8-7
約束のザムザには、今日中に到着するはずだ。
入は瞼を閉じたままのことが多くなった。句朗はなるべく急いで移動しているつもりだったが、身体が疲れ切っているためか、全然進まないので苛々した。
ここまで来るのに、何度も憑き物を破壊した。トアリスの入が動けないため、甘依の術をかけることはできず、同じ憑き物に襲われることもあった。
句朗の木偶が、ふわりと浮かんで句朗の前に飛んできた。また蒼羽隊からの連絡だろうか。
句朗が八つ当たりで木偶に「邪魔だよ」とぼやき、木偶はしおしおと句朗の襟元に消えた。しばらくそのまま歩いていたが、木偶が可哀そうになって、中身を見た。ヘビからの連絡だった。
『ザムザには、人間に危害を加えない憑き物がいる。破壊しないようにしてくれ。約束は覚えているな?』
約束というのは、桂班の三人を連れて行くことを交渉したときに、条件として出されていた、ヘビの命令に従うことを言っているのだろう。
それにしても、危害を加えない憑き物とはどういうことだ?
すぐに他の班員にも、浮文紙に書かれたことを伝えた。
ザムザは、岩足が転んだときに潰れた村だ。今では人が住んでいないため、憑き物がうろついているものと予想していた。どうしてそんな場所を拠点にしているのだろうと疑問に思っていたが、ザムザの憑き物が人間を襲わないのであれば、安全なのかもしれない。
「どういうことかしら」
傘音が呟くと、史紋が答えた。
「呪術か何かで、服従させているのかもしれない」
昼過ぎに、ザムザが見えた。句朗にはすぐ分からなかったが、あれがザムザだと、傘音が教えてくれた。遠くから見ると、数件の建物が残っているだけに見える。岩足の件で、他は全部潰れてしまったのだろうか。
近づいていくと、建物の外に人が立っているのが分かった。あれがヘビだろうか。
鼓童が、休憩のため入を地面に下ろした。入は瞼を閉じ、脱力して地面に横たわっている。
句朗は待ちきれなくなって、入を両手で抱え、人影に向かって走り出した。
冷たい風が吹き、ちいさなくしゃみが飛び出す。入が寒くないよう、ぎゅっと抱き寄せる。
前にもこんなことがあった気がする。
その時僕は、抱えられる側だった。
そうだ、随分前に顔付きに攫われた時だ。あの時もこんな風に、憑き物が、まるで僕を守るように必死で走っていた。あれば結局なんだったのだろう。
「おーい!」
三人の人影が見える。先頭の一人がこちらに駆け寄りながら手を振った。
顔が見えるくらいになると、その人は若い男性であることが分かった。
句朗の木偶が、勝手に飛んでいき、その男性の長い髪の内側に入り込んだ。男性は驚いたようだったが、それよりも句朗と話すことを優先した。
「句朗か?こっちが入か」
男性は勝手に納得すると、入を抱き取ろうとした。
「ヘビ?」
「そうだ、本名は四蛇というんだ」
残りの三人も駆け付け、ヘビは全員に向かって自己紹介した。長身で、サラサラの長い黒髪が良く似合っている。
「向こうにいるのが、解呪の呪師、乞除だ」
ゆっくりこちらへ向かってくる人を、四蛇と名乗るヘビは紹介した。
乞除というのは、どうやら老人らしい。さらにもう一人が、乞除の後ろから近づいてくる。
「さあ、急いで」
四蛇は入を抱え、乞除の元へ走った。
入を乞除の足元に寝かせると、互いの紹介をすることもなく、乞除はすぐに呪術にとりかかった。
初対面の呪師に入を任せていいものだろうかと、今更不安な気持ちになったが、句朗は入の手を握ることしかできなかった。
誰も口を挟まず、乞除が不思議な作業をするのを、見守る。
いつまでも顔の周りを飛ぶ木偶を、四蛇が鬱陶しそうに引き離すと、木偶はすごすごと句朗の元へ戻ってきた。この木偶は男好きなのかもしれない。
「佐治に手を出したら、私はこの子を治さないよ」
急に乞除がそう言ったので、句朗は驚いて顔を上げた。そして、乞除の後ろに顔付きの憑き物がいるのに気づいた。
史紋と鼓童と傘音が、武器に手をかけていたのを、ゆっくり下ろす。この顔付きは佐治という名なのだろうか。
顔付きは一行を守るように、背を向けて立っている。三人目の人影は憑き物だったのか。人間によく似た形をしているため、人間だと見間違えたのだ。
もうどうにでもなれといった態度で、鼓童はその場に座り込んだ。疲れ果てた様子で、冷たい風を心地よさそうに浴びながら、水筒に入った水を飲む。
「さあ、終わった」
乞除が呟いた。
「おい、あんた」
そう言って入の頬を何度か叩く。彼女の耳元に口を近づけ、はっきりした口調で言う。
「あんたはもう、何も怖がらなくていいんじゃ。白紙には返らん。さっさと元気な姿を見せてやんな」
入は目を薄く開け、眉間に皺をよせた。乞除の言葉は聞こえているように見える。
「こんな風に、もう怖いことはないと話しかけるんじゃ。暖かくしておやり」
乞除は句朗にそう言うと「よっこらせ」と立ち上がった。
「とりあえず、家の中に入ろう。こっちだ」
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