来訪

若阿夢

来訪

 2023年7月12日の夕方、母に、その弟、坂上網彦から電話がかかってきた。


「7月26日に、そっちにいく。例のあれその時、もっていくわ。10時に余山空港に着くから、迎えに来て。まあ、どっかでごはんでも食べよう。」


 網彦は遠方の納豆市に住んでいる。7月26日に私達が来てくれと頼んだ覚えはない。全く一方的な通知だ。私は、気の弱い母の代わりに、迎えに行けない、来たいなら公共交通機関を使えとの旨をメールで連絡した。


 網彦はそれでも我が家に来ることをあきらめず、よせばいいのに、嫁の涼子をつれてやってきた。涼子は、いつもどこかしら体が痛いと言っているおばはんだ。


 家に来た網彦、開口一番、

「いや、この坂、ひどいわ。遠い。」

というが、私は、スルーし、嫌々、家の中に通す。招いてないのに来るほうが悪い。


 我が家は、斜陽台という高台にある。昭和の時代、新興住宅地として羨望を集めたものの、その時でブームが終わった、不便この上ない場所である。ちなみに余山空港からは、まずバスに20分乗り、余山駅まで出た後、余山駅から一時間に一本ぐらいで走っているJRに30分乗って斜陽台駅で降り、そこから20分ほどかけて徒歩で坂を上がるのだ。

 余談だが、先日、片づけの際、私が斜陽台に引っ越してきた小学3年生の当時に書いた作文が出てきた。

「明日からこの坂を上って学校から家に帰るんだと思うと、うんざりしました。」

 自画自賛だが、この点は、先見の明があると思う。私は、小中高と、何の修行だと、うんざりしながら、坂を上り、家に帰ったものだ。車がなければ、此処には住めない。大人事情の住居である。


 さて、我が家に入った涼子が

「お父さん、手を洗わないと。」

と勝手に、人の家の洗面台を使おうとする。自由か。いや、誰の家だ。

 この家の苗字は『坂上』ではない。坂上分家ではなく、寧ろ若阿本家なのだが、何様だ。


 こんな時に、過去の家の風習とかが、現れる。母は坂上家の長女に生まれ、間に次女を挟み、末子に長男の網彦が生まれた。母方の祖母、伸子は、当時の主流かどうかは不明だが、男尊女卑の権化であり、母を前にして

「私は奴隷を生んだ。」(母のこと)

と言い放ち、網彦を、傍目にも不自然なほど、後継ぎといい、甘やかして育てていた。そんな網彦が、その嫁、涼子が、つけあがるのも当然の摂理ではあるが、ここは若阿家だ。


 父なき今、この家を仕切るはこの私。洗面台を使うのは良いが、余計なところに行かないよう、威厳をもって制しながら、母のところに連れていく。

 が、母に会っても、網彦はろくすっぽ、話もせず、

「例のあれ、どこよ。そのために来たんだけど。」

と、勝手に人の家を家探ししそうな勢いである。全く、あの嫁あるのは、この馬鹿あってか。ただ、馬鹿に合わせてはこちらが疲れる。こういう時は冷ややかな対応に限る。私は、

「まずは、そちらにお座りください。該当の品については私が持参します故。」

と、眼力で、その部屋以外うろうろするなと制し、使わない部屋に立てかけておいた『例のあれ』をもってきた。


 『例のあれ』とは、まったくもって、どうでもいいものである。昔、中国人のなんたらが、伸子に宛てて書いた書き物の原本がそれで、網彦は、なんたらの子孫に返してやりたいんだとか。私の知ったことではない。


「これだろう。」

 私がB1サイズの額縁に入ったそれを渡すと、驚くべきことに、網彦は、その額縁から中身を出そうと、その場で粉塵が飛び散るのも構わず、作業を始めた。


「まてい。何してる。」

 私が制止すると、網彦は悪びれもせず、

「別に額縁はいらない。中身だけいる。」

と、のたまう。

「まだ、この旅行の後半に墓に行くから額縁、邪魔なんだよね。」

墓。ああ、山中県の坂上家の墓ね。若阿家の墓は首都にあるから、全くもって関係ない。

「着払いで送ってやるから、作業やめい。」

「額縁はいらない。」

「人にあげるんなら、額縁ごとの方が良かろうが。」

「俺があげたいんじゃない。中身だけでいい。」

「知るか。若阿家は全く関係ないから、着払いで送ってやる。」

「なんで、俺が費用負担。」

「あんたの坂上家の用だろうが。たまたまゴミがうちにあっただけで、若阿家に何ら関係ないわ。うちは、若・阿・家だ。」


 網彦は、現役時代には、大学教授だったが、今は、ただのけちな老人だ。その肩書が退官後、何ら世間で通用しないことが分かっていないのが、特にイタい。周りの人が素の老人に頭を下げるとでも?何を根拠に。どういう利害関係があるのか。

 むしろ、私は過去に、伸子の遺産相続で、網彦が自分だけ動産を持ち、人の好い姉妹に「負」動産を押し付けたことを、ものすごく不愉快に思っているのだが。そう、利害関係はまさにマイナス。


「どうなったの?」

母の問いかけに、網彦は嫌そうに、

「ああ、夢がうちに送ってくれるってよ、着払いで。」

と答える。

「夢はそういう子よ。」

母は、どこを肯定しているのか、相槌を打っている。

「あ、言っとくけど、母さんの左側に座らないと、会話成立しないから。」


 母は全盲かつ、両耳難聴だ。これは年のせいで徐々になったのではなく、2020年に、コロナとは違う感染症に全身蝕まれ、生還した際、一気に出た後遺症だ。確かに年齢も80を超えたが、それまで全くの健常者で、病気のせいというに、年齢ハラスメントは酷かった。語ることは多いが、今はただ、老人にして、ヘレンケラー3歳状態とだけ言っておこう。


 とりあえず、網彦は母の左側に座って、どうでもいい話を始めた。網彦の位置が定まったのはいいが、涼子が、うっとおしい。網彦の隣の席に座ればいいのに、私にまとわりついて、べっちゃべっちゃ話しかけてくる。まったく、配慮できないおばはんだ。母が全盲・両耳難聴だから会話は一つでなければ、母が聞き取れないことが、全然判らないらしい。


「でね、私、今、スポーツクラブっぽいとこに行っていてね、マシンが6つぐらいあるわけ。」

「ふーん。」

「そこのコーヒーがまた美味しいのよお。本当は送迎もやってくれるんだけど、私は自分で行くわけ。」

「へー。送迎してもらった方が、移動時の保険つくからって近くても使う人いるけどね。」

「何と、これ、介護保険で、月二千円ちょっとで使いたい放題なわけよ。私週一回しか使わないけど。」

「別にもっといけばいいじゃん。健康の為なら。」

「だって、私、家事しなきゃいけないし。」

は。笑わせる。介護離職状態の私の前でよく言うわ。「家事」がどこまで忙しいわけ。どんな仕事も3年積めば、見えてくる。「家事」をビジネスとして運用したら、何をやるべき、何を少々放置可能とか計画が立つ。ありきたりの専業主婦の言葉は「響かない」。


「母さん、ジョイリイ、毎日行ってるよね。」

わざと母さんに向かって、話題を振る。

「そうそう、最近、送迎してもらって、週6で一日3時間運動してるのよねー。お陰様で、足腰の問題はないわよう。」

「なんせ、要介護2だもんねー。」


 要支援1をかすめる様に認定してもらった、盗人猛々しいわと言わんばかりに、私は、要介護のトーンを高くし、強調した。トランプゲーム的にいうと要支援1<<要介護2である。文字面からして、介護の方が重症だし、数字の大きさは度合いの大きさを示す。要支援1なら定額使いたい放題の施設は、要介護であれば一日いくらと介護度が高いほど、値段も高く取られる。必ずしもリーズナブルではないわけだ。


 それでも、母は通勤のように、スポーツ系のデイサービスに毎日行くようにした。全盲、難聴で安全に何かできることなど限られている。生存していればいいなんて思っていない。本人的に、毎日にハリがないと、人生だめじゃないか。感染症の前は、直前まで現役塾講師だったのだから。


「あら、大変ねー」等、自分への哀れみの流れを期待していた涼子は、呆気にとられている。むしろ、あんたらみたいなのが偉そうに、老人の権利振りかざすから、本当に困ってる人たちがタイヘンなんだよ!


「というわけで、母さん、足腰大丈夫だから、一緒に買い物でも行って来たら。母さんがいれば、交通費、同伴者一人は半額になるし、タクシーも、ほら、初乗り相当かな?補助券あるし、あと一割は引いてくれるんじゃないかな。多分。私が車だから、どれも今まで使ったことなかったんだけど。」

障がい者手帳の方、全盲1級だからねと、私は白杖も目の前に準備した。


 突如、網彦と涼子はいそいそ退散を始めた。車で、宿泊予定の余山市のホテルに送れとも、下の斜陽台駅に送れとも言わなくなり、上ってきた山道は今度は下りだから楽だとか、言い訳しながら消えていった。

 彼らが、再び、余山市に来ることは、恐らく二度とないだろう。









 














 

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