ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ
麻美ヒナギ
<序章>
君のために、僕の幾つかをここに残す。
君のために、僕の幾つかをここに残す。
<序章>
年末に酷い風邪にかかり、長く寝込んでいた。
体調は最悪だったが、死んだように深く長く眠れた。
遠くで何か騒がしい音が聞こえていたけど、短い覚醒だけですぐ眠りに落ちていた。
そして目覚めると、世界が崩壊していた。
と言っても、まだ小さいアパートの中の話。
バッテリー切れのスマホが充電できない。部屋の明かりも点かない。よく見たら冷蔵庫も動いていない。
電気が止められていた。
公共料金の支払いはしているはず。
たぶん、周辺で事故とか工事とかで停電なのだろう。
遮光カーテンを開けると、強い日差しが部屋を照らす。
異常に眩しく感じる。
今は何時くらいなのだろうか? スマホで足りるからと、時計買うのをケチらなきゃ良かった。
思い出したように喉が渇く。
キッチンの蛇口を捻ると、水が出なかった。
これは、流石におかしい。
あれでも、停電の時は水もでないのだっけ? よくわからない。
念のためにコンロも試す。おまけのように、ガスも止まっていた。
「………………」
5分ほど思考停止した後、着替えて外に出る準備をした。
コンビニに行こう。
とりあえず、水分を補給したい。後、情報が欲しい。てか、外のポストに工事日程なり原因が投函されている可能性が高い。とりあえず外だ。
財布と家の鍵と電池切れのスマホを持ち、ニット帽を被り、コートを羽織る。今日はあまり寒くないけど、風は冷たいかもしれない。
部屋を出てすぐ目に止まったのは、バリケードだ。家具や家電などが積まれ、雑な壁になっていた。
なんだこれ?
僕の部屋は2階の角部屋に位置する。つまりは、このバリケードをどうにかしないとコンビニにも行けない。
隣人の顔も知らないけど、こんな変な嫌がらせする人だったのか。
管理会社に連絡したいが、スマホは動かない。そのうち誰かがどうにかするだろうけど、喉の渇きに耐えられそうもない。
腹が立ってきた。
バリケードをガシガシ蹴る。蹴り続けたら、あっさり崩れた。乗り越えると、もう1つバリケードがあった。正し、“外側から”崩された後の物。
本当にどういうこと?
何故か、動物園の匂いがする。
病み上がりで鼻がおかしくなったのだろうか?
階段を降りると、なんだか近所は閑散としていた。
人の気配がない。
物音が全くしない。
道端がゴミで散らかっている。
階下のポストを確認しようとしたができなかった。
自転車が積まれ、1階部分のバリケードになっているのだが、それに巻き込まれてポストも埋まっている。
諦めてコンビニに向かって歩き始めると、更に異常が目に入る。
結構な数の家々や、マンションが、バリケードを作って入口を塞いでおり、窓に板を打ち付けている。窓が破れている物も結構な数ある。車が突っ込んでいる家すらもあった。
度し難いほど色々おかしい。
おかしいのだが、病み上がりかつ水分不足の頭では何も予想できない。とりあえず水、水が欲しい。
徒歩3分のコンビニに到着。
そこは、廃墟になっていた。
ガラスのほとんど割れて風通しが良い。外から見た感じ無人、入口は開けっ放し。
普段の僕なら即帰宅する。
しかし今は、喉の渇きで限界である。
廃墟のコンビニに侵入すると、異臭で顔が歪む。異常に甘ったるい匂いがした。まるで、濃縮した蜂蜜を大量にぶちまけたかのよう。
明らかに異常も濃い。
だとしても、とりあえず水分。
店を漁り出す。
どの棚も埃が積もっているだけで空だ。棚の下も覗くが何もない。しかし、バックヤードにペットボトルの水くらいあるだろう。あってくれ。
店の奥にある扉を開ける。
「うおっ」
人がいた。
黒く汚れたボロボロの服。ボサボサの長髪で隠れた人相。肌は灰色で血の気がない。前傾姿勢で両手を垂らし、その爪は幾つかが欠けて肉がむき出しである。
まともではない。
「あ、すみませ――――――」
危険を感じて扉を締める。
「トゥートゥトゥトゥートゥー」
「?」
女が変な声を上げたので、僕の動きは一瞬止まった。その一瞬で、女が目の前にいた。
ガパッと裂けたような女の口が開く。
全く関係ない思考が頭をよぎる。
小学生の頃、こんな妄想をした。
学校にテロリストが押し入って来た時のこと。異世界に召喚された時のこと。意味もなく急に女子にモテた時のこと。後、世界中がゾンビだらけになった時のこと。
妄想では、僕は大活躍だったしモテモテだった。
実際、似たような目の1つに襲われた今、僕はなすすべがなかった。
顔を庇った左手から、果実のような音がした。
手の甲を女に噛まれたと気付くと同時、
「わ、わっ!」
激痛と驚きで変な悲鳴が出る。
女は、僕の手を食いちぎりそうな勢いで歯を食いこませた。ペチペチと女の頭を叩く。腰が抜けて力が出ない。
ドパッとした出血で、完全にパニックになった。
なんだこれ?
なんだこれ?
なんだこれ?
なんだこれ??
同じ言葉を繰り返す中、嫌な想像が色々と浮かぶ。
これ手だけで終わる?
食いちぎられたらどうすりゃいい?
そもそも、病院は無事なのか?
現実逃避したいが、激痛で現実に引き戻される。
そうか、これ自分でどうにかしなきゃいけないのだ。と、思っては見たものの痛すぎて体が動かない。
こけた。
女が圧し掛かって来る。全く嬉しくない。
あ、死ぬ。
何もわからないまま、唐突に人って死ぬんだな。
悟った瞬間、女の顔に棒が突き刺さった。
頭蓋骨を貫かれて、女の口が開く。死んだようだ。
「大丈夫か?」
「あっ、あっ、あっ、あ、はい」
変な人間が僕の背後にいた。
溶接マスクを被った大柄の男だ。サンドバックみたいなバックパックを背負い。厚手のロングコートを着ている。
両手には、女を突き殺した木製の槍。ごついブーツで女の頭を蹴り、男は槍を引き抜く。
人生初の殺人現場に遭遇してしまった。
「お前、【コルバ】はどうした?」
「こ、こる?」
「は? 腕時計みたいなやつだよ。汚染度を計測する」
「え?」
助けてもらってなんだが、何を言っているんだ。
「………嘘だろ。生き残りがいたのかよ。いや、死んだか。ちょっと待て」
男は、バックパックを降ろして中からスマートウォッチを取り出す。パックされた新品のようだ。
「付けろ」
時計よりも、手の傷を止めて欲しいのだが。
ダラダラと血が流れて、軽く眩暈がしている。
しかしまあ、くれるもんを断るのもアレだ。貰った時計のパックを血だらけの手で破って、左手に付ける。
「痛ッ」
手首に刺されたような痛み。
スマートウォッチの丸いディスプレイが点灯して、【12%】の数字を表示する。
男は、バックパックからタブレットも取り出した。
何か初期設定らしき操作をしている。
「あの、血が」
「見ろ」
無視して男は、タブレット見せてきた。
『こんにちは~市民のみなさ~ん』
ディスプレイには、気味の悪いデフォルメされたキャラクターが映っていた。
モチーフが、ザクロのゆるキャラだ。
しかし、割れたザクロなのだ。しかも粒の1つ1つが目玉であり、ギョロギョロと蠢いている。これをデザインした奴と、採用した奴は、きっと危ないお薬をキメていたのだろう。
キャラは、全ての目玉を動かしながら言う。
『感染拡大を受け、市内が封鎖されたから、一ヶ月と3日が経過しました。2月21日の政府広報、“K市における感染拡大の件”によると、生存者はゼロ。市の完全封鎖が完了とのこと。これにより、市内の管理は、政府から我々OD社に移り、同時に感染者の権利も、我々が取得する運びとなりました。装着した端末、【コルバ】をご覧ください』
いきなり、わけがわからないことを言われた。
え? 僕は死んでる扱い?
理解できないまま、手首のスマートウォッチを見る。
数字は、【13%】となっていた。
『そちらの汚染数値が、100%を超えた場合。当社の如何なるサービスも利用できなくなります。その前に、我が社の遅延薬を投与しましょう。現在、あなたが利用できるフォーセップ宅配サービスの商品とポイントはこちら』
【現在のポイント0】
水2リットル:1ポイント。
食料3000kcal詰め合わせ:2ポイント。
遅延薬:3ポイント。
コルバ:5ポイント。
タブレット:5ポイント。
『ポイントの獲得手段は、サービス外になった感染者の処分。当社への奉仕作業。軽度感染者の補助、案内、教育、コミュニティの結成、その他細かい項目は、お手元のタブレットを参照にしてください。ご質問はございますか?』
「手が痛いんだが」
出血が止まらない。
意識を失いそう。
『ありませんね。残り少ない“死後の世界”を、ハッピーに過ごしましょう。OD社からのご案内でした。シーユー』
タブレットの電源が落ちた。
「つまり、なんですか?」
何なのかさっぱりわからん。
わかるのは手が痛いことだけ。
「お前、ゾンビ映画は観るか?」
「そこそこ」
男にそんな質問をされ、事実を答える。
「つまりそれだ。原因はわからんが、ゾンビみたいなのが大量に発生した。世界は終わった。逃れる術はない。以上だ」
「わかりやすい」
わかってたまるかだが。
「まっ、終わったのは感染した俺ら………だけかもしれない。外の世界は知らん。街は囲われて出られない状態だからな。遅延薬を使えば、汚染を軽減できる。ただあくまでも、遅延に過ぎない。そのうち効果がなくなる。まぁ、投薬しなきゃ数日で終わる。延命薬と思って打て」
「は、はぁ」
「わかったか?」
「たぶん恐らく」
男は手首を見た。
僕と同じようなスマートウォッチがある。そこから、電子音が鳴る。
「30ポイントか。なんで高いんだ? ………まぁいいか」
男は、バックパックから古めかしいポラロイドカメラを取り出し、何故か僕と肩を組む。
「え?」
「笑え」
「は、はぁ」
血まみれの手でピースを作ってぎこちなく笑う。
パシャッとカメラのフラッシュが光る。
出てきたフィルムを、男はアルバムに閉じた。チラっとその中身が見えてしまう。僕と同じように、男と肩を組む写真が大量にあった。
「これが俺の“死にがい”だ。覚えておけ。ただ死ぬのを待つだけだと、人間は簡単に狂う。何でもいいから行動して成果を作れ。死ぬ直前に、それを眺めて息絶える自分を想像しろ。大した意味や理由は必要ない。大事なのは積み重ねと行動だ」
男は、手首を見た。
「ちっ、良いこと言ったのにポイントなしかよ」
「………………」
「成り行きだが、俺がお前に色々教えてやるよ。如何にして死ぬか、という術をな」
「………………」
教えて頂けるのは幸いなのかもしれないけど、血止めないとたぶん死ぬ。もう死ぬ。意識を失いそう。
「ああ、そうそう。ようこそ、ここが地獄だ」
あ、無理かもしれない。
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