鏡の前

あめはしつつじ

鏡 うつる 女

 私は鏡の前にいる、

 私はただ笑顔をつくるだけ。

 誰のため?

 私は鏡の前にいる、

 私はただリボンをつけるだけ。

 私のため?

 私は鏡の前にいる、

 私はただリップを塗るだけ。

 何のため?




 苗字が変わった時だから、

 あれは、私が十の時。

 母の実家、祖母の家に引っ越して、

 荷物を整理していると、

 古いアルバムを見つけた。

 一ページ目の写真。

 母に抱かれた、生まれたばかりの、

 私の写真?

 でも、右下の日付は、ずいぶんと昔で、

 祖母と母の写真だと気がついた。

 アルバムをめくっていくと、

 私と同じくらいの年の、母の写真。

 私はその写真をアルバムから、

 そっと、引き抜いて、

 化粧台の鏡の前で、見比べる。

 今の私と、過去の母。

 そっくり。

 けれど、写真の母の方が、少し可愛い。

 写真写りのせいでも、

 鏡映りのせいでもない。

 母がしている、

 大きなピンクのリボン。


 私は母に、

 お母さん、このリボン欲しい、とねだった。

 母はただ、

 いいから、荷物を整理しなさい、とだけ。

 仕方がないので、祖母に頼んだ。


 大きなリボンは、

 左右を同じ大きさに結ぶのが難しくて、

 初めのうちは、母に頼んで結んでもらった。

 自分でも、結べるようになりたくて、

 鏡の前で何度も練習を繰り返した。

 上手く結べるようになって、

 祖母にお披露目すると、

 可愛いねえ、と言ってくれた。



 祖母が倒れて、介護が必要になったのは、

 私が高校生三年生の時。

 私が何か手伝おうか、と言うと、

 母は、あなたは不器用なんだから、

 手伝われた方が迷惑。馬鹿なんだから、

 勉強でも、してなさい。と言われた。


 母は毎日、私にお弁当をつくってくれた。

 私は、

 お母さんの料理、あまり美味しくないから、

 適当に自分で買って食べるよ。

 バイトでお金ならあるし。

 と断った。


 鏡の前でリップを塗っていると、

 母から、

 あなたを好きになる男なんて、

 どうせ碌な奴じゃないんだから、

 と、艶のない乾燥した口で言われた。




 化粧をしなくなったのは、

 母の介護が始まってからだ。

 夫と別れ、娘の子育てと、仕事と、

 並行しての忙しさに、

 化粧をするのが面倒に感じた。

 余裕やゆとりなんてない、

 毎日が生きているだけで、過ぎ去っていく。

 最近は、ぼうっとすることが多くなった。

 頭も体も動かない。


 はっとすると、

 化粧台の鏡を前にして、

 何分間か、ぼうっとしていた。

 映っているのは、

 みすぼらしい姿の私。

 目尻には、なかったはずの皺。

 介護用ベットの上から、

 寝たきりの母が話しかける。

 お化粧がしたい。と。

 子供のような駄々に、

 ただ、瞬間、沸いた感情。

 私は母にリボンを結んだ。




 私は鏡の前にいる。

 なんのためにいたんだっけ?

 鏡の中の私は、

 死んだ母より、年老いている。

 母が生きられなかった、

 未来を私は生きている。

 未来なんて、ただ、

 老いて醜いだけ。

 もし、あの時、

 母が美しければ、

 私が美しければ。

 私は笑う、

 くしゃくしゃの顔が、

 くしゃくしゃになっただけ、

 せめて、

 リップだけでも塗って……、

 お母さん、と呼ぶ声がどこからか聞こえる。




 おかあさーん、おばあちゃんが、また、

 かがみにらくがきしてるー。






 母のアルバム。

 その中の一枚、

 私と同い年くらいの母は、

 私とそっくりだった。

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鏡の前 あめはしつつじ @amehashi_224

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