第23話 羨ましい
昼過ぎにオルタナシアへ行くと、疲れきった顔のカーラが出迎えてくれた。目の下にはクマがあるし、髪には艶がない。
「大丈夫ですか?」
ついそう尋ねると、カーラは力なく頷いた。
「はい。その、昨日のお客さんは、ちょっと大変で」
カーラは昨日、三人の男を相手にしている。体力的にも精神的にもかなりきついはずだ。
それに人気嬢であるカーラは、昨日だけでなく、連日仕事をしているに違いない。
ちゃんと休めているのかしら?
「今日も大体は昨日と一緒で、店が開くまでの時間に掃除とかを……」
喋りながらふらついてしまったカーラの背中にそっと手を回す。カーラの身体は、簡単に壊れそうなほど華奢だった。
依頼人によると、金を使った翌日に、返金しろと客が言ってくるのよね。
それが事実なら、今日も昨日の客がやってくるはずだわ。
「カーラさん。私、掃除はそれなりに得意なんです。私がカーラさんの分もやりますから、少し休んでてください」
「ありがとう……悪いんですけど、そうさせてもらえると本当に助かります」
「ええ」
カーラは頭を下げて、自室へ戻っていった。今にも倒れそうな足取りは、見ているだけで不安になる。
あんな状態なのに、彼女は今夜も客をとらなければならないのだろう。
カーラの借金は、彼女自身のせいではなく母親のせいでできたものなのよね。
それなのに、カーラがあんなに苦しまなきゃいけないなんて……。
仕方がないとはいえ、納得できるものではない。
潜入捜査をしているのは、この店の人気の……カーラの秘密を暴くためだ。けれどいつの間にか、カーラに同情してしまっている。
溜息を吐いて、テレサは掃除を始めた。
◆
店の前で掃き掃除をしていると、昨晩オルタナシアを訪れた客がやってきた。ほうきを握る手に力を込め、入り口の前に立つ。
「なにかご用でしょうか? 開店まではまだ時間があるのですが」
控えめにテレサが言うと、客は盛大に舌打ちをした。
この人、確か一番お金を使っていた客よね。昨晩、カーラが真っ先に相手をしたはずだわ。
四十過ぎの、やや太り気味の男だ。それほど金持ちそうに見えなかったのに、昨晩は大金を使っていたから少し印象に残っている。
「カーラを出せ。俺は昨日、あいつに騙されたんだ」
「騙された、とは?」
「お前も昨日見てただろう! 俺は昨日、あいつにとんでもない額を貢がされたんだ。あんな女に大金を使うだなんて、騙されたとしか思えん!」
男は盛大に舌打ちし、地面を乱暴に蹴りつけた。
予想通り、怒った客がやってきたけれど……これからどうすればいいの?
こいつを殴って終わり、ってわけにはいかないわよね。
「落ち着いてください。お客様は昨日、お金を払うことに同意していたはずでは?」
「黙れ! あんなの、ただのぼったくりだろう! あんな醜女に大金を払うわけがない!」
そう怒鳴ると、男はテレサに向かって突進してきた。とっさにかわすと、さらに男が怒り始める。
どうしよう? 正直めちゃくちゃ殴りたいけど、殴ったら、私の正体がバレるわ!
テレサが頭を抱えそうになったところで、店の扉が開き、アイーダが出てきた。怒り狂った客を見ると、慣れた様子で男の前に立つ。
「お客さん。昨日はきっちり、契約書に署名してもらいました。今さらぼったくりだと騒がれては、うちもいい迷惑です」
アイーダの堂々とした態度に、男が一歩後ろへ下がる。アイーダにはそれほどの威圧感があった。
「それ以上騒ぐようなら、うちはちゃんと対応してもいいんですよ、お客さん」
「……くそっ!」
吐き捨てて、男が去っていく。男の姿が完全に見えなくなると、アイーダはにっこりと笑った。
「ごめんね、びっくりさせちゃって。ああいう客は多いから、またきたらすぐに私を呼んで」
「は、はい。分かりました」
「じゃあ、また」
ひらりと手を振って、アイーダは店の中に戻っていった。彼女と入れかわるようにしてカーラが中から出てくる。
「今の客、私に文句を言いにきたんですよね」
「……はい」
「よくいるんです。もう慣れましたよ」
言葉とは裏腹に、カーラは今にも泣き出しそうな顔をしていた。とても、異能を使って他人を騙しているようには見えない。
「掃除、ありがとうございます。店内も、いつもよりずっと綺麗でした」
「えっと……それはよかったです」
気まずくて、何を喋ったらいいか分からなくなる。そもそもテレサには友達がおらず、同世代の少女との接し方もよく理解していないのだ。
「リリーさんは昨日、若いお客さんに気に入られてましたよね」
フランクのことだろう。カーラに触られないように、フランクは昨日ずっとテレサの傍にいたから。
そして今晩もフランクはやってくる予定だ。
「はい」
「素敵な方でしたね」
はあ、とカーラが溜息を吐く。テレサを真っ直ぐ見つめて、羨ましい、と小さく呟いた。
「リリーさんは私と違って、店に借金もない。身請け話がきても、受けるも受けないもリリーさんの自由です。受ける場合は、店にいくらかお金を渡すことになりますけど」
それに、とカーラが一歩近づいてきた。
「好きな人ができたら、いつだって店を辞めて、自由に一緒になれるんですから」
「カーラさん……」
「私には、ここで働き続けるしかないんです。一度寝た客に、ぼったくりだと怒られながら」
どんな言葉をかければいいか分からなくて、じっとカーラを見つめる。カーラは自分の発言を恥じるように頭を下げ、優しく笑った。
「リリーさん。一ヶ月経たないうちに、こんなところは辞めるべきです。美しい貴方なら、私と違って、本当の意味で人気になるでしょうけれど」
そうしないと……とカーラは低い声で言葉を続けた。
「いつか、好きでもない男の子を身籠り、愛せるはずのない子を産むことになりますよ。私の母のように」
冷ややかな声で言うと、カーラはテレサに背を向けた。
「掃除はもう大丈夫です。一緒に中に戻りましょう」
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