@ku-ro-usagi

ショートショート

幼少の頃

園の芋掘り行事で

一番端の枠で芋を掘っていた時

芋の葉や蔓の奥手側に、手が生えていた

こう、いかにも握手してくださいみたいな

私が手を握らなかったのは

私が左利きで

ちょうど親に箸や鉛筆の持ち方を右手で持ちなさいと矯正されている時期で、それが辛くて

子供心に意地でも右手を出したくなかった

見えないふりをして

左手でスコップを持ちながら芋を引っこ抜いていると、立派なお芋がゴロゴロ現れた

大満足

水筒の麦茶を飲んでふと見ると

手は、

何かを察したのか勉強したのか

左手になっていた

正直なところ

子供心に

自分を産んでくれた親とはどうやら相性がよろしくないという

ふんわりとぼんやりとした感覚を

自分からだけではなく

親からの

「ハズレ感」

の空気を互いに読み取っていたため

ふと、この手を掴んでもいいんじゃないかと思った

でも

その瞬間

「沢山採れたね!」

それまで他の園児に掛かりきりだった先生が、目の前に立った

顔を上げると、

日焼け対策をまだ諦めていない先生の白い顔

土に視線を戻したけど、手はもうなかった

それから、

何度か手を見た

人がいる時でもいない時でも

でも、そのたびに、なぜか

「○○ー?」

「どうしたの?」

その手を伸ばして握る前に、名を呼ばれたり、ぼうっとしている様に見えたのか心配されて、手は消えた

一度は、親に名を呼ばれて手が消えた時は

「なぜ」

と思ったけれど、今なら解る

私の親は、自分の責任として責められる場所では

子供に居なくなって欲しくないのだ


あれから数十年経ち、結婚はしたけれど

良くも悪くも子には恵まれず

多分、良かったのだと思う

最近

よくその芋掘りのことを思い出すのは

買い物帰りの道端や、家の庭先でも

手を見ることが増えたから

家のトイレの便器の蓋から手が生えていた時は、さすがに少し笑ってしまった

生える場所は

寝室のベッドが理想だけれど、贅沢を言い過ぎだろうか

そう思って二人がけのソファに腰掛けたら、空いた空間に、手が生えていた

あぁ

妥当な場所だろう

それは、もう右手か左手かも分からない

でも、それでも全く構わなくて

私は、その手に、左手を添えた。











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