明日への逃走

清水 京紀

第1話 肥大する妄想

「あいつはいつも何を考えているかわからないひとだったな。いつも一人で行動して、一人の生活を楽しんでいるように見えたんだけどなあ。」

「まったくどういう人だったか。思い出せません。あまり印象に残るような人ではなかったです。でも殺人をおこしそうといえばおこしそうな人だったかもしれません。」

「つねに耳にイヤホンをしていて、話しかけようと思っても話しかけずらかったです。ずっとイヤホンしていることが、印象的でした。」

「とにかく変人だったよ。仲良くしようと思っても絶対心の壁を築いてくる。ときどきさびしそうな顔を見せるような瞬間を見かけたけど、あいつのことだから体調が悪いだけかと思った。」

「まさに時代が生んだ悪魔ですね。典型的な無欲な若者は外的要因によって抑え込まれているだけであって、望んで無欲になっているわけではないですからね。」


「彼はいつも孤独を纏っていた。いつも一人で、まるで他人との距離を意識しているかのようだった。」

「彼のことをよく知る人はいないんです。あまり目立つタイプではなかったけれど、どこか影のある人でした。」

「常にイヤホンをしていて、周りとの接触を避けているようでした。彼の孤独感は、そのイヤホンからも伝わってきました。」

「彼は独特な存在だった。近づこうとしても、彼は心の壁を作っていた。時々、その瞳には深い寂しさが見え隠れしていたけれど、誰もそれを理解することはなかった。」

「彼はまるで時代の犠牲者のようです。外界からの圧力に押しつぶされ、自らを閉じ込めてしまった若者。彼の無欲は、社会からの孤立が生んだものでしょう。」


夢の中で、かつての友人と共に無邪気に遊びまわる姿が浮かんだ。それを見つつ心中不快感が湧き上がり、夢であることを自覚した。覚醒した私の体は重く、生きる気力など微塵も感じられなかった。特に生きるという行為そのものに対してである。今日の予定など何もない。予定があるということが私にとっては稀な事実だ。私は社会とは一歩隔たった存在で、バイトもサークルもない、ただ漠然と生きる大学生。現状とはそれだけだ。


生活そのものに喜びを見いだせない。無味乾燥な日々をただ惰性で繰り返す。世界は弱者に対して、優しさと厳しさを同時に突きつける。優しさとは、孤独でも何とか生存できる社会の枠組み。そして厳しさとは、自身の弱さを自己責任とする無情な現実。救いを見つけることはできない。心は混乱に満ちていた。何をすればいいのかさえ分からない。だから、思いつきで、旅に出ることにした。それしか頭に浮かばなかった。通帳には3万六千円。ここで電車賃を出費してしまうと生活が苦しくなってしまう。だからまたしても金のないものにやさしい自転車で旅に出ることにした。


自転車は、友人のいない私にとって最良のパートナーだった。自転車に乗っている間、私は昔から常に自分がイケメンですばらしいアーティストとして活躍する妄想に耽っていた。しかし実際にアーティストになれるのは運のいいものだけという事実が私をいらだたせる。私は今住んでいる草津を抜け出し、京都の三条通りまで自転車をこいだ。二時間一貫してこぎ続けた結果、本当は神戸ぐらいまで自転車で行こうとしたが結局はいつもと同じ京都までのサイクリングになってしまった。京都はなじみの土地でありたいしてやることもない。京都では何もすることもせず、また家まで、ベッドに倒れ込んだ。旅をしようとしてもすぐに思ったものと違うと判断するとすぐにやめてしまう性格である。


自己の愚かさに呆れつつも、焦りは依然として存在していた。「何か」をしなければならない。その「何か」とはなんなのかの手掛かりはいままでつかめてこなかった。いや、何回かは確かにあった気がした、だがそれも私の指先でつるりと回避していった。そのためつかめそうだったことすら記憶にものこっていない。


そしてある日、私はAmazonで高価なノイズキャンセリング機能付きイヤホンを購入した。これで外界に出ても、耳は完全に閉ざされることができる。他人の話声、街の雑音、全てを無視することができる。孤独な男にとって、メンタルを保つためにも、外に出ているときに他人の会話をどれだけ避けられるかが、自己保全の重要な戦略になっていた。だから、ノイズキャンセリングイヤホンは私にとっての一種の防衛装置だった。それがあれば、どんなに混雑した場所にいても、私の心は完全に孤立した空間に留まる。


それ以降、私はいつもそのイヤホンを耳に挿していた。そうすることで、まるで独自の世界に引きこもっているかのように感じた。しかし、それは私が求めていたものだった。誰とも接触しない、誰とも話さない、ただひたすらに自分の心の中で孤独を噛み締める。そんな生活が続いた。


外界が閉ざされるということは入ってくる情報と人から話しかけられるというわずかなチャンスもなかったことにしてしまう。それをわかっていても私は外の世界を拒んだ。自分の存在が悲劇であるから外界を受け入れてもかえって災いをうむ光景がありありと浮かび上がる。さてなにをしようか。私はもうすぐ大学を中退することになっている、これには親との対立を乗り越えようやく達した合意であった。もはや親は私に何も期待はしている様子もなく冷たく「勝手にしろ」と言い放った。ここで私はもうやけくそになり大学中退後親とは縁をきることにした。


そこから私は配達業で生計を立てその日暮らしの生活をしていた。いつ死んでもいいそういう思いが常に頭の中をよぎっていたが、それでも若さゆえにまだぼんやりとした希望を持っていた。


子どもたちの無邪気な笑いと、炭火で焼けるハンバーグの香ばしい匂いが薫る、平穏なファミリーレストラン。だが、その和やかな雰囲気はあっという間に引き裂かれた。扉が激しく蹴破られ、その一瞬に店内の空気は恐怖で塗りつぶされた。閾値に立つその男の姿は、影に溶け込みながらも、何とも言えぬ威圧感を漂わせていた。

顔は粗野な仮面で覆われ、凍りついたような眼だけが光っていた。最近はどうも闇バイトという分かりやすい強盗事件がはやっているようだ。男の声は低く、しかし力強く響きわたった。その冷たい命令が店内を包み込み、一瞬にして客たちは床へと落ちていった。

「いやっほう~」男はこわれたように奇声を上げに机に飛び乗った。人々を支配する恐怖と混乱の波を生み出した。男の命令は荒々しく、客たちの貴重品を要求するその声は、耳に刻み込まれる。


親たちは子どもたちを必死に守り、安心させようと囁いていた。カップルたちは薄白くなった顔で恐怖の舞台を見つめていた。働くスタッフは、自分たちの平和な場所が一変して混乱の場となる様子を無力に見つめていた。いつもならぬっくりとした雰囲気は今や恐怖で溢れ、料理の香りや新鮮なコーヒーの香りはパニックの苦い香りに置き換えられていた。


男はレストラン内を歩き回り、恐怖に震える人々の間を縫うように財布やバッグを奪っていった。彼が生み出した混乱と恐怖に、彼自身が陰湿な喜びを見出していることは明らかだ

レストラン内の気配が更に緊迫してくる中、二人目の強盗が新たに恐怖を投げ込んだ。彼はその冷酷さで人々を圧倒し、その爆発的な怒りを行使することで、彼をさらに恐ろしく映し出した。


「うるさい悲鳴を止めろ!」彼の声は怒りに満ち、その響きは店内に響き渡った。彼の狙いは、大声で悲鳴をあげていた50代くらいのおばさんだった。このおばさんは私が食事している間もくだらない噂話を立て続けに話していた人だ。彼女の悲鳴は彼の怒りを増長させたようだ。彼は一歩を踏み出し、その男が女性に向かって進む様子に誰もが息を呑んだ。時間が止まったかのように感じられ、次の瞬間、男の手が女性の頬に炸裂した。その衝撃は、女性を椅子から床に転がり落とすほどだった。私はうれしくてうれしくて他人の前で感情をめったにあらわさないが今回はごく自然な動作としてガッツポーズがでそうになった。


人々の恐怖は新たな高まりを見せ、強盗の行動はそれを増幅させるだけだった。レストランはただ食事を楽しむ場所から一変し、人間の最も残酷な側面が露わにされた舞台と化した。


私は当然強盗の行動を肯定的に捉えていた。強盗は順番に財布を回収していき気に入らぬものがいたら激しい暴行を加えやりたい放題していた。そして私の方に強盗が近寄ってくる。強盗を前にしても自分の2千円しか入っていない財布を喜んで受け渡した。そこに恐怖感はなかった。だが恐怖感におびえている様子を映画でみたときのように再現して見せた。これは私が人の前でする数少ない演技である。本当は私もあなたの側に加わりたいのです。それをいいたいがまだ自分の人生を捨てる覚悟は決まっていない。傍観者としてこの状況を楽しむことが最適のように思われた。


私は当然ながら、銀行の動向を肯定的に受け止めていた。強盗たちは順番に客たちから財布を奪い、不愉快な反応を見せる者がいれば容赦なく暴行を加えるので笑ってしまいそうになる。そして、強盗の姿が徐々に私の方に近づいてきた。


彼を目の前にして、私は自分の財布に入っているわずか2千円を、喜びさえ感じて手渡した。私には何の恐怖もなかった。しかし、恐怖に震えている様子を映画で見たときのように再現し、強盗に見せつけた。これは、私が人前で演じることのできるごく一部の演技だった。


実際には、私もあなたたちの側の人間であることを示したかった。しかし、その想いを声に出すほど、まだ自分の人生を捨てる覚悟ができていなかった。そこで、傍観者としてこの状況を楽しむことが最良の選択肢のように感じられた。


私をどれだけ楽しませてくれるのかわくわくしたがすぐに警察が駆けつけて事態を急速に収めてしまった。おそらく誰かが隙をみて通報したのだろう。余計なことをしてくれたな。なんと期待外れなことだろうか。その強盗のパトカーに連行していく様子と私の人生がやけに重なって見えた。その情けない後ろ姿は思わず笑ってしまうほど情けかった。このシーンで私はパッと目を覚まし、また退屈な日常に引き戻されてしまった。しかし夢の中でも自分の都合のいいようにいかないとは、昔はもっと年上の女の人と楽しく遊びまわる夢を見ていた気がする。これも自分がネガティブな内容の作品を好むようになったからかもしれない。

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