 水をこぼしながら飲む。

 続いてシャツを捲り、傷口を水で洗う。

「んぎっ」

 激痛が走る。背骨が折れそうな痛みだ。

 脇腹に突き刺さった長い金属片は、貫通しかかっていた。たぶん、途中に“返し”みたいなものができていて、引っ張っても抜けないのだろう。

 幸運なことに臓器に傷はない。………はず。

「はぁ」

 やるしかない。腹にこんなもん生やしてたら何もできない。

『痛いぞ』

「知ってる」

 勢いを付け、壁に体当たりした。

 腹からメリっという肉の擦れる音が響く。金属片の先端が、脇腹を貫通した。

「――――――ぐっう、ぐぐ、ぎっ」

 痛みに悶絶した。

 こいつは、今まで味わった痛みの中でトップスリーに入る。

 こういう時に大事なのは勢い。下手に長引かせると余計に痛い。後ろ手で、飛び出た金属片を掴むと、そのまま背中側から引っこ抜いた。

 気絶しなかった自分を褒めてやりたい。

 漏らしたように血がボタボタと流れる。更なる失血のせいで気が遠くなりかける。だが、痛みが薄れて丁度良かった。

 バックパックをひっくり返し、中身をぶちまける。

 アルコールを手にして傷口にぶっかけた。縫わないと駄目だろうが、こんな震える指じゃ針仕事はできない。包帯を巻いて応急処置にする。

 が、包帯がない。

 あったはずのタオルや布もない。たぶん、あの女が勝手に使ったのだろう。

『だから――――――』

「うるせぇ!」

 ボケ老人のように同じことを繰り返すな。

 このさい布なら何でもいい。

 部屋を見回すも、積み上げた家具くらいしかない。

 そういえば、前に僕が派手に捨てたのだ。

 収納を開ける。タオルの1枚もない。後漁ってない所は、汚いキッチンの下にある戸棚くらい。手拭いや、せめて雑巾の1枚でもあれよと開く。

「………は?」

 そこにいたモノに思考が停止する。

『おいおいおいおいおい!』

 師匠がとてつもなく騒ぐ。

 小さい生き物が丸まって眠っていた。

 ボサボサの長い黒髪、汚れたワンピース、折れそうな細い手足、やや丸っこさのある輪郭。右目には眼帯があり、よく見れば手足に傷痕が多い。

 5、6歳くらいの女のガキだった。

『死神だぞ』

 死神が目を開ける。

 そして、

「ぐんそー?」

 と言った。

 え、軍曹?

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