地上

第1話 ハレルヤ・ハリケーン、ニューヨークへ!★

 予想外は想定内。


 事あるごとにそううそぶき、実際に多くの修羅場を潜り抜けてきたふたり夫婦だったが、今回のこれは正真正銘の想定外だった。

 遠く太平洋を隔てた北米大陸の、そのまた東海岸からのSOSである。

 大圏コース空路で、一万一〇〇〇キロメートル。

 時間的距離で、一二時間と少し。

 

 さらにいえば、嫁も旦那も旅券パスポートを持っていない。

 そもそも “向こうの世界” の人間であるふたりの国には、旅券自体が存在しない。

 彼らは “日本国” と“大アカシニア神聖統一帝国” との間で結ばれた友好通商条約に基づき、日本国総理大臣の特別滞留許可を以て滞在している、滞日異世界アカシニア人なのだ。

 

 さらにさらにいえば “ニューヨーク・ダンジョン” は “大アカシニア神聖統一帝国” ではなく、隣国の “リーンガミル聖王国” の領地である。

 “大アカシニア神聖統一帝国” と “アメリカ合衆国” は友好条約を結んではいるが、条約の効力が “リーンガミル聖王国” が領有する “ニューヨーク・ダンジョン” にまで及ぶかはわからない(普通に考えて及ばないだろう)。


 さらにさらにさらに言えば――もしかしたらこれが一番の問題かもしれないが――遭難者は全員が一般人で、夫婦が営む保険会社と契約していなかった。


 以上を鑑みて夫婦にとってニューヨークは、あらゆる意味で遠かった。

 以上を鑑みて夫婦の口から漏れた感想が、


「「……Wowワ~オ……」」


 ……だったのである。


 その後嫁と旦那は中断していた食事を再開し(夕食の最中だった)、互いに無言で嫁が作った中辛のカレーライス(嫁は甘口、旦那は辛口が好み)を平らげた。

 食後には嫁が淹れた番茶をやはり無言で啜り『さてどうしたものか』と思案した。


 要するに “日本国” に特別滞在する “大アカシニア神聖統一帝国” の迷宮保険屋が、 “アメリカ合衆国” 内の “リーンガミル聖王国” 領の迷宮で遭難した “日本国民” から、一方的な救助要請を受けたのである。


 旅券がないので入国できず、ビザがないので滞在できず、契約を結んでいないので助けにいく義務もない。遭難者の名前すらわからない。

 要するに、動きようがない。


 そうこうしているうちに、インターホンが鳴った。

 嫁が玄関を開けると、真っ赤なスーツケースを引いた親友の女盗賊が立っていて、


『あたし、海外旅行って初めてだわ』


 と、さも当然のように言った。


◆◇◆


 面倒な記述はすっ飛ばす。

 詳細に記せばそれだけでひとつの物語が書けるほどの、煩雑で熾烈で滑稽な交渉が四つの国家間で繰り広げられた。

 様々な思惑と駆け引きと妥協の末、海外邦人の安全確保しなければならない日本⇒アメリカ⇒リーンガミル⇒大アカシニアの順で救助要請がなされ、累計すれば四桁に及ぶ関係者の尽力の果てに、ふたりの人間に集約された。

 すなわちその道の第一人者であり、唯一の専門家であり、遭難者が希望する人間。

 ライスライト・エバ・アッシュロードとグレイ・アッシュロードの嫁と旦那ふたりに。


◆◇◆


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16818023214095925076


「一番大きなお鍋に辛口のカレーを作っておきましたから、毎日ちゃんと火を通して食べてください。ですがそればかりでは飽きるでしょうし、胃にも良くありません。冷蔵庫に一週間分の惣菜を作っておきましたので、交互に食べてください。あなたは同じ物を食べ続ける癖があるので気をつけてください。それはノーグッドです」


 飼い主の少女が飼い犬の老グレートデンに、噛んで含めるように言い付けている。

 少なくとも女盗賊にはそう見えた。


「もちろんそれだけでは足りないでしょう。自炊をしてほしいところですが、それが無茶振りなことは存分に理解しています。なので給食屋さんを手配しておきました。一週間したら毎日に決まった時間に、栄養のバランスが取れたお弁当が届きますのでこちらを食べてください」


 飼い主の少女は、背中を丸めてぐったりと肩を落とす老グレートデンを見上げて、言い含める。


「お酒は一日ウィスキー50mℓまでです。それ以上はいけません。飲みに行くのも駄目です。酒場には悪い女の人がいる可能性が高いからです。当前ですが女遊びなどもってのほかです。浮気は男の甲斐性なんて昭和な価値感、わたしには“滅消ディストラクション” で分解された魔物の塵ほどもありません。不倫など文化大革命でぶち壊されるべき、忌むべきなにものでもありません。ベリーベリーノーグッドです。もしもそういった事態が発覚した場合、磔獄門はりつけごくもんのあとに蘇生、そのあと再び磔獄門。これをわたしの気が済むまで、エンドレスエイトで繰り返します。わたしは令和の女なのです」


 グレートデンが肝に銘じたのを確認すると飼い主はようやく、


「それでは行ってきます。お土産を楽しみにしててください」


 にこやかに背を向けた。

 そして二歩ほど玄関に向かったあと、立ち止まり、振り返り、また戻り、

 

「要するに、あなたは仕事以外何もしてはいけません。部屋から出てもいけません。本を読むか、映画を見るか、またはゲームでもしていてください。ただし課金ゲーは駄目です。わたしはあれを好みません」


 としつけに躾た。


「お待たせしました。行きましょう」


 飼い主――ライスライト・エバ・アッシュロードは、待たせていた親友の女盗賊――ケイコに告げた。


「さすがに厳しすぎない?」


「あれくらいで丁度よいのです。あの人には迷宮の外の方が余程危険なのですから。むしろ迷宮に潜っていてくれた方が、なんの心配もせずにすむくらいです」

 

「さよけ」


 ケイコは苦笑して、迎えの車に乗り込むべくエレベーターに向かった。

 彼女の親友である聖女は迷宮でこそ無敵ハレルヤ・ハリケーンだが、それ故に、多くのストレスを抱え込んでいる。

 迷宮で遭難した被保険者やその関係者は皆一様にエバにすがり、期待し、最後の希望とした。

 エバの華奢な双肩には常に重い責任がのし掛かり、そういう一切合切に応え続けるストレスを、夫に甘え倒すことで発散しているのである。

 ケイコは正しく理解している。


 ふたりは外務省が寄越した黒塗りの国産車に乗り込んだ。

 すでに迷宮探索に必要な装備を含めた、すべての荷物が積み込まれている。

 あとは羽田に向かい、チャーター機に乗り込むだけだ。


「――でもさ、今度の迷宮は善人と悪――おおっと、ハト派とタカ派で入れる階層フロアが違うんでしょ? あたしはともかくあんたはタカ派の階層には入れないじゃない。やっぱ旦那がいないとキツいんじゃないの?」


「仕方ありません。契約している人たちになにかあったときのために、あの人には残ってもらわなければならなかったのです」


「それはわかるけどさ――お爺ちゃんやお婆ちゃんがタカ派の階層に入り込んでたらどうすんの?」


「大丈夫です。すでにもう一方のパーティは手配済みで、空港で合流する手はずになっていますので」


「? リーンガミル政府が腕利きの探索者を見繕ってくれたの?」


「ええ、とても腕利きの人を」


 それから一時間も経たずに、専用ラウンジでその腕利きを紹介されたケイコは、あっと息を呑んだ。

 探索者はふたりいた。

 ひとりはとてもタカ派には見えない、いたって人の良さそうな少年。

 もうひとりは、髪をアスリートのように刈り上げた鋭い印象の少女。

 少年の方は知らない。

 息を呑んだのは、少女の顔に見覚えがあったからだ。


「……レ・ミリアッ」


 ケイコの心身が一瞬で、臨戦態勢に切り替わる。


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16818023214328144251



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エバさんが大活躍する本編はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742

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第一回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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第二回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579

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実はエバさん、リアルでダンジョン配信をしてるんです!

エバさんの生の声を聞いてみよう!

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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