君の笑顔と単位の行方

2121

パイ投げられ人の末路

 大学の学園祭というのは中学高校より圧倒的に自由度が高い。それを大いに象徴しているのが『パイ投げられ屋』だと思う。手作りの屋台にでかでかと雑な字でそう書かれた屋台にも自由さが滲み出ているようだ。

 学園祭実行委員もちゃんと小さな広場の側に配置したようで、一面に敷かれたビニールシートの上に、これまた雑なペンキの文字で『パイ投げられ人』と書かれた段ボール看板を首から掛けてる三人がいた。『人』の読み方は『じん』なのか『にん』なのか分からないがどうでもいい話だ。

 一人は中肉中背、一人は後ろで髪をくくった細身、一人はアメフト部体型の男達だった。中肉中背と暫定アメフト部は仲がいいのか楽しげに話しているが、細身の男は話に入れていなさそうでどこか居づらそうに曖昧に笑っている。

 屋台の前にはパイ、もとい生クリームが盛られている大きな紙皿が並べてある。確か本来クリームパイを投げるはずだが、コスト面などを考慮して代わりにクリーム部分だけを投げるようになったのだったか。

 屋台の奥ではボールに入れた生クリームを泡立て器でシャカシャカと泡立てている男女が五人ほどいた。機械を使って混ぜればいいのに、と思ったが屋台の前面には『手での泡立てにこだわってます』などと書いてあった。なんだそのこだわりは。実際のところ、電気が屋台まで引けなかっただけなのかもしれないが。

「意外と需要ありそうだな……」

 そう一人ごちながら俺はその屋台を見ながら通りすぎて、側の食堂へと入る。最近は物を破壊してストレス発散をするアトラクションもあると聞くし、その類いのものなのだろう。悪趣味だから、俺はやらない。目的もなく人にパイを投げつけて何が楽しいんだか。

 四日間に渡り学園祭が行われているので授業は無かった。とはいえゼミの課題はあるので、図書館の資料とパソコンを使いに俺は学校へやってきたというわけだ。学園祭にはあまり興味が無かった。所謂、陽キャと言われるお祭り好きが楽しむ物で、俺には関係がない。ただ中学高校と違って学園祭に興味が無ければ参加しなくていいというところも、大学の自由さと言えるだろうか。俺にとっては四日間の休みを手に入れたようなものだった。その分、課題に費やする時間が増えたので学園祭も悪くはない。

 そういえば、あのパイ投げられ屋にいた細身の男はこういう学園祭をあまり好まなさそうな印象だった。不本意そうにあの看板を提げていたし、何か事情でもあるのだろうか? まぁ関係ないのでどうでもいい。

 学園祭でも食堂は人で溢れていて、タイミング良く空いた席は丁度窓越しにパイ投げられ屋が見えるところだった。食券を買い、食堂で二番目に高い天ぷらそばを頼み席に戻ると、パイ投げられ屋に客が来ていて丁度パイを手に構えているところだった。パイ投げられ人達がサッカーのPKのように、横並びで投げられるのを待っている。

 誰に投げるのだろう、とそばを啜っていると客の男は中肉中背に遠めからバンと投げた。中肉中背の顔の右半分が生クリームまみれになる。周囲の人も客も中肉中背もアメフト部も大笑いしている。細身の男は周りの反応を見ながら合わせるように笑っていたが、内心では引いているようで頬が引きつっていた。やっぱり不本意そうだな、と思いながら海老天を齧る。食堂の揚げ物は今年フライヤーを変えたとかで、サクサクで美味い。

 一頻り笑い終わった客は屋台に向かってピースすると、パイ皿が二枚渡される。追加で投げるらしい。追加された一枚はアメフト部のアゴにクリーンヒット。背が高いため顔まで届かなかったらしい。もう一枚は細身の男へと投げられる。

 男は少し困った顔をしたままパイを受ける。受けた瞬間風に靡く柳みたいに傾いだが、すぐに直立に戻る。表情はあまり変わらず、顔が生クリームで真っ白になった。なんだかパイ投げられ人をやること自体を後悔していそうな顔だった。

 周りの人が大笑いしている中、俯いて不意に苦々しい顔をする。周りに気付かれないように、一瞬だけ。

 ――あいつ、生クリーム苦手なんだ。

 周りの人は気付いていない。馬鹿笑いしたアメフト部が細身の肩をバンバンと叩いて迷惑そうな顔になったから表情は変わってしまった。

 男の本質に触れた気がして、ちょっとした優越感に浸りつつ海老の尻尾を飲み込んだ。



 ……課題が終わらない。そもそもちょっと面倒くさい。しかし必修なので、この授業の単位は必要だった。

 考えた末、仕方ないから教授に会ってくるかと俺は席を立つ。学園祭中でも研究があるからと大学に来ている教授は多いのだ。

 図書館を出ると、辺りは薄暗くなっていた。人もまばらになっていて、祭の後の物寂しさが漂っている。パイ投げられ屋も店じまい。生クリームもビニールシートも全部片付けられていた。

 教授棟に監視カメラがないことを確認し、ガムテープを貼って窓ガラスの一部を割り、鍵を開けて教授の部屋に入る。電気は点いていなかったから不在のようだし、今のうちに課題の解答をいただこうという訳だ。あわよくば学期末のテストの参考になるものもあればいただきたい。

 教授の部屋はさすが教授というべきか、部屋の片側の壁は全面本棚になっており資料がみっちりと詰め込まれていた。右端には自著を置いているらしく、教授の名前が入った本も並んでいた。

 一際大きい木目の美しい机には、旅行先で買ったのであろう顔の細長い謎の木の置物が置いてある。変な趣味してるな、と思いつつ俺は机の引き出しを開けて解答を探し始めた。

 数分が経った頃、不意に後頭部に衝撃を受けて膝から崩れ落ちる。視界が眩み、光が走る。頭を押さえつつ振り返ると、目を血走らせた教授がいて更に殴り掛かろうと拳を握っているのが見えた。いたのか、と思いつつ咄嗟に俺は置物を手に取り、教授より先に力任せに殴る。腕にスイカでも割ったときのような感覚を感じたかと思うと、教授は後ろに倒れて動かなくなった。

「痛いな、突然殴り掛かるとか止めろよ。あ、やべ。殺しちゃった。……まぁいいか。死んだなら単位は入るだろ」

 うっかり殴って殺してしまった。方法は予定より物騒なことになったが、目的はおそらく達成されるので構わない。単位が取れることが何より重要なのだ。

 木の置物の尖った部分のせいで打ち所が悪かったらしく、教授は頭から夥しい血を流していた。こんなところに土産の変な置物を置いている方が悪いと思う。血を踏まないように気を付けつつ、手首に指を当てて脈がないことを確認する。

「ねぇ教授、いるなら早く解いて……」

 情けないか細い声が奥の部屋から届く。まさか教授以外の人がいるとは思わなかったが、「解いて」とはこれまた物騒な話である。

 恐る恐る奥の部屋を扉を開ける。そこは仮眠室になっているようで、小さめのベッドが置いてあった。部屋には確かに人がいたのだが。

「……え?」

 パイ投げられ屋の細身の男がいた。全裸で、目隠しで、柱にくくりつけられた状態で座っていて。

 ……何かのプレイ中かな?

「教授、おれはあんまりこういうの好きじゃないって言ったじゃないですか……ねぇ、早く挿れて…………あれ? もしかして教授じゃない?」

 男にはさすがにパイは付いていなかった。体育館にシャワールームが併設されてるから生クリームはそこで落としたのだろう。

「ここの生徒だよ」

「助けて!」

「いいよ。お前、教授の何? 愛人か何か?」

「……そこで教授は聞いてない?」

「聞いてないよ」

 聞いてはいないよ。いるけど。

「出席日数が足りなくて単位が取れるか微妙なラインで、直談判したらどうにかなるかなと思ったらこんなことに」

「良かった。俺の罪悪感がちょっと減った」

 俺は電気を点けて柱の男をあらゆる角度からスマホで撮る。この部屋には窓がないから外から見られる心配もないのだ。

「は? なんで? なんで写真撮ってるんですか!?」

「いいなと思って」

「は?」

 男の目隠しを外すと、眩しそうに目を細めながらこちらを見上げた。眉を潜めて、不服そうな顔をしながら項垂れている。やっぱり身体も細いな。ちゃんと食べてんのかな、こいつ。

「その写真どうするんですか……」

「どうもしないよ」

 俺がなにに使おうと勝手なのである。個人的に使う予定しかないが、勘違いするなら勝手にしてくれればいい。操作してクラウドにもしっかりと保存した。

「強請られるんだ……」

「何もしないって」

「そういう人こそ何かするに決まってるんですよ……教授だって……あれ? 教授は? というか、誰」

「俺はお前と同類かな」

「同類? 放置プレイの?」

「いや、そっちじゃない」

 柱に繋がれていた紐を解くと、男は側に脱ぎ捨てていた服を着始めた

「こういうのあんまり好きじゃないから、あんたが来てくれて助かった。ありがとうございます」

「教授ってそんな趣味あったんだな」

 もしかしたら俺がされていた可能性もあるということか。……いや、やっぱり単位のために放置プレイを提案されたら殺していたかもしれない。多分、結果は同じだ。

「幻滅ですよね。単位は欲しいけど、こういうの続いたら嫌だな」

「続かないと思うよ」

「教授は陰湿そうだしな。少なくとも今期は諦めてる」

「もう無いよ」

「ありがとう。気休めでも嬉しいです」

 男は物言わぬ教授のいる部屋の扉に手を掛けた。

「あ、そっちはちょっと」

 一応止めるも、男は扉を開ける。そこにはもちろん血まみれで倒れている教授がいて。

「教授いるじゃん!」

 と言った後に「ひ」と呼吸を止める声がした。半歩後退る男の背後に俺は立ち、退路を塞いだ。

「し、死んでる?」

「死んでるよ」

「なんで?」

「俺がうっかり殺したから」

「人殺し!?」

「俺も単位欲しくてさ」

「あー…………そっか」

 何を頭に巡らせたのかは知らないが、妙に納得したように言う。単位をどうにかしようとして教授に会いに来た、という点で俺たちは同類なのだ。

「確かにこれならもう変なプレイする必要はないですね。これからどうするんですか?」

「……殺されるのと単位貰うのどっちがいい?」

 男は何を聞かれたのか分からないとでも言うように俺を見上げて呆けたまま口を開けていたが、質問の意図を察してこちらへ真面目な顔で向き直る。

「単位貰うの」

「山登りとパイ投げられるのはどっちが好き?」

「山登り」

「退学は嫌だよな?」

「もちろん」

「じゃあ単位のためにちょっと死体を埋めに行きますか」

「…………はい!」

 腹を括った細身の男が元気な返事をした。



 死体を埋めるため、二人で一旦俺の住むアパートへと死体を持っていく。アパートに停めている俺の車で運ぼうというわけだ。

 作業をしながら話して分かったことは、この男は細井という名前で俺よりも一つ年下ということだった。俺と同じく大学の近くに下宿しているが、俺の家とは大学を挟んで反対側にあるらしい。

 教授をトランクに積み込んで一息吐いたとき、細井の髪がしっとりと濡れていることに気付く。パイ投げられ屋の後にシャワーを浴びて髪を乾かさないままだったのだろう。

「俺の部屋で、髪乾かしてから行くか?」

「よくそんな気が回りますね。こっちは精神的にそんな状態じゃないんですけど。バレる前にさっさと埋めたくないんですか?」

「湯冷めするだろ?」

「それはそうなんですけど……殺した側の方が落ち着いてるってなんなんですか……」

 やはり困ったような顔でため息を吐いた。

「気が抜けますよ」

 言った後に、淡く目元を緩ませながらながらこちらを向いた。

「髪はそのままでいいです。その内乾くだろうし」

 珍しい表情だな、と思う。今日会ったばかりの奴だけれど、そんな気がする。もっとこいつの色んな表情が見たい、という欲が微かに湧きつつある。

 車に乗り込みすっかり日の暮れてしまった街を走る。人通りも少なく辺りの静けさが車の中にも漂うようで、無言が続いた。初対面の俺達には話題がない。

「お前パイ投げられ屋にいた奴だよな?」

「え、あれ見てたんですか」

「パイ投げられ、ひと? って書いてあったけど、あれって何て読むんだ?」 

「パイなげられんちゅ、です」

「読めるか!!」

 あまりに予想外な読み方だった。まさか沖縄読みとは。

「なんで『パイ投げられ屋』なんかやってたんだよ。お前のことは何も知らないけど、そういうの嫌いそうじゃん」

「無理矢理誘われて断ってたんですが、バイト代が良かったんですよ。それならと引き受けました」

「苦学生か」

「形振りかまってられないんです」

 何か事情があるのだろう。あまり興味は無い。

「そんなに真面目そうなのに単位落としそうって?」

「飲食のバイトをしてるんですが、他の人の穴埋めで授業が受けられなくて」

「元も子もないな」

 きっと良いように扱われている、間も運も悪い奴なんだろうな。今だって、俺と一緒に死体埋めに行こうとしているわけだし。

 途中ホームセンターでショベルを二本調達し、二つ先の山へと車を走らせた。話していると趣味は意外と合うようで、その後は授業の話だとかラジオから聞こえてきたアーティストの話なんかをしながら束の間のドライブを楽しんだ。後ろに死体が乗っていなければ、学園祭を楽しんだ熱を引きずった帰り道のようにも見えるのに、俺たちは最初からそんな生半可な関係では無いのだった。

 車通りの少ない山道に車を停めて、死体を背負って山の中へと入っていく。

 適当に埋める場所を決めて死体を埋める。土を掘るという小学校の畑作りぶりの慣れない作業に骨は折れたが、大人二人いればなんとか作業は進められた。

 教授を掘った穴に放って埋め終わった頃には、あと一時間もすれば日が昇る時間になっていた。さすがに疲れたし眠い。早く帰って熱いシャワーを浴びたいところだ。そういえばいつの間にか細井の髪も乾いてたようだが、今は汗のせいでやっぱりしとっていた。

「じゃあ朝日を拝む前に帰るか」

「ちょっと待って」

 細井は教授を埋めた場所の真上に立ち、ぴょんぴょんと土を踏み固めるように飛び跳ねた。括った髪も背中でぴょんぴょんと跳ねる。

「ざまあみろ」

 今日見た中で一番いい顔で言う。日の射してきた空を背景に、その表情はあまりに清々しく映える。

「嫌いだった?」

「嫌いに決まってるでしょう。放置プレイしないと単位くれない教授なんて嫌いに決まってる」

「お互い単位貰えそうで良かったよな」

「良かったです。じゃあ車へ戻りましょうか」

 細井は機嫌よく歩き出し、俺はその隣に並んだ。

 さっきはいい顔だったな。そういや暫定アメフト部の奴こと嫌ってそうだ。殺して埋めたら、またこんな顔してくれるかな。

 車へ戻る道すがらそんなことを考えながら、こいつの笑顔を引き出す方法を考えている。

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