刻の名、刻

小泉藍

(一)―1

(一)ー1

 新しい元号は「慶応」と決まったという。

「慶雲まさに輝くべし。『文選』の一節じゃ。新時代にふさわしか、気宇壮大な元号じゃち思わんか」

 松平春嶽からの書簡を吉之助と一蔵に読み聞かせながら、薩摩藩家老小松帯刀は晴れやかな顔で言った。 

 元治二年・慶応元年(1865)五月上旬。薩摩の鹿児島城下小松邸である。

 今や薩摩代表の三人衆と目される彼らであるが、この情勢では居所はめまぐるしく変わり席の温まる暇もない。薩摩の地で三人がそろって顔を合わせたのも、実に三年ぶりのことだ。


 昨年一杯を京都で過ごした西郷吉之助と小松帯刀は、思いもかけない土産を伴って帰藩した。

 事前に知らされてはいたものの、幕府軍艦奉行が航海術を教えた土佐浪人たちを薩摩が引き取って面倒を見るなど、数年前では考えられなかった事態だ。

 政治の潮目は刻刻と変わる。一昨年の前半までは、京都は千年の都の名を汚す乱刃と流血の巷と化していた。

 それが煮詰まりに煮詰まり、昨年夏の禁門の変として爆発した。危険な連中は京都から一掃され、流れで本丸たる長州も一気に押しつぶされるはずだった。それを転換させたのが西郷吉之助だ。さらにその発想を吉之助に与えたのが、先述の軍艦奉行なのだから因縁は根深い。

 薩摩と長州は今や歩み寄りを始めている。薩摩が土佐浪人たちを引き取ったのも、ただの親切や施しではない。長州と提携するのに、船の扱いに長けた人材が絶対に必要なのだ。

「けいおう、けいおう。確かに、きっぱりとした良か響きじゃ」

 大久保一蔵は朗らかに言った。が、やがて表情をいたずらっぽくしかめて見せた。

「じゃどん、字面はいかがなもんですじゃろ。こいでは、まるで一橋公を応援するちゆこつになりもはんか」

 吉之助は思わず目を丸くし、帯刀も同じ目つきで春嶽の書面をのぞき込み、やがて二人同時に吹き出した。

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