地上

第33話 No Woman No Cry

 一瞬の出来事すぎて、状況の理解がワンテンポ遅れた!


 突然、聖銀に輝く球体が現れて、剣となってレ・ミリアに握られた!

 エバが旦那の真名マナを叫ぶ!

 タスクも同様に想い人の名を叫んで、毟り取ったダイアデム頭部用のリングを彼女に投げつける!

 魔法光が爆ぜ、量子に分解されるレ・ミリア!

 次の瞬間、彼女は “冥王ネザーデーモン” の背後に再出現テレアウト

 エバの旦那から送られた “退魔の聖剣エセルナード” で、その背中を斬りつけた!

 茫洋たる迷宮湖の水面を波立たせる、魔神の絶叫!

 

 鮮血が間欠泉のように噴き出す!

 混沌系の藍染めの染液のような血ではなく、あたしたちと同じ真っ赤な血!

 堕天系の悪魔が、元は神が創った人間の先達――天使だったという証左!


“ぐおおおおおおお――っっっ!!! お、おのれ、虫けらどもがぁっっっ!!! この高貴な我に、よ、よくも――っっっ!!!”


 ギリシア彫刻のような端正な容貌マスクを憎悪に歪めて、“冥王” が赫怒する!


「これが “弱き者” の強さです。矮小であるが故に手に入れた最も気高き武器です。その赤き血をすべてなくす前に、今は去りなさい魔界の副王」


“このベルゼブブに情けをかけるか! 次も勝てると思うてか! 星に寄生する害虫の分際でその増上慢、許せん――許せんーーーーーーっっっ!!!”


 “冥王” ――魔界の副王――蝿の王の、憤怒の絶叫!


“後悔するがよいぞ、女神の現人神エバ・ライスライト! いずれおまえの良人は、我らが貰い受ける! 我らにとり人間の生は瞬きの如し! いずれおまえの手足萎え、心衰え、気魂絶えしとき、我は再び現れる! 絶望に歪むおまえから我が王を取り戻す! その時老いたおまえは守れぬ! 決して守れぬ!”


 自身の血に塗れた顔で、“冥王” が哄笑する!

 激しい時空震が発生し、視界が歪んだ!

 次元連結がなされ、魔界へのゲートが開く!

 

“しばし “王” の身はあずけておく。全霊を以て仕えるが良い”


 燃え盛る地獄の業火を背に告げると、“冥王” が本来の領域へと帰還する!

 門が閉じられ、周囲を圧していた妖気が一瞬で掻き消えた!


 静寂が辺りを包む。

 微かな潮騒が戻る。

 

 トドメを刺したかった。

 ここで決着をつけたかった。

 でも出来なかった。

 

 強大な敵を屠る千載一遇の機会を逸したあたしたちは、そのことを悔やむよりも、

断末魔にうねる “冥王” の鞭で薙ぎ払われた空間を見つめていた。

 強力な吸精エナジードレイン の効果を持つ炎鞭えんべんは一瞬で、そこに立っていたタスクの命を吸い付くし、身体を燃やし尽くしてしまった。


 “冥王” の命を断てなかった理由。

 呆然自失のレ・ミリアの手から、乾いた音を立てて聖剣が零れた。


「うがががああああああああああーーーーーーーーーーーっっっっっっっ!!!!」


 言葉にならない叫声を上げて、レ・ミリアが狂乱する!

 頭を掻きむしり、血涙を吹きこぼして


「レ・ミリア!!!」


 あたしは短剣を投げ捨て、背中から彼女に抱きついた!


「うががああああーああああーーーーーーっっっっっ!!!! タスクッ!!!! タスクッ!!!! タスクウゥゥゥゥゥゥッッッ!!!!」


 あたしは渾身の力を込めて駆け出そうとする、レ・ミリアを止めた!

 見せたくなかった!

 見せたくなかった!

 もし燃え尽きてなかったら、少しでも残っていたら、干涸らびて、黒焦げになった彼の姿を、絶対に見せたくなかった!


「言ってない!!! 言ってない!!! まだ言ってない!!! わたしまだ言ってないの!!! 好きだって、愛してるって――ありがとうって言ってないの!!! 言ってないのぉっっっ!!」


 赤子のように泣きじゃくり、叫ぶ、レ・ミリア!

 掛ける言葉なんて浮かばない!

 慰めの言葉なんて見つからない!

 見つかるわけがない!


(このはどうして、どうしていつもこんな――!!!)


 代わりにあたしは、目尻から涙を飛ばして振り返った! 


「エバーーーーーーーッッッ!!! “探霊ディティクト・ソウル” !!! “還魂ニルダニス” っっっ!!!」

 

 燃え尽きただけなら、灰になっただけなら、まだ希望はある!

 消失ロストしてないなら、まだ希望はある!

 “探霊” で状態を確認して、“魂還” で連れ戻す!

 この娘の――レ・ミリアの元に連れ戻す!

 絶対に、連れ戻す!!!


「エバーーーーーーーッッッ!!!」


 “冥王” を逃したことが尾を引いているのか?

 待ち受けるこれからの運命を見据えているのか?

 いつになく鈍い聖女に、もう一度叫ぶ!

 しかし、彼女から返った言葉は柔らかかった。


「その必要はありませんよ、ケイコさん」


 柔らかく、穏やかな、微笑を含んだ声。


「“探霊” も “魂還” も必要ありません」


 エバはもう一度いうとタスクが燃え尽きた場所まで歩き、


「お怪我はありませんか?」


「………………はい」


 

 

 あたしはレ・ミリアを離して、エバの傍に駆け寄る!

 そして彼女が見下ろす立って、同様に中を覗き込んだ!


「タスクッ!!?」


「や、やあ、ケイコさん………………お久しぶり」


 穴の底で、タスクがなんとも情けない顔をして見上げていた。


「あんた……どうして……だって “冥王” の鞭で……」


「“偉大なるボッシュボッシュ・ザ・グレート” に感謝ですね」


 笑いを湛えるエバの言葉に、ハッと全てを理解する!


「ははは……トイレの跡に落ちて助かりました」


「……」


 ヨロヨロとレ・ミリアが穴の淵に歩み寄る。


「……タスク……」


「……レミー……」


 穴の上と底で、見つめ合うふたり。

  

「……………………聞いた?」


「……あははは……あ~~~……うん……まるっと全部」


「死ね、ウンコ野郎」


「「……Wowワ~オ……」」


 思わずエバとユニゾン。

 これは……いろいろと……いろいろな意味で……酷い。

 くるりと穴に背を向けるレ・ミリア。


「あ、あのさ……」


 出口に向かうレ・ミリアの背中に、恐る恐る声を掛ける……。


「助けたら、あんたもコロス」


「……」


「“魂還” がありますから」


 ギロリ目で殺されたあたしに、エバが冗談とも本気とも採れる声音で言った。 


「お~い、出してくださいよ! ねえ!」


◆◇◆


 空気は乾いて、透き通っている。

 迷宮から出た直後に感じる、いつものあの空気だ。

 眩しく見上げた空から、サアーーッと雨の粒が落ちてきた。

 アメリカにも、狐の嫁入りって言葉があるのだろうか。

 大粒の雨が土埃と混じり合い、土が溶けていく匂いが湧き上がる。

 それが迷宮に慣れた五感に心地よく、嬉しかった。


 僕たちは生還した。


「本当に、よかったんですか?」


 僕はニューヨークのど真ん中にそびえる、峨々ががたる岩山を見上げるふたりに訊ねた。


「あなた方には、もっと平穏な道があったのに」


「ええ、神宮さんがレ・ミリアさんに掛けた言葉を聞いたとき、決めました」


 岡博さん・寛美さん夫妻が、振り返った。


「わたしたちは多くの人に迷惑を掛けました。特に神宮さんと増尾さんには、なんてお詫びしていいかわかりません。ご家族にもお会いしなければなりません。迷宮の中の安穏に逃げるわけにはいきません」


 博さんに続き、寛美さんが答える。

 そこに動画で見た弱々しさはなかった。

 あるのは生きる決意と困難に立ち向かう覚悟を決めた女性の姿だった。


 遭難者六名。

 生存者四名。 

 老人会の遭難に端を発した事件caseは、予想だにしなかった真実をさらけ出しながら、善と悪の異なる意思の介入を招き、ひと組の夫婦を救い、ひと組の老いた幼馴染みの人生に幕を下ろした。


「若輩の僕がいうと生意気に聞こえるかもしれませんが――わかる気がします。迷宮には確かに救いがある。でも人が生きられるのは、日の光の当たる場所だって」


 どんなに迷宮で力や富を得たとしても僕らが人間である以上、人が人である以上、結局は地上に還ることになる。大地の上で生きることになる。

 もう一度日の光の――太陽の下に戻りたいから、僕たちは迷宮に潜るんだって。


 岡さん夫妻は、僕の言葉に穏やかにうなずいてくれた。

 これからこのご夫婦が歩む道は、老境のふたりには決して楽ではないだろう。

 世間の目は、迷宮の壁のように冷たく固いだろう。

 でも、きっと大丈夫。

 僕たちが孤独にならなかったように、ご夫妻も孤独にはならない。

 数は少なくても、必ず味方となってくれる人たちがいるはずだ。

 エバさんやケイコさんと並んでこちらを見つめている、金田よしさんと今川伍吉さんの姿に、僕は思った。

  

「いつか、あなたたちも――」


 そこまで言って、岡博さんは頭を振った。


「本当にいろいろとありがとうございました。タスクさんとレ・ミリアさんの冒険が幸運のうちに終わることを祈ってます」


 ご夫妻は頭を下げて、金田さんや今川さんのところに戻っていった。


(いつか、あなたたちも……か)


 僕は岡さんの言いかけた言葉を反芻しながら、みんなからひとり離れて立つ人影に向かった。

 レ・ミリアは身じろぎもせずに “真龍” の住処である巨大な岩山を見上げている。


「……寄るな、ウンコ」


 隣りに立った僕に、やがて彼女はいった。

 その背中は相変わらず、涙を流さずに泣いていた。


「はは、ウンコは酷いなぁ」


「ウンコはクビよ。あんたとはもうパーティは組まない」


「却下」


「はぁ!? リーダーのわたしがクビだって言ってるのよ!」


 一言の下に拒否されるとは思っていなかったのだろう。

 困ってしまってウジウジ・グズグズすると思っていたのだろう。

 予想外の僕の反抗に、レ・ミリアが動揺も露わに振り向く。


「メンバーはリーダーの部下かい? 雇われ人かい? 違うよね? だから却下」


「わたしはもうあんたと組みたくないっていってるのよ!」


「僕が先に死んでしまうのが耐えられないから?」


 絶句するレ・ミリア。


「僕はね、レミー。僕が死んだあとも君にはずっと生きてほしい――なんて綺麗事は言わない。むしろ僕が死んだら後を追ってほしい。でも僕が生きてる限りは、君にも生き続けてほしい」


「そんなの勝手だわ! 我がままよ!」


「僕は君のだよ。ストーカーは勝手で我がままって決まってる」


「ああ言えばこういう!」


「照男さんとタマさんの最期を重荷に思うことはない。僕らはあのふたりを助けに行って、そしてあのふたりは自分たちの判断で人生の幕を下ろしたんだ。人生が最も価値を得る瞬間に自分たちの意思で。僕もいつの日か君とあんな最期を迎えたい」


「な、なによそれ」


「あのふたりは人生の最後のときに幸せだったと思う。だってずっと好きだった人と一緒だったんだから。だからレミー、僕と一緒に生きよう。ふたりで最後の最後まで精一杯生きて、もがいて、あがいて、そして一緒に死のう」


 レ・ミリアは驚き、そして真っ赤な表情で何かを言い返しかけ、結局言葉にならずプイッと顔を背けてしまった。

 それからしばらくして、


「……ねえ、気づいてる?」


「? なにを?」


「あんたの今の言葉、そのものズバリ……プロポーズよ」


「え?」


 あれれ? そういえばそうなるのかな?


「はははは、まあ、細かいことはいいじゃない。大事なのは気持ちだよ。いつまでも一緒にいたいっていう」


 もうレミーは僕を見ていなかった。

 僕もレミーを見ていなかった。

 僕たちは並んで、星の意思の代弁者である世界蛇の巨大なしとね を見上げていた。

 どこかの誰かが言っていた。

 共に生きるって、見つめ合うことじゃない。

 同じ方向を見続けることだ……って。 

 

(いつか迷宮が君を清めるその日まで、迷宮が君を許すその時まで、君が君を許せるその瞬間まで、僕はずっと傍にいるよ)


 だから、どうか泣かないで。可愛い人。

 愛しい人よ、泣かないで。

 僕の可愛い君、もう泣かないで。

 涙を拭いて、立ち上がって。


 No Woman No Cry



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エバさんが大活躍する本編はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742

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第一回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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第二回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579

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実はエバさん、リアルでダンジョン配信をしてるんです!

エバさんの生の声を聞いてみよう!

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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