第3話 おまかせ
ミナコさんに指定された時間は、なぜか午後の4時。西日が眩しいこの時間帯は、オレンジに輝く空と、影となった山や木々のコントラストが美しい。久しく外の景色をじっくりと眺めることのなかった私は、どことなく感傷的な気分に浸りながら、カフェへの道中を楽しんだ。
「こんにちは」
「カオリちゃん、いらっしゃい。待ってましたよ。お好きな席へどうぞ」
午前中に訪れた時から、アンティーク調のテーブル席が気になっていた。一見、艶やかな木の風合いだが、よく見ると所々が黒ずんでいたり、白く擦れている箇所もある。いつの時代のもので、どんな人が使っていたのか分からないが、人の生活感が感じられる家具は温かみがあって好きだ。アーチ状になった椅子の背もたれを引き、私は静かに腰をおろす。
窓から差し込んでくるのは、先ほど眺めていたオレンジ色の夕日。しかし、外の光よりも屋内で感じる光のほうが柔らかい。温かくて優しい、包み込まれているような心地よさを感じる。しばらく惚けていると、近づいてくる足音にハッとする。ミナコさんはニコッと笑みを浮かべ、テーブルにコースターと水を置いた。
「私もね、この時期の夕日が大好きなんです。日暮れは早いけれど、その分、より一層輝きを放ってる。初めてこの地域に来た時も、あまりの綺麗さに圧倒されちゃったんです。ここに来てよかった、私はこの地で一生過ごしていきたい、ってね。まぁ、それは叶わなかったけど、今またこうやってここに来れたのは、なにかの縁かなって思うんです」
「そうですね。きっとミナコさんは、この地と縁で結ばれていたんですね。人だけじゃなく、物や場所だったり、すべての事柄に縁というものは存在しますから。最近はゆっくり外の景色を楽しむ余裕がなかったので、私もここに来る道中に、夕日を見ながら同じことを思いました」
「共感できる人がいるって、なんだか嬉しいですね。あ、ちなみにうちは、メニューがないんです。ドリンクやスイーツ、食事メニューも全部『おまかせ』で提供します。なにが出てくるか、ちょっとワクワクしませんか?」
「それはなんとも……不思議な趣向ですね」
どんなものが出てくるのか、ちょっと怖い気もする。今まで食べたことのない珍味でも出てくるのだろうか。もしくは、お洒落なスイーツや高級食材を使った料理かもしれない。思考を巡らせると、なぜだか心がふわっと踊るような感覚になる。
「ふふっ。今ちょっとワクワクしたでしょう?カオリちゃんったら、分かりやすいんですね」
「えっ。顔に出てましたか……」
「まさしく、その感覚なんです。このお店に来る度に、ワクワク感が味わえると楽しいかなって思ったんです」
「確かに、心が躍りました。では、その『おまかせ』をお願いします」
「かしこまりました」
『おまかせ』メニューだけで勝負するとは、なかなかのチャレンジャーだと思った。お客さんによっては苦手なものや食べられないものだってあるだろうに、そこをあえて客側が店主の趣向に合わせなければならない。自信があるからこそ、成せるものだ。いつも外食する時、同じメニューしか頼まない私は冒険心がないのだと思う。『おまかせ』という言葉を使う日が来るなんて、少し大人になった気分だ。
「お待たせしました。こちら本日の『おまかせ』です」
目の前のテーブルに並べられたのは、まっさらな皿と空のティーカップ。料理などなく、ただ食器が並べられたきり。
「あの、これは……」
「少し目を閉じてもらえますか?」
戸惑いながらも、言われた通りに瞼をおろす。その瞬間、甘い香りと、花のような温かみのある香りが鼻腔をくすぐる。
(どこからこの香りが……)
「目を開けてみてください」
すると、先ほどまでまさっらだったお皿の上には、生クリームが添えられたシフォンケーキが存在していた。空だったティーカップには、ほのかに赤みがかった紅茶のようなものが注がれており、目の前の現象に理解が追い付かない。
「……ま、魔法でしょうか」
「ふふっ。魔法なんて、そんなたいそうなものじゃないですよ。カオリちゃんが望むものをお出ししたまでです」
「私が望むもの、ですか」
「そうです。どうぞ召し上がってみてください」
「では……いただきます」
恐る恐るティーカップを手に取ると、紅茶ではないことに気付く。どこかで嗅いだことのある香りだが、混乱した頭ではすぐに答えが出てこない。一口それを含むと甘さはなく、品のある花の香りと、まろやかな味わいが感じられた。
「この香りは、バラでしょうか?」
「正解です。ローズティーというもので、香りを楽しむハーブティーなんですよ。疲れている時や気分が落ち込んでいる時に、幸福感をもたらしてくれるんです」
「初めての味ですけど、癒されますね。気持ちがふわっとなるような」
「そうでしょう? ハーブティーって、味はほとんどないですけど、香りの作用でリラックスさせてくれるんです。ローズティーはシフォンケーキとも合うので、ぜひ」
先ほど感じた甘い香りの正体はシフォンケーキだった。添えられた生クリームと一緒に食べると、意外にも甘さは控えめで、卵の風味が引き立っている。しっとりした食感と生クリームのまろやかさは、口の中でほどけていくような感覚だ。
「美味しい。すごく美味しいです。これはミナコさんの手作りなんですか?でも、さっきは一瞬のうちに……あ、もしかして手品ですか? 」
「そうね、手品だと思ってくれて構わないですよ」
「なるほど。エンターテインメントが楽しめるカフェ、ということですか」
「ちなみに、シフォンケーキは私の手作りですよ。私、お菓子作りが大好きで、特にシフォンケーキは自信作なんです」
「今まで食べてたのはなんだったのかってくらい、本当に美味しいです。なんだか心が満たされていくような、不思議な感覚になります」
「そう言ってもらえると、すごく嬉しいです」
優しく微笑んだミナコさんは、変わらぬ表情のまま私の目をじっと見つめる。
「あのね、カオリちゃん。心配しなくても万事うまくいきますよ」
「……え?」
私に向けられているその眼差しは、とても慈愛に満ちたものだった。
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