脱依存式療法
リエ馨
前編
一ヶ月かかった。
夜、フェレナードがダグラスの部屋でしていること。
王子にかかっている呪いを解くというのは、この九百年の間誰も出来なかったことだ。
未だに解決策は見えず、王位継承者の命を背負った重圧と見通しの立たない焦燥感を、古くからの知人であるダグラスとのひとときの快楽で押し流す。それは、本来は彼の護衛である自分が負うべき役割なのだと認識させられ、その実践まで実に一ヶ月。
インティスは小さく溜息をついた。
ベッドの上での具体的な行為を視覚的に、それは一度きりだが嫌というほど記憶に焼き付けられたのが一ヶ月前の話だ。
どうして今まで何もできなかったかというと、単に自分がダグラスと同じことができるかどうか、その一点だけだった。来年二十歳になるが、何せ自分にはそうした経験が一切なく、剣技のように誰かから習うというものでもなさそうなので、決意はしたものの途方に暮れていたというのが正直なところかもしれない。
それでもとうとう踏み切ったのは、あれからフェレナードが一度もダグラスの部屋を訪れていないからだった。
早朝に起床し、厨房係が用意した朝食を取り、王子への講義や呪いの調査を進め、昼食と夕食を然るべき時間に取って、夜は深夜に差しかかる時間にはベッドに入る。夜更かしをせず、規則正しい生活がここまで綺麗に続くとは、実はインティスも思っていなかった。
だが、だからといって彼が無理をしていないわけではないのもわかっていた。呪いが確実に王子の体を蝕む中、焦る気持ちを内側に隠して、あえていつも通りでいようとする精神状態はぎりぎりのはずだ。文献に秘められた暗号のせいで調査が暗礁に乗り上げた時の溜息は数え切れないのに、以前のような思い詰めたような素振りがないのは、返ってこちらが不安になる。
このまま自分が前に進めなければ、彼も捌け口をなくしてしまう。手遅れになってからでは取り返しがつかない。
「……あ、あの」
夕食を終え、就寝にはまだ早い時間を見計らってインティスは声をかけたが、緊張のあまり声が上擦った。
テーブルに広げたいくつかの魔法陣を睨んでいたフェレナードが顔を上げ、長い銀の髪が揺れた。
「え、えっと、その……だ、大丈夫かなって……」
その神妙すぎる声にフェレナードは眉を顰めたが、インティスの意図するところは理解できた。自分がダグラスの所へしばらく行っていないことに気付いて、とうとう覚悟を決めたようだ。しかしながら、あまりの緊張の度合いにフェレナードは思わず吹き出してしまった。
決意が伝わっていないのではとインティスは焦ったが、何とかそれを宥めてフェレナードが立ち上がる。
「そうだね、タイミングとしては今が一番いいかな」
「……!」
伝わっている。いよいよだ。
更に緊張を走らせる彼に、フェレナードが苦笑した。
「とりあえず着替えて来いよ。そのままじゃやりにくいから」
「わ、わかった……」
言われるがまま、部屋の奥に仕込まれている護衛用の小部屋へ向かい、普段は滅多に着ない黒い上下の寝間着を出して袖を通した。ゆったりしているから寝間着なのに、いつも隠す首元が開いていて、袖も腕の中ほどしかなく、全く落ち着かない。
「裸足のままでいいから、こっちにおいで」
フェレナードはそう言ってインティスをベッドに上げ、いつも着けている額の布も解いた。これも恐らく邪魔になる。布はサイドテーブルへ置いておく。
「え、えっと……」
「まあまずは座って」
意気込みばかりが前のめりなので、落ち着かせるところからだ。が、フェレナードは何かおかしいぞと思って考えを巡らせた。
そういえば、彼が見せられたのは、自分がダグラスに組み敷かれている様子だった。彼が自分の役目をダグラスに代わるものだと理解したのは頷けるが、やり方を知らない人間ができることではない。
そうだ、彼は何も知らないのだ。
フェレナードは隣に座ると、今後の説明を始めた。
「そうだね……とりあえず、君は差し当たって何もしなくていいよ。けど、君が本気で抵抗すると多分俺は勝ち目がないと思うから、痛いことはしないと約束しとく」
「え……?」
フェレナードの言い方に、インティスの表情が不安そうに曇る。予想通りだ。
「ダグラスの役割を担うとは言ったけど、君はまずされる方のお勉強からかな」
「えぇぇ……!!」
途端に顔色が真っ青になった。大方、先月目の当たりにさせられたフェレナードのあられのない姿を思い出しているのだろう。あの時は本当に失態だったと思う。
開いた口が全然塞がっていないので、苦笑混じりに宥めた。
「痛いことはしないって言ったろ。それに、される方のことがわかんないと、する方はできないからね」
「…………あんたはどっちもできるの?」
「できなきゃ君に教えようとしてないよ」
「…………」
黙ってしまったが、最初の決意を無駄にはしたくない。
じゃあ始めようか、と声をかけ、改めてフェレナードは目の前に座っているインティスに目をやった。
「……そういえば、今まで君をこういうことの対象として見たことがなかったな」
「だ、だろうね……」
視線に絡みつかれ、インティスが目を逸らす。
「案外ハマるかもよ? 俺なしじゃ生きられない体になったりして」
「それじゃ護衛の意味がないだろ。……ん? 逆?」
護衛ならその方が丁度いいのか? とぶつぶつ呟く彼は、元々顔立ちが幼いのもあり、とてももうすぐ二十歳になるとは思えない。
「こっち向いて」
フェレナードはくすくす笑いながらそう言うと、顔を向けたインティスの頬に手をやり、あっさり口付けた。
◇
気が付くと何もかも終わっていた、と思う。
瞼の裏は真っ暗に戻っていて、反射的に目を開けた。部屋は薄暗いままで、息が切れていて、いつの間にか額や背中が汗ばんでいる。
……何があった?
「その様子だと、悪くはなかったみたいだね」
乱れた銀の髪をまとめて片側にやると、フェレナードは体勢を戻した。
「初めてで痛くなかったなら上出来だ。俺の腕がいいのかも」
そう言って、以前ダグラスがやったように、シーツを剥がして後始末を始める。胸元や腹部に飛び散った汚れは、シーツで綺麗に拭き取られた。
「今夜はこのまま寝てしまおう。シーツは起きてから替えればいい」
なし崩し的にそうなってしまったが、体が随分重かったので逆らうことはできなかった。
◇
彼が自分に「教える」という名目で、そして彼も相変わらず辛さを顔に出さないので、何だかんだで週に一回はなだれ込んでいる気がする。
あれから三ヶ月経ったが、ダグラスはその話を聞いて、頷きながらも笑いを堪えている様子だ。
「だろうなぁ」
「…………」
彼が言わんとしていることは、インティス自身も何となくわかっている。
何せ、フェレナードは以前は二日に一度の頻度でダグラスの部屋に通い詰めていたのだ。
彼を支えるためであれば希望通りの頻度で付き合ってやるのがいいのだろうが、なかなかそこまでは難しい。こっちにも気分がある。
ただ、回数を重ねるうちにわかることもあった。技術(?)面は元より、行為の最中に僅かな違和感のようなものを、インティスは感じるようになっていた。
そしてそれは、ダグラスによって見事に言い当てられた。
「あいつは、人に八つ当たりできない分、自分にされて悦ぶやつだからな」
その言葉には最初はピンと来なかったが、経験が増えるにつれて次第にその意味がわかるようになってきた。
そもそも、インティスが初めて見せられた時、彼はされる側の人間だった。今は教える立場上彼はする方に回っているが、本当はされる側の方が好みなのではないだろうか。インティスが感じたのは、その違和感だった。
何度行為を繰り返しても、彼はダグラスからされたように、自分を手荒に扱うことはしない。
インティスは小さく溜息をついた。
ダグラスとフェレナードの付き合いは長い。だから、ダグラスはフェレナードに何をしてやればいいかを一番わかっている人物なのだ。
つまりそれは、彼の行為を思い出す限り、強引に、無理矢理組み敷かれるのを望んでいるということ。
ダグラス曰く、自分がどうされたいかを遠回しに教え込ませる人間もいるらしいが、彼は恐らくその類ではない。
とはいえ、そんなことまさか面と向かっては聞けない。
きっかけを作れないまま、その状態は結局半年間、インティスが大怪我で城の自室に担ぎ込まれるまで続いた。
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