オシドリの雛鳥夫婦~sinceは未来で未確定~

西藤りょう

【二つの日常】


 ――まさか"また"こんな生活を送ることになるなんて……想像すらしていなかった。


 そんなことを考えているのは、青春の風が穏やかに吹く教室の一角に腰を据える制服を着た一人の男子高校生。

 周囲には当時の記憶そのままの姿で楽しそうに談笑する同級生達。

 見知った教室、馴染みのある……その時にしか感じることができなかった特別な空気、そして窓に反射して映る過去の容姿をした自分。


 その全てが懐かしかった。

 

 男子高校生は今の状況に夢を見ているような……そんな不思議な感覚を覚えながらも、自然と出てしまうものは仕方ないと言わんばかりの欠伸をする。


 深夜に眠い目をこすりながら観戦した異国のサッカー中継、そして眠気を呼ぶような穏やかで暖かな春の陽気。

 そんな要因が重なれば、異常な状況下であっても欠伸の一つや二つしてしまうものだろう。


「また夜更かししてサッカーでも観てたの?」


 向かいの席、同じく制服を着た女子生徒が持参してきた弁当箱を開けながら声をかけてくる。

 当時の幼さを残しながらも、見覚えのある髪型をした女はそう言うと、しょうがない奴と言わんばかりの表情を浮かべる。

 その顔は何年も近くで見てきたものだった。


「こればっかりはね。なんたって当時見れなかった試合がリアルタイムで観られるんだから」

「結果は知ってるんだよね? だったら観る必要はないと思うけど」

「いや、昔はサッカーに興味がなかったから知らない。観ても動画でハイライトでって感じかな」

「あ、そう」


 女子高生はさも興味が無さそうに言う。

 このやり取りも既に慣れたものだった。


「そうそう。なんでもっと早く観てなかったんだって後悔してるよ。それより……はい、ピーマンと人参」


 そう言うと自前の弁当箱からチンジャオロースに入っていた、欠片と言うには小さすぎるピーマンと人参を向かいに座る女子生徒の弁当箱に入れる。


 すると聞こえてくるのはこれまた聞き慣れた深い溜息だった。

 

「はぁ~。朝早くにお弁当を作ってくれたお義母さんが泣くよ?」

「俺が苦手なのは"ゆき"……高野さんなら知ってるよね?」

「……そりゃね。ただ、だとしても食べないとダメ。河野君は少しでも目を離すと偏食になるんだから」


 高野と呼ばれた女子生徒は、自身の名前である雪奈を彷彿とさせる"ゆき"という発言にギュッと睨むような視線を送ると、肩を落としながら渡ってきたピーマンと人参を元の弁当箱に戻した。


「そうは言ってもピーマンと人参だけは本当にダメなんだよ」

「知ってる。知ってるけどさ……食べさせられる私の身にもなってよ。特にピーマンね。河野くん、君から渡されるピーマンはイコールで揚げ浸しを想像させるの。お酒が飲みたくなるの!」


 高野はそう叫ぶように言うと顔をしかめる。

 それもそのはずで、彼女は河野の作るつまみ。特にピーマンとナスの揚げ浸しが大の好物であり、お気に入りの日本酒と共に頂くのが至高の時間だったのだ。


「また作るから。だからお願い。代わりに食べてくれ」

「嫌。てか今は"未成年"なんだからお酒飲めないじゃん」

「……それはそうだけど」

「でしょ? 河野くんの作るおつまみがあるのにお酒が飲めないとか……何の拷問って感じだよ!?」


 ヒートアップする高野。

 声は大きくなり、身振り手振りも大きくなる。

 すると当然クラスでの二人の存在感は増す訳で……。

 気付けば教室内に居るクラスメイト達の視線を集めていた。

 

「えーと……二人って仲良かったっけ……?」


 一人のクラスメイトがそう声をかける。

 クラス内をカーストで表すなら女子グループのトップに属する高野。

 逆に人を寄せ付けることをしていなかった一匹狼の河野。

 正反対ともいえる二人が楽しそうに……それもどこか息の合ったやり取りをしている。

 そんな姿を見れば、誰だって興味を示すのは当然だった。


 二人は息を吞む。

 そして一瞬視線を交差させると、"元夫婦"の二人はこう言うのだった。


「「ただのクラスメイトだよ」」


 ――と。




 高校の同窓会で元クラスメイトと再会して、そのまま交際に発展して結婚。

 それはどこにでもあるような、そんなありふれた話である。


 高校卒業後に大学へ進学、その後は保険の営業マンとしての人生を歩んだ"河野春斗"。

 そして同じ高校を卒業した後に専門学校に進み、一旦はwebデザインの会社に就職したが、後にフリーランスとして独立した"高野雪奈"。


 二人は高校時代こそ関わりは軽微なものだったが、それでも人間関係というのは不思議なもので数年ぶりの再会、たった一度の飲みの席で意気投合し、気付けば人生を共に歩むパートナーとしてお互いを選んだのだった。


 そして時は流れ、気付けば結婚して三年目。

 既に新婚の頃のような熱は冷め、熟年夫婦とは言わないまでも落ち着きのある関係になったある日。


 いつものように雪奈の作った朝食を頂きながら、大学時代の友人の影響で見るようになった欧州のニュースをスマホで目に通していた春斗と、それを頬杖をつきながら呆れた様子で眺める雪奈は何度も繰り返してきた日常を享受していた。


「昨日テレビで見たんだけどさ、オシドリ夫婦っていう言葉あるじゃん?」


 会話のきっかけの一つとしてそう聞いてくる雪奈。

 春斗はスマホから視線を外し、雪奈を見ると口を開いた。


「仲が良い夫婦に使う言葉だっけ?」

「そうそう。でも、オシドリって実は毎年のようにパートナーを変えてるんだって」

「へぇ~、知らなかった。オシドリ夫婦って言われるくらいだから、生涯寄り添うものだと思ってたよ」


 なんとも夢の無い話を聞いた春斗はコーヒーが入っているマグを手に持ちながらそう言う。

 

「ね。私も含めてだけど、そう思ってる人は多いと思う」


 日常の中、どこにでもあるような会話を繰り広げる二人。

 春斗と雪奈は同時にコーヒーに口をつけると、訪れるのは一瞬の無言。

 その空間は穏やかで、メリハリを全く感じさせないものだった。


「でもさ、気になるのは夫婦という関係を無くしたオシドリが再会した時だよね」

「どういうこと?」


 雪奈の言ったことを理解できなかった春斗は聞き返す。

 すると、雪奈は考えるような仕草を見せながら口を開いた。


「関係こそリセットしたけど、元々は夫婦なわけじゃん? そんな中で自由の身になったオシドリ夫婦が偶然にも再会したらどうするのかなって」

「……また夫婦に戻るかどうかってこと?」

「うん。もう一度パートナーとしてやっていくのか、それとも別の相手を探すのか……ま、私達はオシドリじゃないから分からないけどね」


 そう言った雪奈は話題を変えるようにそう締めると言葉を続けた。


「……そういえば今日の帰りは?」

「んー、今日は三件だけだし、早く帰ってくるかも」

「そっか。それなら帰りにチーズ買ってきてよ」


 雪奈は昨日切れてしまったチーズを春斗に頼む。

 それは酒飲みの彼女からしてみれば大きな問題だということを理解している春斗は了承の意を形にして頷いて見せた。


「了解。この前と同じフレーバーで良い?」

「うん。お願い」


 テレビから流れてくるニュースキャスターの声をBGMに、そんな会話をする二人。

 その様子から見て分かる通り、既に新婚という空気は無くて……家族という言葉がピッタリの空間が広がっていた。


「ってか、雪奈は酒……少しは控えなよ? つまみもそうだけど、酒も毎日のように買って帰ってる気がするんだけど」

「……それを言うならハルのタバコだって体に悪いじゃん」

「俺は最近本数を減らしてるから」


 喫煙者と吞兵衛の五十歩百歩の醜い言い争い。

 大人の嗜好品、二大巨頭であるタバコと酒。

 二つの関係は相まみえそうでありながら、春斗と雪奈はお互いに一つしかやらないため、この言い争いは交際当初から続いていたのだった。

 

「本数を減らしても体に悪い事には変わりないよ。それに、お酒は少量であれば薬になるって言うじゃん? だから私は平気」

「いやいや。雪奈の飲む量は薬の範囲を超えてるよ」

「そんな事ない。そもそもハルが美味しいおつまみを作るのが悪い。……下戸の癖にさ!」

「……ほう? そんな事を言うんだ?」


 春斗はそう言うと嫌な笑みを浮かべる。

 散々人に作らせておいて、その言い分は何? とでも言いそうな顔に雪奈の表情が曇った。

 酒が飲めない春斗だったが、彼の作るつまみはとても美味であり、雪奈にとっての好物は決まって春斗の作るものだったのだ。

 

「もう! さっさと仕事行きなよ! 私も家の事するから!」


 都合の悪くなった雪奈はそう叫ぶように言うと、まだ食事中だった春斗を差し置いてリビングから出て行く。

 向かう先は洗濯機のある洗面脱衣室だろう。


 春斗は逃げるように家事をしに行った雪奈の背中を見送ると、残っていた朝食を片付けて出社の準備を始めた。



 そして――これが最後に残っている春斗の記憶になったのだった。 

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