朝食

「仮にも私の弟なら、もう少し賢く振る舞ってほしいものだよ────第二皇子サミュエル・アルノー・エタニティ」


 これみよがしにフルネームで呼び、ミリウス殿下はスッと目を細めた。

途端に、場の空気は重くなる。いや、刺々しくなると言った方が正しいか。


「そんなに怒らないでおくれよ、兄さん」


「サミュエル、君の耳は飾りかい?私のことはミリウス殿下と呼びたまえ。それから、敬語も使うこと」


「実の兄弟なんだから、それくらい良いじゃないか」


「良くないから、指摘しているんだよ」


 間髪容れずにそう切り返すミリウス殿下に対し、サミュエル殿下は瞬きを繰り返す。

と同時に、小さく首を傾げた。


「でも、『ミリウス殿下』なんて随分と他人行儀じゃないかな?兄弟間で敬語を使うのも、なんだか変だよ」


「そう思っているのはサミュエルだけだよ。いい加減、互いの立場というものを理解してほしいのだけど」


 『無礼にもほどがある』と咎め、ミリウス殿下は態度を改めるよう強く要請した。

すると、サミュエル殿下は自身の顎に人差し指を当てる。


「う〜ん……まあ、善処するよ、兄さん」


「はぁ……言ったそばから、これじゃあ先が思いやられるね」


 全く改善する気のない受け答えに呆れ果て、ミリウス殿下は手で額を押さえた。

────と、ここで開きっぱなしの扉から四十代後半と思しき男性が姿を現す。


「朝から、何を騒いでおる」


 静かな……でも、どこか威圧のある声色でそう言い、彼はゆっくりと室内を見回した。

ミリウス殿下によく似た金髪とサファイアの瞳を持つ御仁は、おもむろに歩を進める。

赤髪金眼の男性を引き連れながら。


 あの人、魔塔所属の証である黒いローブを羽織っている。

ということは、魔塔の関係者かしら?でも、あんな人居たっけ?


 魔塔所属の魔術師については、論文発表会の不正調査やアルカディア様の後始末である程度把握しているため、『全く知らない』というのは不自然だった。

赤髪金眼なんて目立つ容姿をしていれば、尚更。

『まさか、新人?』と疑問に思っていると、彼は懐からハンカチを取り出す。

と同時に、メガネを外した。


「いやぁ、『若い』っていいですね〜。私は朝から、騒ぐ元気なんてないですよ〜」


 メガネのレンズをハンカチで拭きつつ、赤髪金眼の男性は一つ息を吐く。

『歳には敵いませんね〜』と嘆き、メガネを掛け直した。

かと思えば、大きく目を見開く。


「あれ?そこに居るのは、もしかしてディラン?」


 少しばかり身を乗り出してこちらを凝視する彼に、ディラン様はチラリと視線を向けた。

と同時に、形だけお辞儀する。


「お久しぶりです────シルヴァ様」


「!?」


 ハッと大きく息を呑む私は、『シルヴァ』という名前に強く反応した。

だって、それは────魔塔主の名前だから。


 魔塔所属の魔術師の中で、私が顔を知らないのは行方不明になった第一級魔術師と魔塔主だけ。

だから、彼があのシルヴァ・ジェネシス・ハワードである可能性は非常に高い。


 『しかも、ディラン様が敬語を使っているし』と考えつつ、私は何とも言えない高揚感に襲われる。

今、ここに第一級魔術師が二人も居るのかと思うとなんだか興奮してしまって。

今すぐ走り出したいような衝動に駆られる私の前で、魔塔主はニコニコと機嫌良く笑った。


「やっぱり、ディランだったか〜。少し見ないうちに大分変わったね〜。すご〜く、雰囲気が柔らかくなった」


 『おかげで、直ぐに気づけなかったよ〜』と言い、魔塔主は黄金の瞳をスッと細める。


「どこからか、いい影響をもらったのかな〜?例えば────そこのお嬢さん、とか」


 手でこちらを示し、魔塔主はゆるりと口角を上げた。

と同時に、ディラン様が私のことを抱き締める。

まるで、魔塔主から隠すように。


「シルヴァ様には、関係ありません」


「え〜?反抗期?」


 両手を口元に当て、魔塔主は少しばかり後ろへ仰け反った。

『ショックだな〜』とボヤく彼を前に、ミリウス殿下は口を開く。


「違うよ、これが通常運転」


「はっ?」


「グレイス卿のことになると、いつもこうなんだ」


「うわぁ……重症ですね」


 呆気に取られた様子でこちらを見つめ、魔塔主は『春ですな〜』と苦笑を漏らした。

その瞬間、カンカンカンカンと何かを叩く音が木霊する。


「雑談はその辺にしたまえ。食事が冷める」


 いつの間にかテーブルに着いていた金髪の御仁は、手に持ったスプーンを一旦置く。

恐らく、先程の物音はスプーンでグラスを叩いた時のものだろう。


「「申し訳ございません、陛下・・」」


 素早く胸元に添えて一礼し、魔塔主とミリウス殿下は表情を硬くした。

各々姿勢を正す二人の前で、私は顎に手を当てる。


 陛下ということは、この方が────エタニティ帝国の君主を務めるクロード・ドナシアン・エタニティ陛下ね。

ミリウス殿下とよく似た容姿をしているから、そうじゃないかと思っていたわ。


 『サミュエル殿下には、あまり似ていないけど』と思案する中、白銀髪の男性がニヤリと口角を上げた。


「父さんの機嫌を損ねるなんて、ダメじゃないか。私語を慎む教養くらい、平民の子供でも身につけて……」


「今まさに私語をしているお主が、それを言うか?」


 クロード皇帝陛下はサミュエル殿下のことを睨みつけ、手を組む。

と同時に、空いている席の方を見た。


「それから、余のことは『陛下』と呼べ。分かったら、さっさと席につくといい」


「……はい、陛下」


 ミリウス殿下の時と違って、従順なサミュエル殿下は言われた通り席に腰を下ろす。

さすがに皇帝陛下へ逆らうのは不味い、と判断したらしい。

黙って料理へ視線を落とす彼の前で、クロード皇帝陛下は再度スプーンを手に持つ。


「では、いただこうか」


 目の前にあるスープへ手を伸ばし、クロード皇帝陛下は静かに食事を始めた。

すると、ミリウス殿下やサミュエル殿下も料理へ手をつける。

食器の音だけがこの場に鳴り響く中、私達は黙って食事風景を見守った。

『なんというか……暇だな』と思っていると、クロード皇帝陛下が早々に席を立つ。


「余はこれから、また他国へ渡る。帝国のことは頼んだぞ、ミリウス、サミュエル。狩猟大会も含めて、きちんとこなすように」


 『失敗は許されん』と言い聞かせ、クロード皇帝陛下は魔塔主を引き連れて退室した。

と同時に、ミリウス殿下も立ち上がる。

ナプキンで口元を拭きながら。


「分かっていますよ、陛下」


 扉の向こうへ行ってしまった背中へ返事し、ミリウス殿下はスッと目を細めた。

かと思えば、ナプキンを椅子に置いてこちらへ向かってくる。


「じゃあ、行こうか。今日もやることが山積みだから、ゆっくりしていられないんだ」


 『忙しなくて、すまないね』と謝りつつ、ミリウス殿下は扉へ足を向ける。

なので、護衛の私達も後ろに続いた。


「────待ってよ、兄さん」


 まだ懲りていないのか、サミュエル殿下は先程と変わらぬ口調や態度を取る。

『クロード皇帝陛下の注意は素直に聞いていたのに』と思案する私を他所に、彼はゆっくりと立ち上がった。


「たまには、兄弟でゆっくり過ごそうよ。楽しく食事も出来ないなんて、寂しいな」


 『ほら、まだ料理もたくさん余っているし』と述べ、サミュエル殿下はミリウス殿下へ手を伸ばした。

その際、私は間へ割って入ろうとしたものの……ディラン様に止められる。


「相手は腐っても皇子……下手な真似をすれば、グレイス嬢の首が飛ぶよ」


 『まあ、そうならないよう手は尽くすけど』と肩を竦め、ディラン様は掴んだ手をギュッと握り締めた。

────と、ここでサミュエル殿下がミリウス殿下の手を取る。

が、直ぐに叩き落とされた。


「私達はそういう仲じゃないだろう。それはサミュエル自身、よく分かっている筈だよ」


「えぇ?確かに仲良しではないかもしれないけど、険悪でもないでしょ?だから、食事くらい……」


「お断りだよ。第一、こっちは時間がないんだ。狩猟大会の準備やらなんやらが、あるからね」


 『遊んでいる暇など、ない』と言い切り、ミリウス殿下はさっさと食堂を出ていった。

一度も後ろを振り返ることなく。


「あー……皇太子様は忙しいもんね。ははっ……皇位継承権争いで、見事敗れた僕への当てつけかな」


 ほぼ聞き取れないような声量で呟き、サミュエル殿下は口元に手を当てる。

そのため、今どういう表情をしているのか全く分からなかった。

ただ、怒りとも恨みとも取れない感情を抱いているのは分かる。


 ミリウス殿下の言っていた通り、サミュエル殿下は皇太子になれなかったことを相当根に持っているようね。


 昨夜教えてもらったことを思い浮かべ、私は一つ息を吐く。

政治のことなど微塵も分からない私から見ても、ただの逆恨みとしか思えないから。

『一応、まだ皇位を諦めていないようだけど』と考えつつ、私は食堂を後にした。

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