第3話 家庭教師

 晴れて精霊への対抗策を編み出し、希望への第一歩を踏み出した俺であったが、残念ながらそれは母によって却下された。


 たしかにこのやり方では道具達を消耗する上に記憶を振り返ってみれば大した時間は稼げていなかったので、その効率を考えれば当然といえば当然の判断だった。


 急ぎすぎていたかと反省し、意気消沈する俺に対し母からこんな提案があった。

 簡単に言えば、やっぱりまずは精霊術を学びましょうということだった。



 どういうことかというと、そもそも精霊避けの道具自体が精霊術師等が作っているものであり、精霊のことはその専門の人を頼るのがベストだというごく当たり前の話だった。

 それと、母にも精霊に対する感覚過敏の考察を伝えていた。

 それなら、なおのこと精霊が分かる人に頼む方が対処のしようがありそうと、その方面にも詳しい昔の知り合いが村に滞在しているので色々と教えて貰いましょうということになっていた。


 しかしまあ、診察の出来る冒険者に、次は精霊に詳しい昔の知り合い、そういった適材適所な知り合いがちょうど近くにいる母の人脈はどうなっているのか。今も別に辞めてはいないらしいとはいえバリバリの冒険者時代の母とはいったいどんな風だったのか、その謎が少し気になっていた。


 そういう予定があって朝早いうちから出かけていた母だったが、一度戻って来たと思えばもう今日の昼過ぎにはその知り合いが来れるらしいといって、またすぐに家を飛び出した。




 その来客を待つ間、予習を兼ねてベッドを机代わりに分厚い教本を広げ、これから学ぶことに想像を巡らせながら眺めていた。


 それにしても分厚い本だ。

 本の作り方は知らないが、表紙だけでもかなりの厚みがある上に革でできているようで頑丈そうだ。素材自体も質感に高級そうな雰囲気があって素手で触れるのが躊躇われる。


 その表題を読み、これが精霊術の教本であると確認してから適当なページを開く。ところが、俺はその内容がまるで分からなかった。

 ほとんどの言葉の意味が理解できず、専門用語が多い内容なのかと始めの方から改めて見開いてみるものの、読めたり読めなかったりと虫食いでしか文字を読みとれない。

 そうして、何か少しでも学ぼうとかろうじて分かる言葉だけでも拾いながら次々とページを進めていき、全体をざっと通したことでようやくこの本の内容が難しいだけではなく、本来のユーサがあまり文字を読むことが出来ないのかという考えに至った。


 というのも、ページの最初の方や基本的な言葉遣い等は読めており、それはユーサがこの本を学ぶために勉強中だったということがよくあらわれていた。


 きっと、ユーサはこの教本を使って文字の勉強を始めたばかりだったんだろう。文字を学ぶ前なのにこんなに分厚い教本を与えられたのは、それだけ両親の期待と応援の気持ちが大きいからだと想像できた。



 この教本の初めには、精霊術師にとって必要な心構えや素養についてが説かれていた。

 精霊術師は精霊と交流し、良き友となることで色々と手伝って貰う者だという。大事なのは精霊についてよく理解することで、そのためには彼らのことを感じ取れるようになることが最初の関門になるとある。

 つまり、その素質はもう十二分にあるはずの俺も精霊と交流出来るはずなのだが、これまでのことを省みると難しいことに思う。


 彼ら精霊達と交流するというが俺が知る精霊とはあの騒々しい発光体で、人と同じような口や耳があるようには見えない。

 そんな彼らと良き友になるなんて、現段階ではなんとも実感の湧かない目標だった。


 その交流の為の手段は何なのか。どこかにヒントがないか再び教本のページをめくっていくが、それがどこに書かれているのかさえも見当がつかない。少ない挿絵などを手がかりにし、読めないなりに理解しようと考えをこねくり回す。


 そうして俺はもて余した時間を使い、我流で魔法っぽい何かを感じ取れないかと一人で唸りながら思いつくものを試している間に、家の方に向かってくる人の気配を感じて立ち上がった。





 二人の女性の会話が聞こえ、一つは母のもの、もう一つはその例の知り合いなんだろう俺の知らない女性の声だ。

 二人はそのまま表の方に回る。玄関が開かれるとほぼ同時に、母が促すより先にその女性が家の中に入って来たので迎えの挨拶をする間もなく対面し、その見た目に驚かされた。


 女性として小柄な方の母よりも更に低い彼女の身長はまるで子供であり、またその格好も大きな三角帽子にローブの黒尽くめに、腕には彼女の身長よりも長いねじくれた木の杖を抱えていて、正に魔女そのものだった。


「へえー、君がユーサか。思ったより大きい子だね。いま何才なの?」


 母の昔の知り合いと聞いていたのでそれなりの年齢の人物を想像していたが、その真逆の幼く見える女性が登場して戸惑っている俺を構わず、顔を合わせるなりズケズケと言い放つ彼女に更に面食らう。


「ええと……」


 何を口にすべきか逡巡したが、後から来た母が割って入ってきたのでそちらに注意に向かった。


「もう、ハナカさんにはユーサのことを話してるでしょう? それに、ユーサはあなたと初対面なんだから誰かも分からないままで困ってるじゃない」


「んー、まあいいか。それにしても、久しぶりにリューサの名前を聞いたと思ったらさ、もうこんなおっきな子供がいるなんて聞いてびっくりしたよ。時間の流れは早いね、本当に」

 彼女はそれでも悪びれることもなく、いやはやなんとまあとわざとらしく独り言をいいながら、こちらの周りをぐるりと何周もしながら興味深そうに眺める。



 まるで珍品を鑑定するかのような対応にむず痒くなる。母も困りながらも彼女を止めに入ろうとしたが、それを手で制して続けられた。

 そうして見物を終えるともとの正面の位置に戻り、そこでようやく俺と顔を向かい合わせた。


「成る程ね……はじめましてユーサ君。わたしの名前はハナカ、普通の魔術師をやっている者だよ。」

 そういいながら握手を求められる。


「はあ、はじめましてユーサです。今日はよろしくお願いします。」

 その手を握り返し、無難に挨拶したつもりだったが、キョトンとした顔で覗き込むハナカさん。


「うーん、ほんとに何才?」


 また同じ質問を繰り返すハナカさんに、母がもう伝えたはずなんだけどなあ、と首を傾げる。次はもうハナカさんの言うことにはお構い無しで無理やり部屋の奥に案内し、ようやく椅子に腰を落ち着けてくれた。

 それと、何才かと聞かれるべきはハナカさんじゃないかという言葉がよぎったが、やぶ蛇だと思いとどまって静かに飲み込んだ。




 母は俺達二人を座らせ、飲み物を用意するから少し話しててと言って離れてしまう。


 といっても、俺は彼女が具体的に何を頼まれてここに来たのか知らず、さっきのことで若干気まずい空気を感じて何も喋れていない。

 ぼーっと部屋の小物達を眺めていたハナカさんはベッドに広げられた教本を遠目に見ると、その内容に見覚えがあったらしく口を開いた。


「ユーサ君は勉強中だったか。どう捗ってる? 精霊術は面白そうかな」

「いえ、まだ文字があまり分からなくて、最初の方しか読めてないんです」

 そう答えた俺を意外そうな顔で見る。しかしすぐに微笑ましいものを見る表情に変わった。


「そっか、たしかにあの本は小難しい言葉が多いから大変だね。でも精霊は見えたり聞こえるなら精霊術はばっちり向いてると思うよ」


 ハナカさんはそう言って率直に応援の言葉をかけてくる。

 それでおおよその性格も伝わってくる。物言いが大雑把なだけで良いも悪いもなく、俺が勝手に苦手意識を持っているのも変かと気を持ち直す。




 共通の話題が出たついでに、俺があの本の内容で聞きたいことがあるというと、何でも聞きたまえよと小さな体躯で無駄に大げさにふんぞり返るハナカさん。

 彼女の若干の奇行を無視し、さっき色々と試していたけど精霊が答えてくれないと伝えたら「そりゃそうだよ。この家の中にはいないんだから」と呆れられた。


 そう、この家は強力な精霊避けがなされている安全地帯。俺はそのことを失念し、本の内容に導かれるままに独りであれこれ唸っていたということになる。


 君もせっかちだね。そうハナカさんに笑われてしまうが、その通りなので何も言えない。

 続けて「君のお母さんも大概だし、似たんだね」と懐かしむ彼女の仕草には、外見では測れない重ねた年月と相応の含蓄があった。




 母が戻って三人が揃い、そこでようやく本題に入って今回ハナカさんにしたい頼み事について、詳しい内容を聞かされた。

 母がハナカさんにお願いした依頼は主に三つ。

 一つ目は俺が自分でも精霊術避けを使えるようにすること、二つ目は文字の勉強をしながらの教本の解説。

 三つ目は他と被るが、術師に必要な知識全般を学ぶ為の家庭教師のお願いだった。


 家庭教師をつけるという母の言葉に驚く。

 人ひとりを雇うというのだから決して軽い負担じゃないと思う。それも内容からしてかなり長期間の契約になっていないだろうか。


「結構かからないかな、時間もお金も……」


 そんな俺の言葉を二人は笑って軽く流す。


「気にしないの。あなたは忘れてるかもしれないけど、前に暮らしてた町でも術師の先生に教わってたのよ。それに、せっかくの本が埃まみれになる方がもったいないわ」


「そうだよ。わたしだって君のお母さんに会って

さ、ついでに君の面倒を見るだけなのと変わんないし。子供の癖に心配症だなぁ」


 なんだか呑気に受け答えする二人により、家庭教師という重大なそうな話は友人が遊びにくる日という形にふんわりと収まっていた。





 さっそく、一つ目の依頼の精霊避けの術について教えるから、とりあえず外に出られるようにしようかと気楽に言うハナカさん。

 

「さあ、ちょっとだけじっとしててね」


 そういい、水を一口飲み、座ったままの体勢で立てかけてあった杖を抱きかかえて杖をこちらに傾けて構えると、更に目を瞑ってしまう。

 集中しているのかそのまま動かなくなってしまい、疑いの目を側にいる母に対して向けたが静かに。とジェスチャーで返される。


 このままでいいのかと思いつつ母からハナカさんに注意を戻したら、いつの間にかハナカさんの体から湯気のようにオーラが立ち上っていた。


 それは緩やかに体から杖の先に流れ、淡い光が空中で滞留していき徐々に色濃くなっていく。


 鬼火のようにゆらゆらと揺らめく淡い光の塊が出来上がった後、ハナカさんはゆっくりと目を開いてこちらを見つめ、小さな声で何かを呟く。

 すると、杖の先にくっついていた塊から帯状の光が幾筋もの奔流となり、俺の体にまとわりつきながら吸い込まれていく。

 激しい現象が起きている割にそよ風があたっている位の感覚しかなく、俺はただ光の束が体に流れ込む様子を見ていた。

 ハナカさんも後はこちらに杖を向けているだけで暇そうにしており、これ以上何かをする予定はなさそうだ。


 それから数十秒が経ち、光の塊が小さくなるにつれて流れ込む勢いも弱まり、最後の一筋が流れきったのを見届ける。


「はい終わり。これで少しの間は大丈夫だよ。次は確認ついでに外でお勉強かな。ん? どうした日が暮れるよ……ほら行った行った」




 そう声をかけられても、しばし椅子から離れられない。急かすハナカさんに引っ張られるようにしてようやく動き出す。


 俺は見かけは冷静に振る舞っていたが、頭の中では放心状態に陥っていた。

 というのも、ハナカさんが使った魔術が今までで一番ファンタジーさを感じたからだ。


 これまでも連日、俺の知る知識では空想上であるはずの存在を見て体験していたが、ドラゴンは恐竜のようだし、精霊はオカルトやホラーにありそうで、年齢不詳の子供魔女もそういう人もいるだろうとギリギリ納得できていたが、本物の魔術だけはあり得ない、説明がつかない現象だった。


 それに、それらを見てもただ驚いたり感動するに留めて理解してきたつもりだったが知らぬ間に限界がきていたんだろう、とどめに魔術を体感してからは脳の処理がすっかり止まっていた。




 無事に外に出られ、母とハナカさんは良かったと喜んでくれていたが俺の反応は薄い。ハナカさんはなにか失敗したかと慌てて俺の状態を調べ、その途中で合点がいったと手を叩く。


「ああ、ユーサ君は記憶を失っているんだっけ。もしかして術師のことを覚えてないのかな」


「本当? あまり良いことじゃないけどそれならまだ安心よね。ユーサ、驚かせちゃったかしら」

 周りでオロオロしていた母も落ち着き、心配そうに手を掴んで顔を覗き込んでくる。


「えっと、それはそうなんだけど……ちょっとびっくりしただけだから、もう大丈夫。それよりまわりを見て来ようかな」


 自分でも分かる位たどたどしいが、何とか母に一言かけてから近くをぶらつく。

 周囲を見渡し、その風景は家の中から窓越しに見えていたのと同じながら、それよりももっと開けていることへの開放感を味わった。

 精霊は当たり前のようにそこら中にいた。しかし、発光も雑音も抑えられ、しかもこうして外に立っていても集られることもない。


「さあ、気分はどうかな。痛いとか苦しいとかはない?」


「どこも変じゃないですし、元気です。精霊が普通に見えてるし、襲っても来ない。それとさっきの魔術? を使うハナカさん凄かったです。本当にありがとうございます」


 ハナカさんに頭を下げ、魔術を見せてくれたことにも感謝を伝えたが、彼女はこれくらいは何でもないとひらひらと手を振って返す。


「精霊は無害なのが普通なんだけどね……これで精霊避けの魔術の効果は分かったかな。手間がかかるけど薬を用意出来るから準備が出来たらそっちに切り替えようか。だけど、最終的には自分で使えるようにしっかり勉強しないとね」


 今やもう魔術師のハナカさんに尊敬の念を抱かずにはいられず、俺は大きく縦に首を振って深く頷き返してこの期待をどうにか伝えようとしていたが、その気持ちは届かず素気なくあしらわれた。



 ここで母は離脱することになった。

 母から「ここからはもうハナカにさんに任せるから、よく話を聞くように」と言って別れる。


 これは初めからしていた予定で、精霊避けの術が上手くいくのを見届けたら後はすぐ家庭教師の内容に移ってもらうという話をしていたらしい。

 といっても、今日は互いにすぐ側の家にいる。異変があれば駆けつけられる距離にいるのは、俺が外に出ることへの不安からなんだろうか。

 これが母の気分も落ち着くきっかけになればいいなと、ぼんやりと考えていた。

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