【自然と似るもの】

 春斗が陸に煽られトイレに立つ少し前のこと。


 どうやら近頃のハルは何かに悩んでいるらしい。


 教室の前から三列目、窓際の席で遥や莉穂に囲まれていた雪奈はチラリと廊下側の後方で陸と話していた春斗を見てそんなことを思う。

 春斗がいつから悩んでいるのか。そして何に悩んでいるのか。

 詳しい事は分からない。


 しかし、確実に何かに悩み、そしてその悩みに自分が関わっていることは何と無く察することができた。


 ――本人的には隠してるつもりだろうけど……ハルって分かりやすい性格してるからなぁ~。


 一人悩んでいる春斗を見ながら、小さく笑う雪奈。

 それは決してバカにしている。という訳ではなく、ただただ河野春斗という人物の素直さが好ましいと思ったからだ。

 春斗に隠し事が無いとは言わない。春斗だって人間だし、隠したい事の一つや二つあるだろう。


 しかし、その隠し事をひっくるめて春斗は雪奈を裏切らないことを知っているし……何より雪奈の心を打ち抜いていたのは春斗本人が隠し事をちゃんとできていると思っているところだった。

 何か悩んでる? と指摘すれば面白いくらい慌てるし、誤魔化そうとすれば簡単にボロが出る。

 それが雪奈が夫として選んだ男、春斗という人物なのだった。


 ――学校が終わったら何に悩んでいるか聞いてみよう。


 雪奈はカーテンを挟んで差し込んできている春の木漏れ日を肌で感じながらそんな事を考える。

 すると――。


「一人で笑ってるようだけど……何か面白いものでもあった?」


 隣で莉穂と話していた遥がそう聞いてくる。

 どうやら顔に出ていたようだ。


「ん? 何が?」

「いや、楽しそうにしてたから何かあったのかなって。ね?」


 遥は同意を求めるように莉穂に視線を向ける。

 すると縦に首を縦に振って見せるのは莉穂。


「さっきからずっと笑ってたよ。莉穂達の話も聞いてなかったでしょ?」

「あ、ごめんごめん。ちょっとボケっとしてた」

「だよね。全く……雪奈ってそういうところあるよね」


 莉穂は雪奈や遥と比べて一回り小さな背丈をそのままに、腰に手を当てて呆れるような仕草をする。

 それは見ているだけで癒されるような……そんな感覚を覚えるほど可愛らしいものだった。


「しょうがない。聞いてなかった雪奈のためにもう一回言うよ? 雪奈はさ、このクラス……いやこの学年だと誰が一番モテると思う?」


 ――うわ~。なんて学生らしい会話……眩しいっ!


 雪奈はなんとも若者っぽい話題に、思わずそんなことを思ってしまう。

 成人し大人になって数年。恋愛なんてものは既に春斗の妻という立場に収まった雪奈にとっては無縁のものだ。

 夫がどうこうの話こそすれ、そういう話題は年を重ねるごとにしなくなっていた。


「……性別は?」

「当たり前に男子だよ」

「男子かぁ~」


 雪奈は肘を机に、顎を手のひらで支えると同じ学年の男子の顔を頭の中で浮かべる。

 しかし――。


 ――正直、あんまり覚えてないんだよねぇ……。


 感覚的には高校を卒業して既に数年が経過している雪奈。

 高校生を卒業しても尚、繋がりを持っていた人など片手で数えられる程で……当時の記憶を遡っても、うろ覚えで名前すら出てこなかった。


「んー、難しい。遥は? 誰かいる?」

「モテる……ね。私はそういうの良く分からないけど、強いて言うなら陸とか?」

「ああ、りっ……矢崎くん。確かにモテそうだね!」


 思わず未来でのあだ名――"りっくん"と呼びそうになる雪奈。

 早口で言葉を重ねて、それを誤魔化した。


「矢崎くんかぁ~。確かに格好良いよね。それにノリも良いし、確かお父さんが会社持ってるんだっけ?」

「そう。私の親は陸の親の会社に勤めてる。昔から知ってるけど、おじさんもおばさんも良い人だよ」

「それなら姑問題とかも大丈夫そうだ!」


 ――なんか……現実的で学生らしくない。

 と雪奈は静かに心の中で思う。


 当時の記憶は曖昧だが、果たしてこんな会話をしていたかどうか……。

 そもそもこういう話に興味が無かった雪奈は、二人のやけに大人びた会話に心底驚く。


「家は裕福で、本人の容姿、性格共に問題なし。矢崎くんは第一候補だね」

「まぁ、陸の性格は置いておいて、モテるのは間違いないんじゃない? たまに同じクラスの子から陸の話を聞くし」

「そっか、そっか。それで? 雪奈は誰か決まった?」

「……え!?」


 二人の会話に呆気を取られ雪奈の反応が一瞬遅れる。


 ――全然考えてなかった……。

 雪奈は話を振られた直後、頭をフル回転させる。

 しかし――。


「ダメ。全然そういうの分からないや」


 早々に考えることを断念する雪奈。

 モテそうな男子を挙げろと言われても当時の記憶は曖昧。それに加え雪奈の精神年齢的に高校生の男子をそういう目で見ることなどできない。

 思考の放棄は当然と言えた。

 

 すると刺さるのは莉穂の呆れるような視線。


「雪奈って昔からそうだよね。誰かいないの? 良いなって思う人」

「んー、特にいないね。矢崎くんはモテると思うけど」


 逃げるように陸の名前を出す雪奈。

 何も嘘はついていない。

 実際に陸は彼女が居たかどうかは知らないが、大人になってからもモテていたのも事実だった。


 しかし――このあと莉穂から放たれた言葉。

 安易に……それこそ誰が見ても明確な回答を避けているという事が分かりきっている中で陸の名前を出したことを雪奈は後悔することになる。


「じゃあさ、雪奈は――"河野くん"のことどう思う?」

「……え?」

「河野くんだよ。この前モールで一緒に見て回ってたでしょ? その日の朝だって二人で話してたみたいだし。まぁ、雪奈に限ってはありえない話だと思うけど」


 河野という苗字を聞いて、ビクンと心臓を高鳴らせる雪奈。

 それもそのはずでモールに行った日から既に数日が経過していたが、春斗の話題など一度も出なかったのだ。

 そんな中で、急にここで春斗の話になるとは思ってもいなかった雪奈に咄嗟の反応などできる訳もなくて……。


「べ、別になにも……無いよ?」


 それは何かやましい事を誤魔化すような反応。

 雪奈の思わぬ反応に戸惑う莉穂。

 莉穂からしてみれば、春斗と二人でモールを回った雪奈を弄るつもりで言った言葉だった。

 しかし、返ってきた反応は予想とは全く違ったもので……。


「もしかして……雪奈って河野くんのこと……好き、なの?」


 心底ありえないといったような表情、そして声色で言う莉穂。

 雪奈は焦るように言葉を被せようとするのだが……夫婦とは不思議と年を重ねるごとに似てくるものであり……。

 春斗のおっちょこちょいで天然な部分。

 それが最悪な形で表れてしまうのだった。


「いやっ、違う。私と"旦那"はそういうのじゃ――――あっ」

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