目撃/本位の外
龍野陸
彼を殺したのはだれか。人類を殺すのはだれか。
ライオンがその腹を地につけて伏せたとき、俺はすべてを理解した。
彼はもう「狩り」の対象ではなく「食事」として供される段階に入ってしまったのだ、と。
息を殺して後ずさる。ゆっくりと。
車に乗り込む。
エンジンがかかる。発進する車に揺られながら、男の身体に齧りつくライオンを食い入るように見つめた。
やがて完全に見えなくなってからも、俺はしばらくの間、石像のように動けなかった。
好奇心は猫をも殺すという。彼はどちらかといえば犬のようなやつだった。
人懐っこく、その若さ以上に体力に溢れ、殺伐とした空気を払い皆を和ませてくれる男だった。
俺も彼には心を許した。
まるで片割れ——兄弟のように。
しかし欠点をひとつ挙げるとするなら、彼は過剰に好奇心旺盛だった。これまでも周りが見えなくなり死にかけたことが何度もある。そして何度も生き延びた。
その豪運の「限り」を、俺は疑うべきであった。
今度こそ本気で止めるべきだったのだ。
数日前、調査に向かう道中、ライオンの群れを見かけた彼はどのように狩りをするのか生で見てみたいと呟いていた。
彼が昼飯の時間になってもやってこないのでテントに行き、彼の不在に気づいた俺はビーコンの位置情報を元に追いかけた。
嫌な予感はあったので徐々にアクセルを踏み込んだが、いま思えば、どれだけ急いだところで無駄だったのだ。
──彼は自分が狩られる立場になるという最悪の形で目的を果たしていた。
血を吐き、腹から内臓をこぼしながら倒れる彼を見た直後、咄嗟に助けに向かおうとした俺はガイドに羽交い締めにされた。
俺は獣の恐ろしさを知らないわけではなかった。まったくの無意識でそうしていたことに、どっと冷や汗をかいた。
ガイドの男は低い声で、俺を我に返した。
「だめだ、諦めろ」──俺は地面に転がる形見の銃をかっさらった。
弾は撃ち尽くされていなかった。
彼は射撃が上手く、たびたび仲間の危機を救った。撃ち漏らすなんてことは一度もなかった。
やはり彼の運は最悪のタイミングで尽きてしまったのだろう……
風。
人類はまた、数を減らした。
百年前に起きた世界同時多発火山噴火により、地球は荒廃した。
生き残った自然を保護するNPOとして活動を始めて数十年、数えきれないほど仲間を失った。
虫が運ぶ病に、冷たい陽に、苦い水に、鋭い牙に。
世界がおかしくなってから、
動物よりなにより、
人類がその数を減らした。
かつて支配種だった人類は、いまや淘汰に近い滅亡の危機におびえている……
——数分前に目撃した光景が、
俺に不思議な思考をもたらしていた。
胸元のバッジに触れる。西部劇の保安官のように金の五芒星をかたどっているそれは、自然保護NPOスタッフであることを示すものだ。
あのライオンも、本来は俺たちが保護すべき種に間違いない。
けれど、それは本当に?
「保護」とはある意味、強者から弱者への施し行為に等しい。
もし、人類が強者でないとしたら。
「人類が自然を保護する」というのは、全く反道理的なのではないか?
目の前に広がる灰色の大地と赤い空を見上げて、俺は身震いした。
我々は思い上がり……すぐそばにある自然が、すでに「本当の強者」となっている事に気づいていないのではないか。
いや、
自然だけではない。
或いは未だ人間が制御し管理していると思っている、それらすべてが──、
血だまりの男を思い出す。
彼は胸を押さえていた。
俺はかたわらの銃を見た。
目撃/本位の外 龍野陸 @tatunoriku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます