第二幕 『意志を持つ宝』

 千景が園遊会に参加するにあたって、赤月はいくつかの注意事項を述べた。


 感情を優先せず、なにがあっても赤月の指示に従うこと。


 白浪一族の泥棒行為は政府に容認されているが、警察に捕まった場合、千景は切り捨てられる可能性があること。


 そして最後は。


「俺たちの協力者になるということは、犯罪の幇助ほうじょに当たる。罪を犯す覚悟はあるか」


「……!」


 鋭い声に、千景はたじろいだ。歯を噛みしめ、わずかにうつむく。


(赤月さまが悪党だと知ったとき、法で裁かれるべきと言ったのはわたくしのほうだわ)


 だが、自分の申し出に後悔はない。大切な親友に危機が迫っているかもしれないのだ。


 かたく目を閉じてから、ゆっくりと顔を上げる。


「覚悟の上です」


 力強い声で告げると、赤月は目を大きく開けてから片手で顔を覆った。


「まったく君というやつは。いい心意気だな」


 控えめに苦笑してから「しかし」と言って、千景を見下ろす。


「君に泥は被らせない。万が一なにかあったときは、俺たちに脅されてやったことにする。君も口裏を合わせてくれ」


「ですが」


「なにがあっても俺の言うことは聞く約束だろう? いいな」


 有無を言わせぬ迫力に、千景は何度か口を開閉させてから唇を引き結ぶ。


「……はい」


「よし。では君の役割を伝える。俺は大学生のときに使っていた東雲京介しののめきょうすけという身分を使う。君は彼の妹に扮してもらう」


 聞けば東雲京介は実業家の放蕩息子で、大学卒業後は親のコネを使い、美術商として全国各地を気ままに歩き回っている設定らしい。


「妹であると言っても腹違いの子で、年齢は君と同じで十七歳。病弱ゆえに地方で療養していたが、そろそろ社交場に参加させたいという父親の想いのもと、一時的に上京したという設定だ。生い立ちや療養先の土地の情報を紙にまとめるから、当日までに頭に叩き込んでくれ」


「わかりました」


 千景が頷くと、赤月はにやりと笑う。


「ああそうそう、名前は東雲ちひろだから」


「んん?」


 名前を聞いて、素っ頓狂な返事をしてしまう。


 偶然にも『ちひろ』は、『千景ちかげ』という漢字のもうひとつの読み方だった。



◆◆◆◆◇


 あっという間に園遊会当日となった。


 千景は水仙のような淡黄の生地に、白い丸襟と裾にかけて二段のフリルがついたワンピースを着て、鏡台の前に立つ。


 実業家の娘ということで、着物ではなく洋服が採用されることになった。


 腰までの黒髪も黄蝶の変装技術によって、肩までの断髪となっている。


 さらに中性的な顔立ちは化粧であどけなさを強調し、頬の輪郭はここ最近の栄養満点の食事によって結果的に丸みを帯びた。


(複雑ですけど、良しとしましょう)


 少しでも存在感を出すために香水は海外製の麝香ムクスの香りを使い、仕上げに丸帽子を被れば、千景だと気づく人はいないだろう。


 千景は振り返って、身支度を手伝ってくれた黄蝶にお礼を告げる。


「ありがとうございます。黄蝶さま」


「じゃあ、あたしは一足先に花岡家に向かうから」


 彼女は目も合わさず、そそくさと部屋から出て行ってしまった。


 表情がこわばっていたのは、千景が園遊会に参加することを反対しているからだろう。


 玄人の犯罪集団に、素人の一般人が混ざるのだ。いい気がしないのは当たり前だ。


 千景は唇を引き結ぶと、『玄関』と書かれた張り紙を目印に廊下を歩く。


(三週間ぶりに白浪一族の屋敷から外へ出るわ)


 玄関にはすでに赤月が立っていた。


 彼は鶯茶色の背広服を着ていて、右手には山高帽を持っていた。


 前髪は額が見えるように大胆にすき上げ、毛先に癖をつけていた。目の開き方もいつもより細長くて色っぽく、掴みどころのない雰囲気が強調されている。


「準備はいいか?」


「はい」


 千景が頷くと赤月が左手を差し伸べてくれる。


 迷いなく手を取ると、彼は口角を上げ、山高帽をかぶってから格子扉を横に引いた。


 目の前に、黒塗りの板塀と長屋らしき建物に挟まれた細長い小道が現れる。


 慣れない靴のため、敷石を気にしながら踏んでいくと、急に視界が変わり、帝都の大通りに出た。


(こんな街中だったなんて)


 通りの中央には車や馬車が走り、両端の歩道には青々と葉が生い茂った木が並び、その下を多くの人が行き交っていた。


 振り返ると、背後にあったはずの小道がただの板塀となっていた。


「赤月さま、これもまじないの効果なのですか?」


 赤月に問いかけると、彼はいつにも増して目じりを和ませ、艶やかでゆったりとした口調で発声する。


「もう屋敷の外だよ。お兄さまと呼びなさい。ねえ、


 千景はうっと顔をしかめる。


(……赤月さまの表情や口調がいつもと違うから緊張するわ)


 だが、協力者を申し出たのは千景のほうだ。不慣れながらも彼の妹を演じ切らねばいけない。


「ごめんなさい、お兄さま」


 控えめに苦笑してから、赤月の後ろについて歩く。


「ちひろ、いつもよりしゃんとして歩いているんだね」


 早速、背筋が伸びていることをとがめられた。ちひろは病弱だったため、猫背気味に歩くようにと言われていたが、慣れない靴を履くのもあって難しい。


 千景は瞬時に思考を巡らせる。


「久々にお兄さまに会えたので、つい背伸びをしてしまいました。それにみなさまに元気な姿をお見せしないと」


 可愛らしく微笑んで、様子をうかがってみると、赤月は頬を緩ませた。


「ずいぶんと嬉しいことを言ってくれる。そうだね、みんなに君の可愛さを見せつけないとね」


 彼の反応に、内心で「なるほど」と唸る。理由があれば『東雲ちひろ』の仕草に脚色をしても許されるのか。


 黙々と考えていると、頭を撫でられる感覚がして肩が跳ねる。


(わっ!)


 赤月が丸帽子ごと揺らすように頭を撫でてきた。


(恥ずかしいから手を払いのけたいところだけれど……!)


 ちひろは療養によって同世代の子と交流が少ないため、療養先にふらりと現れてかまってくれる兄の京介を慕っている。ゆえに大好きな兄と一緒にいるのだから、手を払いのけることはしない。


(赤月さまって妹さんがいらっしゃったのかしら? それとも妹が欲しかったゆえの設定なの⁉)


 悶々としながら歩き続けると、一台の車が歩道に付けるように停まった。四人乗りのタクシーで、赤月に視線で促され、千景は彼と共に後部座席に乗り込む。


「お待たせいたしました。赤月さま、千景さん」


 運転席にいたのは緑埜だった。彼は運転手の制服を身にまとっていて、白手袋をした手でハンドルとシフトレバーに触れると、緩やかに車を発進させる。


 身体に振動を感じながら、千景は窓越しに街並みを見つめる。


(この辺りは帝居に近いのかしら?)


 大通りがとある方向から放射線状に伸び、道を挟むように西洋風の石造りの役場や商店やオフィスなどが軒を連ねている。


 その放射線状の中央に位置するのは、帝居である江戸城本丸跡だ。


 帝都の街並みは、五十五年前の大火によって大きく変わったと言われていて、政府の方針で遠く離れた大陸に存在する花の都を模倣されていた。


「最終確認をする」


 赤月は東雲京介ではなく、白浪一族としての顔つきとなった。千景は姿勢を正してから「はい」と短く返事をする。


「今回は花岡男爵家の長男と篠田商会の長女の結婚を祝う園遊会に参加し、花岡家の内部情報と鈴蘭が描かれた花瓶の在りかを特定することを優先する」


 事前情報だと、男爵家当主の齢六十歳の花岡誠はなおかまことは美術品や骨董品の収集家として名が知られているが、警戒心がとても強く、園遊会などの祭事でしか彼の秘蔵の宝を拝見することができないという。


「黄蝶と緑埜が使用人として屋敷に潜入し、内部情報を探ってくれ」


「黄蝶は別の移動手段で屋敷に向かっています。私もお二人を送り届けてから合流します」


 緑埜の言葉に赤月は頷くと、千景を見つめる。


「君は俺のそばにいて、花岡侑希子の様子を気にかけてくれ」


「……侑希子の様子、ですか?」


「君と花岡侑希子は牡丹島女学校で出会った友人だよな? 女学生だったときの様子と比べて、なにか変化があったらすぐに教えてほしい」


 千景は思わず眉を寄せる。なぜ花瓶を盗むのに侑希子の様子に気にかけなければいけないのか。


(ただ花瓶を盗むなら花瓶の保管場所や実際の使用人の動きを探るだけでいいはずだわ)


 回りくどい方法を取るには理由があるのだろう。

 そのとき、ある単語が脳裏を横切った。


「アーティファクトというお宝は、すぐに盗めないものなのですか?」


 千景の質問に、赤月は苦々しい表情を浮かべる。


「ああそうか。書斎でそこまで聞いていたんだよな……それを答える前に、ひとつ質問だ。君はこの帝都が美しいと思うか?」


 喉奥からするりと「美しいです」という言葉が飛び出そうになるのを、無理やり押しとどめる。


 彼が聞きたいのは、きっと単純な答えではない。


 帝都はいま、和と洋が混ざり合った、まるで孵化をするために栄養を蓄えているような、未完の美しさを放っている。


 千景は女学校のときに得た、記憶と知識を交えて答える。


「わたくしは初めて三階、四階と積み上がった石造りの牡丹島女学校を見たとき、いままで触れたことのない美しさを知り、心が震えました。特にアーチ状のガラス窓は見たことがありませんでしたから」


 外見だけではない。机や椅子、電灯までも洗練された意匠で、その中を昔から変わらない着物と袴という格好で校内を歩く度に、古き良き物を抱えて新しき時代を生きているのだという、高揚感を抱いた。


 思えば白浪一族の屋敷にいたときも、似た感情を抱いていたかもしれない。


「条令によって美観地区に指定され、多くの舶来品が取り込まれたのですよね?」


「よく勉強しているな。君の言う通り、古き文化を尊重しつつも、ここ数十年で帝都には多くの西洋文化が持ち込まれた。俺は多様性を感じるこの都が好きだ。陰ながら守りたいと思っている。だからこそ、アーティファクトを盗まなければならない」


 赤月は窓の外を見てふっと笑みをこぼしてから、打って変わって険しい顔つきとなった。


「アーティファクトは、本来は人工物という意味だが、この宝は人の悪意が込められた西洋式のまじないが施され、魅了された人々に災いをもたらす」


「!」


 ここでもまじないという単語を聞くとは思わなかった。


「災いというと……誰かがご病気になるなど、不吉なことが起こるのですか?」


「それもあるが、人間関係が悪化して人が人を傷つける事件が発生したり、注意力の低下によって事故などの人災を引き起こす場合もある」


「待ってください! そんな危険な物が侑希子のそばにあるのですか⁉」


 千景が思わず身を乗り出すと、沈黙を貫いていた緑埜が「千景さん、車内は揺れますので気を付けてください」と注意を促す。


 おずおずと背中を座面に付けると、赤月は苦渋の表情で告げる。


「俺たちだって盗めるなら早く盗みたいさ」


 彼は千景の不安を代弁するように吐き出した。


「アーティファクトは『意志を持つ宝』とも呼ばれていてな。周りにいる人の精神に干渉し、俺たちの邪魔をしてくる。だから段取りを組まなければ盗めない」


 邪魔、段取り、という言葉に重い含みを感じた。

 千景がさらに問おうとしたとき、緑埜が口を開く。


「お二人とも、会場に着きましたよ」

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