第1章4話 偽装夫婦による、楽しい共犯のススメ



 広い応接室内にて、初老に近しい家令の男性と専属の侍女アナをそれぞれ背後に控えさせ、テーブルを挟んで対面する格好で腰を落ち着けた、ニアージュとアドラシオン。


 テーブルの上には、家令に頼んで用意してもらったペンと、法的な効力を持たせる事が可能な書類が、何枚も乗せられている。

 書き損じや、話し合いの終盤で修正が入った場合に備えての事だ。


 上記のような、下準備がしっかりとなされた元で『話し合い』は始まり、ニアージュが真っ先に口を開いた。


「――さて。それではまず、公私を含めた互いの呼び方、邸における私の行動範囲、今後社交を行うべきか否か、そして、私が1か月の間に使用できる予算の順に決めていきましょう。そちらから何か希望はありますか?」


 大変、ビジネスライクな話し方と問いかけ方である。

 一方のアドラシオンは、妻(仮称)の大層サバサバした言動に未だ慣れず、戸惑いの方が先に立つのが現状だったが、それでも、よく見る他家の令嬢のように、自分に無駄な色目を使ったり、甘ったるい声色を出して媚びたりしてこない分、話しやすいと思い始めていた。


 これなら、それ相応に建設的な話し合いができるのではないか、と。


「あ、ああ。で、ではまず、互いの呼び方だが……。ひとまず、一般的な貴族家庭での呼び方を参考にしようと思う」


「一般的な貴族家庭……。では、私はあなたを『旦那様』、あなたは私の事を名前……いえ、愛称で呼ぶ、という形がいいかも知れませんね」


「愛称……。いいのか?」


「構いません。以前住んでいた田舎ではみんな私を愛称で呼んでいましたし、特に不快感も違和感もありませんから。ちなみに、私の愛称はニアです。気が向いたらそう呼んで下さい」


「分かった。では、今後はそのように。次に、君の邸での行動範囲だが、これは現状、取り立てて制限を設けるつもりはない。俺の執務室と私室にだけ、無断で入らないようにしてくれ。


 それと、今後、貴族女性同士の茶会など、個人的な社交に参加したいと思うのなら、別段止め立てはしないし、逆に面倒だと思うのなら参加せずとも問題ない。

 気乗りしない茶会にしつこく誘われるようなら、適当に俺の名前を出して、断りの理由に使っていい。まあ、その辺りの判断は君に任せる」


「分かりました。強制参加の社交はないのですか?」


「基本的にはないものと思ってくれていい。自分で言うのもなんだが、俺は問題行動が元で王家から出された訳ありの公爵で、王家との関係は今も冷え込んだまま。現王太子との繋がりも薄い。

 詰まる所、瑕疵かし物件も同然の存在だと言える。申し訳ないが、当然君も今後、俺と十把一絡げに見られるだろう」


「ああ成程。瑕疵物件の夫に嫁いだ私も、漏れなくワンセットで瑕疵物件扱いになる、という訳ですか。まあ、今後他のお貴族様におもねる予定は皆無ですので、別に構いませんけど」


「……。君は本当に……。いや、何でもない。とにかく、そんな公爵や夫人とわざわざ本気でよしみを結びたがる奴は、まずいない、という事だ。

 いたとしてもそれは十中八九、興味本位で顔を拝みたがっているだけだろう。相手にする価値もない存在だ、無視していい」


「そうですか。じゃあ、基本的に社交はしない事にします。3年後にはここを出て田舎に帰る訳ですし、別によそのお貴族様のご婦人達と一緒になって、腹の探り合いや表面だけの仲良しごっこなんて、する必要もないですから」


「腹の探り合いに、表面だけの仲良しごっこ……。言いたい放題だな……」


「そうですか? ラトレイア侯爵邸で、奥様とお嬢様方のお茶会をこっそり観察した時は、まさしくそんな感じでしたよ? 正直、アルカイックスマイルとわざとらしい美辞麗句を盾にした、水面下でのマウントの取り合いにしか見えなかったと言いますか……。


 貴族女性って、下手な幽霊や化け物よりよっぽど怖いなあって思いました。出来る事なら、ああいう手合いとはお近づきになりたくないし、パーソナルスペースには絶対に入ってきて欲しくないです」


「ぱ、パーソナルスペース?」


「対人距離の事です。心理的縄張りとも言いますね。人によって範囲が結構違うようですが、大体、両腕を左右に広げたくらいの距離が基本みたいです。

 旦那様にも、これ以上他人には近づいてきて欲しくないなあ、と思う距離ってあるでしょう? 要するにそれの事ですよ」


「……。そ……そうか……。成程、よく分かった。しかしまあ、個人的には世の中、そんな空恐ろしい貴族女性ばかりではないと思いたいものだが……。

 ……いかん、話がずれた。――コホン、ただ、社交の必要はないと言っても、王家が主催する夜会などには顔を出す必要がある。これに関しては申し訳ないが、俺と一緒に参加してくれ」


「はい。けれどその場合は、ドレスや装飾品が必要になりますよね? それらの費用も私の生活費から捻出する形になりますか?」


「いや。参加を強制するのだから、その場合に必要となるドレスやアクセサリーの費用は俺が出そう。もっとも、それは今後君がここでの生活に、どれほど予算を必要とするかによって変わってくる。

 ひとまず……そうだな。俺としては月に、この程度の予算でやりくりをしてもらいたく思うんだが」


 アドラシオンが手元にあったメモ帳に生活費の予定額を書き付け、ニアージュの前に差し出してくる。


「確認します。ええと……いち、じゅう、ひゃく……。……あー、上位貴族の夫人の生活費って、だいぶ多いんですね? 私が予想していたより、桁がひとつ多いです」


「そうだろうか。ドレスや宝飾品などのコンスタントな購入を考えると、少なめなくらいだと思うんだが」


「そうなんですか……。でも私は、基本的に社交はしないんですから、毎度ドレスやアクセサリーを購入する必要はないかと。

 あ……でも、うーん。聞いた所によると、貴族女性のそういった買い物には、経済を回して景気を維持する意味合いもあると言うし……。全くドレスやアクセサリーを買わない、というのも、それはそれで問題なのかしら……」


 ニアージュは顎に手をやりながらしばし考え込む。


「んー……。よし。やっぱり、この金額でお願いしていいですか? 名ばかりとはいえ、一応今私は貴族の端くれな訳ですから、多少は経済活動もしていくべきでしょう。あとは、万が一急な出費があっても平気なように、使わなかった分は貯めておけば問題ないですよね」


「ああ、分かった。それで構わない。というか……突拍子もない事ばかり言うかと思えば、いち貴族としての意識や思慮も持ち合わせているんだな、君は」


「それはまあ、侯爵家でつけてもらえた、家庭教師の先生の意向ですね。礼儀作法だけじゃなくて、『王侯貴族が特権階級として扱われる理由』とか、『なぜ贅沢をするのか』とか、そういった事に関しても、しっかり話して聞かせてくれる人だったんですよ。お陰様で、王族やお貴族様を見る目がちょっと変わりました」


「そうか。それは何よりだ。――では、残りの契約内容を決めていこうか」


「はい。……ふふ、なんかちょっと、面白くなってきました。旦那様と共犯になって、色々裏で動く為の計画立ててるみたいです」


「共犯か。確かにそうかも知れないな。だとするなら、今取りまとめている契約書も、言うなれば王家と他の貴族達の目を欺き、騙し通す為の計画書の一端になる訳か。くくくっ、これは壮大な計画になりそうだ」


「ええ。どうせ、王家とラトレイア侯爵の勝手な理由で押し付けられた婚姻なんです、ここはしっかり計画を立てて、3年間周囲の連中をまるっと全部騙し切ってやりましょう。うふふ、いい当てつけになりますよ♪」


「ああ、そうだな。やってやろう。なんだか俺も、そうと決めたら吹っ切れて楽しくなってきた」


 ニアージュとアドラシオンは、楽しげに笑いながらテーブルの上に広げられた書類を確認し、契約内容を細かく詰めていく。

 いつの間にか契約内容を詰めるだけでなく、互いの距離も目に見えて近づいている様子の2人を、家令の男性は目を細めながら見守っていた。


 家令は今回の婚姻が偽装だろうが契約だろうがなんでもいいと、そんな風に思っている。

 これまでの数年間、件の平民の娘のせいで酷い女性不信に陥っていた主が、ようやく女性の前で笑顔を見せたのだから。

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